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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4615号】第35回総会期 日本基督教団の過去・現在・将来 議長の抱負・祈り

2006年12月2日

わたしはあなたがたを遣わす

日本基督教団総会議長 山北 宣久

第35回教団総会に於いて議長に三選され、「議長の抱負・祈り」を書かせていただいている。
「不信任議長」(第33回に続いて今回も不信任案を提出され、否決して議長を続けた)と言われ「採決議長」(直ぐ採決したがる、そんなに採決したけりゃ病院へ行き採血してろ!)と詰(なじ)られ、さらには「廃案議長」(総会の終わりに継続にすりゃいいものを廃案にしてしまう)と嘲られている議長の三選である。
三選が惨選にならなければよいがと案ぜられる。

・派遣

「わたしはあなたがたを遣わす」と主イエスは弟子たちに宣言される。
このマタイ福音書10章は弟子を派遣するに際し主イエスが訓示を垂れている箇所であるのだが、この16節には珍しくたった一節に動物が四種類も登場する。
主の派遣は羊を狼の中に送り込むようなものと緊張感を以てなされる。
それほど現実は厳しい。17節以下では、他宗教・国家権力・家族からの迫害が、遣わされる先々でもたらされることを告げる。内から外から苦難・艱難・困難が見舞う。それが伝道戦線の現状だと覚悟を決めさせる。
しかし、マタイ福音書はインマヌエル(1章23節)で始まり、インマヌエルで終わる(28章20節)。
「神は我と共におられる」「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と宣言される方が「わたしはあなたがたを遣わす」と言って下さるのだ。
何よりも第35回期の教団の歩みは主に派遣されたものである以上、「光を憎み、光の方に来ない」この世の状況(ヨハネ福音書3章20節)にあって、主の臨在を一段と近く、強く実感させられるものでありたい。
教勢低下、献身者不足、次世代年齢層減少、財政逼迫等々と、どれ一つをとっても容易ならぬ現況、行く手を暗く塞ぐ現状が教界を覆う。
そして世界は「その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない」(コヘレト5章16節)といった中にある。

また社会は「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう」(同6章12節)といった事実のうちにおかれている。

・狼と羊

そうした中、主が私たちを遣わしてくださる。「わたしがあなたがたを遣わす」という以上、主が責任を負ってくださるのだ。
狼の中に羊が遣わされる。ひとたまりもない圧倒的に弱く乏しい私たちだ。
しかし羊飼いなる主と共にある私たちであれば羊は狼に負けない。しかし、わが牧者なる羊飼いから離れては羊は生きえない。
「もうただ神に頼むしかない」「御言葉によってしか立ち得ない」という時、教会は実に強い。昔からpoor is pure.(貧しい時は純粋な時)と言われているではないか。
教団を取り巻く現実は、その点でよい時なのかも知れぬ。人間的行き詰まりが露呈し、神のみに期待する他はないという現実に満ち満ちているからだ。
社会的不公平、政治的不安定は我々を虚無的次元へ追いやる。しかも教団内の対立はなお根強く、不信感はなお募るばかりである。
要は一人ひとりが羊飼いなる主イエスに立ち返り、まことの君なる主イエスの横に羊がいることにより「群れ」を形成できるように祈ることだ。
そう言えば主は言われた。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうて、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ福音書10章16節)。
単独行動の狼、主にあって群れをなす羊、この力関係は、主にあって逆転する。
ともかく主の御心をわが心とする教会は「この囲いに入っていないほかの羊」のために祈り、一人の羊飼いに導かれるよう働きかけて行かねばならぬ。

・蛇

「蛇のように賢く」(マタイ10章16節)あれとの主の教えは意表を衝く。アダムとエバを誘惑した蛇を連想するからだ。悪魔の代名詞ともいえる蛇に倣えとは何だろう。
蛇に睨まれた蛙の如く獲物を射る眼力。瞬間を外さない敏捷さを蛇は持つ。
「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」(ルカ福音書16章8節)と、主は嘆いたものだ。「脱皮できぬ蛇は死ぬ」とニーチェはキリスト者を揶揄した。旧態依然として進歩のない様子を衝いてのことだろう。
「教団の過去・現在・将来」を掲げて教団総会を行った私たちは、将来に向かって脱皮して行かねばならない。論争から和合へ、混乱から穏和へ、不一致から一致へと賢く姿勢を整えることによって主のみ栄えをあらわして行こうではないか。時は切迫している。

・鳩

「鳩のように素直になり
なさい」とは何だろう。
平和のシンボル、ハト派、ノアの洪水のオリーブの枝を持ち帰った鳩は、また聖霊のシンボルでもある。
然し、鳩ほど虚像と実像の差の大きいものはないと動物学者は指摘する。
その鳩は狡猾・不潔・強情も甚だしいと言われる。では、鳩の素直さとは何だろう。それは「帰巣性」のことだろう。どこを飛んでいても必ず帰るべき巣へと戻る。エレミヤは空を見上げ嘆いたものだ。「山鳩も…渡るときを守る。しかし、わが民は主の定めを知ろうともしない」(エレミヤ書8章7節)。
私たちは帰巣性を持つ鳩の如き素直さを身につけたい。
聖霊に導かれ、生命に満ちた礼拝を捧げ、正しい聖礼典を守り、教団の真実にして一つなる交わりにとどまり続けたい。帰るべき巣に帰りたい。これも切なる祈りだ。
間もなく日本でのプロテスタント伝道一五〇周年を迎えようとしている。
このカイロスを伝道の好機としてとらえ、他教派と共に一パーセントの壁を破り、教会の進展を期すべく、開かれた教団を形成したい。
激しい対立の中で共倒れし、主の伝道命令に応えられなったら、この時代に教団に連なる者として生かされた意味はなくなるのではないか。
今総会の最後にこの聖書の箇所を朗読し、祈りをもって全ては終了した。しかし終わりは初めにつながるはずだ。この御言葉により新しく再出発したい。

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