部落解放センターでは、六月十七日~十八日、京都・ふれあい会館において一泊研修会がもたれた。
発題『部落解放センターの原点について』では、センター設立への歩みについて学ぶことができた。熱い闘争の原点は、差別に対する怒りであった。その闘いは時に激しく、それゆえに敬遠されることもあったであろう。しかし、私は「あなたは本当に怒っているのか」と問われていると思った。そこで何より求められているのは、他者の痛みに寄り添おうとするセンスであるだろう。
次の『センターが今問われていること』では、現状認識を共有することが課題となった。一九九八年の、日本基督教団常議員会・教団総会における同性愛者差別発言・文書以降、センターは差別と闘うための連帯の行動を起こすべきであった。しかし二〇〇二年には教団総会で性差別問題特設委員会、靖国・天皇制問題情報センターが廃止され、人権のための取り組みが後退させられる中で、やはり部落解放センターは連帯することができなかった。そして二〇〇六年に教団総会でまたもや同性愛者差別発言があった。そこでもセンターは闘えなかった。部落差別問題に関わる一人として自分の罪であることをおぼえる。今一度、私たちは襟を正して、差別のむごさを想起し、連帯の行動を起こさなければ、自分だけが救われればよいという偽善者である。イエスの福音は問いかける。イエスは十字架の死を賭してまで、弱い者の側に立った。それは体制側に憎まれることを引き受ける覚悟である。しかしそこに命があると主は示された。私たちには今、この主のみに従うことが求められているように思う。
冒頭と締めくくりには、当事者の話によって被差別の体験を共有した。差別というものがどんな形で人の生活を、幸せを侵すのか、その一例をうかがった。しかしまた同時に喜びをも分かち合い、希望を示された。豊かな研修会が与えられたことに感謝。
(川上幹太報)