【4636号】メッセージ

ヨハネによる福音書20章19~23節

遣わして下さるのは主 田中かおる

・「自分を知る」ということ

「自分を知る」ということは、人間にとってとても大切なことです。自分の何たるかがわからないから人はイライラする、とさえ思います。生き生きと生きられないのです。「自分を知る」とは、「自分の生の姿を知る」ということです。「生の姿を知る」ということは、あたりまえのようで、実はこれがなかなか難しいのです。
「自分を知る、すなわち自分の問題を知る」ということをテーマにした漫画を見つけました。この漫画は、アメリカ人による漫画で、犬が主人公、といえば、ピンとくる人も多いと思います。犬のキャラクターが、日本でもすっかりおなじみです。このシリーズの中に、興味深い四コマ漫画がありました。少年Cに対して、少女Lが、このC少年の問題の本質を鋭くついている、そういう四コマ漫画でした。それはこんな展開でした。
①少女Lは、「そもそも、あなたの何がいけないのか、知っている?」といきなり、少年Cの問題の指摘を始めます。
②ところが、少年Cは、「いや。でも知りたくない。ほっといてくれ」と怒ります。
③そして少女Lのもとを離れます。
④すると、少女Lは、「何がいけないか、聞こうとしないのが、そもそもいけないのよ!」と叫びます。…つまり、少年Cは、自分の姿を直視できない、自分にはみえていない問題がある(=罪)ということを認めることができない。そこを、少女Lは、鋭くついている、そういう漫画なのです。
実はこの漫画の作者は、熱心なクリスチャンです。作者は、この犬とその仲間たちの漫画を通して聖書のメッセージを語るということを使命としていた、といいます。
一方で、別な人が本を著し、この漫画の解説していました。それによりますと、この四コマは「どんな人の心にも『罪』がある。しかしそれを認めるのは難しい、という点を鋭くついている」とのことでした。自分には、自分で対処できない部分がある。自分には見えていない問題(=罪)がある。それを「知る」ということは、至難の業。難しいこと。しかし、それはとても大切なことであるのです。

・心の内側から鍵をかけて

二〇〇〇年前の主イエスの弟子達も、例外ではありませんでした。弟子達は、自分達の問題が一体何なのか、わからずに過ごしておりました。ヨハネ福音書20章19節によれば、「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」そういう状態でありました。この時、弟子達は、既に、女性の弟子マリヤによって、自分達の主、イエスはよみがえって墓にはおられない、という、驚くべきニュースを聞いていたはずです。しかし、十字架で死んだ主イエスがよみがえった、ということを聞いて、弟子達は単純に喜ぶことができないでおりました。なぜでしょうか?…一つには、そんなことはあり得ない。あり得ないことをどう受け止めてよいのか、混乱していたことが考えられます。当然、といえば、当然の戸惑いと混乱です。もう一つには、「ユダヤ人たちを恐れて」と、わざわざ書いてあるように、主イエスを十字架にかけて殺したユダヤ教指導者達の追求を恐れていたことが想像できます。主イエスがユダヤ教指導者達によって捕らえられてからというもの、この弟子達は、誰一人、主イエスの弟子であることを公言できずに、指導者達からも民衆からも姿を隠していました。弟子である、ということがわかってしまうことを恐れていたのです。ですから、よみがえったと聞いても、そうやすやすとは人前にでてなど行けなかったのだと思います。人前にでるどころか、家に内側から鍵をかけて、息をひそめていたのです。
弟子達は、主イエスの弟子となって主イエスと行動を共にしている時には、こんな情けないことになるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。「私に従ってきなさい」というお言葉にそれまでの職業をそれぞれ捨てて従った者達。「あなたの為なら命を捨てます」と断言した者。主イエスが栄光をお受けになる時には「どうぞ、私たちを左右に座に座らせてください」と申し出た者達。自分達の中で「誰が一番偉いか」と議論した者達…そういう弟子達であったのに、今は、ただただ、恐ろしくて、自分達の心の内側から鍵をかけて息をひそめて成り行きを見守っていることしかできない。それまでは自分達がそういうことになるとは、誰も想像できなかったに違いありません。順調な時には、自分の問題が見えていなかった弟子達です。自分の生の姿、自分の問題など、気づけなかった弟子達です。主イエスの弟子集団として、時には主イエスに遣わされて病いを癒し、意気揚々として神の国の福音を宣べ伝えていた…そういう最中には、自分達の問題に気づけなかったことでしょう。あの漫画にでてくるC少年のように「何がいけないのか、聞こうとしない」弟子達だったのです。
それが、今、弟子達は底知れない挫折感と無力感、罪悪感の中に突き落とされている。自分達の罪におののいている。鍵をかけている、とはそういう状態を意味するのです。(…そして、この弟子達は、私達の問題をよく表しております。)
しかし、そのまっただ中に、主イエスは、入ってきてくださいました。鍵をかけて真っ暗闇の中にいる弟子達の中に、主イエスの方から入ってきてくださいました。そして、「平和があるように」とおっしゃってくださり、十字架の傷痕である手と脇腹を弟子達にお示しになりました。弟子達は、それをみて喜んだ、といいます。主が弟子達の裏切りを責めるのではなく「平和があるように」と神が共にいてくださることの宣言をしてくださり、弟子達はもはや、恐怖におののく者ではなくなっているのです。罪赦されて、神が共にいてくださることを喜ぶ者とされたのです。変えられた弟子達がここにいます。自分の問題、すなわち「罪」に気づけなかった者達が、自分の罪に気づかされ、しかし罪赦されて、深い闇の淵から立ち上がることができて、ここにいるのです。
その弟子達を主イエスは「わたしもあなたがたを遣わす」とおっしゃって息をふきかけ、罪を赦す権限をお与えになります。この弟子達は、弟子とされた者たちの群れ、すなわち教会を意味しているのです。

・遣わして下さる主によって

二〇〇〇年前の弟子達に起こったこの出来事は、今も、礼拝の度毎に起こっています。自分を知る、自分の問題に気づくのに疎い、そういう私達。そのことの故に内側から鍵をかけてしまっている私達。復活の主イエスは、その私達のただ中に入ってきてくださり、私達を罪から解放してくださいます。そして、私達を遣わしてくださるのです。この世へと。
自分の問題に気づかされた者として、罪赦されて新しく生かされた者として、私達をこの世へと遣わしてくださるのは、主です。遣わしてくださる主によって、この一週間も、一人ひとりに与えられている使命に生き切りたい、と願います。   (安行教会牧師)

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