もうそろそろ終わってもらいたいと思えるほど、長々とお祈りをささげている人がいる。水曜日の祈祷会のときである。教会の歩み、教会員、社会の動き等、祈りの課題は果てしない。いつも教会の皆さんに声をかけ、皆さんの様子を知り、祈祷会ではそれらの皆さんを覚えてはお祈りをされる。これらの祈りが教会を支えている。
最近、母親と共に礼拝に出席している高校生になった少年が、礼拝が終わると同時に帰ってしまう。牧師が玄関に立つより先で、言葉を交わす間もないのである。母親は、教会の皆さんは小さいときからの彼を知っているので、つい体に触れたり、進学先を尋ねたり、将来の進路まで聞くので、彼はそれが嫌で帰ってしまうのですよ、と言われるのであった。
やはり幼稚園の頃から、教会には母親と共に出入していた青年が、教会の皆さんから、今の生き方を問われ、苦慮しているという。
教会の週報にこんなことを掲載した。
「教会におけるお交わりはすべての人が深められることを願っています。その場合、不用意な言葉が傷つけてしまうこともあります。次の言葉は避けてください。若い人に対し、『今、どんなお仕事をしているの?』とか、結婚した人に、『赤ちゃんはいつ頃ですか?』等。」
さて、反響はと言えば、牧師にいろいろ消息を尋ねてくる場合が多くなった。コメント次第でお祈りが長くなるのかも。
(教団総会書記 鈴木伸治)