日本基督教団総会議長 山北宣久
二〇〇六年十一月三日は、日本国憲法(以下、憲法とする)が公布されて丸六〇年の節目の時です。
憲法は、その前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と謳っています。
つまり、日本の過去の戦争は、政府の行為によると認識し、国内外、とりわけアジア諸国に甚大な被害と犠牲をもたらしたことへの深い反省に立った決意が憲法の基礎と言ってもよく、この決意の上に「①国民主権②恒久絶対平和③基本的人権の尊重」の三原則を定め、これらの実現こそ、新しい日本国の「形」としたのです。
特に第九条の「恒久絶対平和」に関しては、他の国の憲法にもあまり例を見ない「戦争放棄、戦力の不保持」を明確に記し、かつての戦争への反省と懺悔を前面に出しています。
また憲法施行直前に制定された「教育基本法」は、先の憲法の原則に立って、その内容の実現を担うべき次世代の教育の指針として用いられ、尊ばれてきました。
しかるに、憲法公布六〇年の今、かつてない規模と強さで、憲法第九条を中心に、この憲法を改正しようとする動きがあります。
例えば、二〇〇〇年一月に衆参両院に設置された憲法調査会も、二〇〇五年にはその作業を終えて最終報告書を提出していますが、その調査とは形ばかりで、実質的には改正の準備作業にほかなりませんでしたし、さらに昨秋には、自民党が改憲案まで出してきています。
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これら改憲の意図・目的は、現在の規模にまで膨れあがった自衛隊の追認などとも言われますが、そのような生やさしいものではなく、結局は「恒久絶対平和」原則を捨てさせ、この日本を「戦争のできる国」に変えることにあると言わざるを得ません。
その証拠に、第九条二項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」ですが、改憲案によると、「自衛軍の保持」とされており、明確に「集団的自衛権の行使」に踏み込めるものとなっています。
これらの改正と、実現されるかもしれない自衛軍の強化を「ハード面での改正」とするならば、その改正の実質を担い、実践する人材を創り育てることが「ソフト面での改正」であり、それこそが「教育基本法の改正」にほかなりません。
これらが、国家による教育への過剰干渉であり、愛国心教育-国のために死ぬことをも厭わない「人創り教育」-の目的でもあるのです。そして、国のために死ぬことの受け皿が「靖国神社」であることは言うを待ちません。
そして、日本の各地では既に「愛国心通信票」が始められていることが伝えられています。
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このように、憲法改正と教育基本法改正とは表裏一体で、完全にリンクしているのです。
憲法改正により、戦争のできる国とし、教育基本法改正により、国家のために死ぬことのできる教育を行って、この日本はどこへ行こうとしているのでしょうか?
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私たちの信じる主キリストは「神の国を宣べ伝えよ」と仰せになるだけでなく、その神の国の拡がりの中で、地上での責任を担うようにもお求めになり「平和を実現する人々は、幸いである」とも仰せになりました。
私たちは、この主キリストの求めに応える道の一つが、「平和憲法を守ること」であると考えます。
かつて一九六二年十一月三日、日本基督教団は、常議員会の名で「憲法擁護に関する声明」を明らかにしましたが、今は、その頃よりももっと厳しい状況にあり、より憲法擁護の姿勢を鮮明にし、「戦争のできない日本」を継続させねばなりません。
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第三五回の教団総会が十月二四日から二六日に開催されましたが、再三、憲法と教育基本法改悪反対の意見が出され、日本の将来につき憂慮する発言が相次ぎました。
今回は、教団総会決議というかたちは取りませんが、議場のこうした意向を受けて、議長名で戦争責任についての謝罪を公にしている教団として、ここに憲法改正と教育基本法改正に対する議長声明を発表する次第です。
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願わくは神われらを平和の道へと導いて下さいますように。
二〇〇六年十一月三日
憲法公布六〇年記念日に
日本基督教団総会議長 山北 宣久