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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4621号】メッセージ

2007年3月3日

コリントの信徒への手紙一12章1~3節

イエスは主である 三枝道也

「また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(一コリント12章3節)。この聖書の言葉には、私にとって忘れられない強い印象が残っています。四半世紀も前、私と伴侶の育代牧師が招聘されて着任した教会の講壇に墨で大きく書かれていました。
これは前任牧師であった横山義孝先生の面目躍如たるみ言葉だと、後日知る事となりました。この教会の活動の柱はアシュラムと訪問伝道でした。そして一年間、横山牧師と共同牧会する中で、アシュラムでは必ず「イエスは主なり」を全員で唱和するのが常だったのです。
時は過ぎ、数年前パウロの世界を行く旅で、トルコのエフェソ遺跡やギリシアのコリント遺跡に立った時、何故か「イエスは主である」の言葉を思い出しました。パウロはどのような思いでこの手紙を、エフェソの地から、コリントの信徒の方々に書き送ったのだろうかと。

・聖霊の賜物を受ける教会

昨年から礼拝でコリントの信徒への手紙と向き合い今日の聖書に導かれて、思いを新たにしています。
この章全体を読みます時「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」(27節)と記されているように、ここはキリストの体を建てあげる、聖霊の働きが強調されております。
キリストの体とは教会のことであり、教会を建てあげてくださるのは聖霊御自身であるとパウロは語るのです。教会は聖霊の働きなしには始まらないし、成長もありません。
一節に「霊的な賜物」とありますように、聖霊は私たちが神に仕え、奉仕し、キリストの体として成長していくために、知恵や知識など数々の賜物を与えてくださっています。
一つの教会には、さながら人間の体に例えられるほどに、数多くの賜物を与えられた人々が集められています。
けれども一番大切な事は神が教会にお与え下さる聖霊の賜物です。
これを与えられた教会について「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです」(13節)と語られています。
一つの体をもった霊の共同体として、教会が形づくられてまいります。
これは、ペンテコステに聖霊が下った時に教会が誕生したことを指しています。この点からも教会は、聖霊のお働き無しには存在しないのだと強調しているのです。

・イエスを主と告白する教会

マタイによる福音書16章13節以下を見ます時、使徒ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」(16節)と信仰を告白しています。
この時、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(18節)と主イエスは言われました。それ以来、教会は「イエスは主である」救い主であると言う信仰告白の土台の上に建てあげられているのです。
ところで私たちは教会と言う時、まず建物を思い浮かべるでしょうか。さらには好感の持てそうな牧師と多くの信徒の方が集われることを評価する傾向があります。
しかし聖書の語る教会の姿は、そこに集う一人一人が「イエスは主である」と信仰を言い表すことにかかっているのです。
では、この信仰はどのようにして始まったのでしょうか。それは何よりも「イエスは主である」との信仰を私たちの内に完成してくださる聖霊の業です。
現在私たちが「イエスは主である」と信じて言い表すことが出来るのも、私たちに優れたところがあったからではありません。そこには神の恵みによる以外の理由を見出だせません。

・歴史の中のイエスは主である

使徒パウロが「イエスは主である」との手紙を書き送った頃の社会の姿について、作家の塩野七生氏は著作『悪名高き皇帝たち』の中でネロの時代に起こった、キリスト者迫害の様子を書いています。またこの他にもシェンキェーヴィチ作の『クォ・ヴァディス』は、ことのほか良く知られています。
その頃のキリスト者たちは、地下墓地での礼拝を守る時、お互いを確かめるために、魚の絵を印として使ったと言います。当時「主」という言葉は、ローマ皇帝が神であることを表すために用いられていたようです。そこで迫害のただ中、「イエスは主である」と公けに告白していた方々が礼拝を守る時の約束として用いたのです。
同じような迫害は、日本でもありました。秀吉による「バテレン追放令」が出されて以来、徳川四代の将軍たちによって、どれ程多くの方々が殉教を強いられたことでしょう。
『切支丹殉教遺書』によれば、第一六六次に及ぶ、迫害殉教の歴史が刻まれているのです。
もっと身近な出来事もあります。一八六九年、政府による弾圧で浦上(長崎)の切支丹の方々二八九名が、徳川時代に繁栄を誇った紀州五五万石の城下町だった和歌山にも流罪となって来られたのです。
過酷な拷問、飢えと渇きと劣悪な環境に苦しんだ方々の記録が残されています。
殉教した方は九六名、一八七三年のキリシタン禁制の高札撤去によって、故郷へ帰ることができたのは五二名でした。現在も和歌山市内の禅林寺境内に浦上切支丹殉教徒慰霊碑があります。

・私たちの教会のイエスは主である

一昨年末発刊出来ました「丸の内教会八十五年史」には、一九四二年六月に始まった、時の政府による、丸の内教会「弾圧・受難」の歴史が記されています。
当時の尾鼻藤太郎牧師は検挙され、信徒も警察に呼び出され取り調べられました。この時教会備品はすべて押収され、教会は壊滅的な状態に陥ったのです。尾鼻牧師は検事から「牧師を辞めるか、信仰をやめるか」と迫られました。しかし、「牧師も信仰も辞める意志は毛頭ありません」と答えられました。
この後も牧師は刑務所での監禁状態の中で聖霊の助けを受けつつ祈り、「イエスは主である」との信仰を命かけて告白されたのでした。私たちの教会には、こんなにも真っすぐな信仰の道が印されているのです。私たちが未だ意識もしていない時、すでに聖霊は働いて、私たちを導いてくださっていたのです。
私たちの意志の背後に、聖霊が働かれて、この礼拝に送り出してくださったことを覚えましょう。
…一月二一日礼拝にて。
(丸の内教会牧師)

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