五月二二日(火)から二三日(水)にかけて、第40回伊豆諸島連合修養会が八丈島教会を会場に行われた。第40回を記念して七〇名を超す参加者が与えられ、交わりと分かち合いの時を持った。
八丈島教会は、「八丈島教会」と「八丈島シャローム教会」が二〇〇三年に合同して誕生した。これまでに、信徒数の減少、無牧、主任牧師の急死と、多くの困難を味わってきた教会である。現在も二つの会堂が離れた場所にあり、礼拝する会堂を一つに絞ると、教会に通えない信徒が出ることもあり、月に三回は大賀郷会堂(旧八丈島教会)で、月一回はシャローム会堂(旧八丈島シャローム教会)で礼拝を行っている。今回の修養会に際しては、多くの教会員が奉仕に加わり、そのパワーを見せつけた。昼食として振る舞われた「島寿司」と、教会員の手作りの「明日葉の胡麻和え」は絶品。中にはシャローム会堂の庭に出て日差しと景色を楽しみながら舌鼓を打つ参加者もいた。
今年のテーマは「島の教会を語る」とされ、かつて八丈島教会を牧していた川染三郎牧師(高松教会)が講師として立てられ、シャローム会堂で行われた開会礼拝で、「御子イエスの働きを見た」と題して、基調講演をかねて説教を行った。
説教の中では、「島の教会」を牧することについて経済的な困難が浮き彫りにされがちな中、少人数の「島の」教会員がどれ程の努力と奉仕で教会を支え、牧師を支えているかが明確に語られた。また、牧師の側も支えられることを通して、「支えること」を学び、育てられる、相互の関係の大切さが述べられた。「生物の体は危機に瀕すると末端から機能を停止して生命を維持しようとする」という例が引かれ、日本基督教団は末端を犠牲にしてはならないことが力強く述べられた。
その後行われた分団では、各班活発な意見が交わされた。特に都心にいると解らない「島の教会」の現状が、八丈島教会だけではなく大島、新島からの参加者の口を通しても証された。特に、閉鎖的な「島」という環境の中でキリスト者であることは、異文化を生きることであり、二十四時間周囲からキリスト者として見られ続けることであるという各島共通の現状は、都心の教会の信徒にとって未経験の事柄であり、衝撃を持って受け止められた。
夜の交わりの会では、一之木幸男牧師(八丈島教会)の司会により教会の青年のリードで讃美の時がもたれ、八丈島太鼓が披露された。
二日目に大賀郷会堂で持たれた現状報告では三宅島教会会堂建築計画の進行状況が報告され、支区全体で島の課題を負っていく必要性が説かれた。
末端が犠牲になるという視点ではなく、末端から元気になるために、そうして都心の教会にその元気を届けるために、島の教会は奮闘中である。都心の教会が、その末端の声にどう答え、どう関わっていくか、課題とされたひとときだった。
(辻順子報)