雅号を「創歩」という。歩みを作りだそう、そういう思いがあった。漢字を専門に書いているうちに「創」という文字に「傷」という意味があることに気付かされる。「絆創膏の『創』です」自分の傲慢さに気付かされた瞬間だった。「傷」という言葉が「自身の傷である罪」とも「贖いのしるしであるイエス様の傷」とも結びついた。今はイエス様が私の罪の絆創膏となって下さったと感じると言う。
書道を始めたのは六歳。教会に行き始めたのは中学三年生。それが結びついたのは、自分が父の養女である事を知り、大学進学を断念した事が切っ掛けだった。銀行に勤めながらアナウンサーになろうと学校に通う。日曜日に学校に通うという日々の中で、教会が大きなウェイトを占めている事に気付かされる。教会生活を続けながら書道を続ける事になった。
専門は漢字だった。儒教や仏教の影響の強いものを書きながら、「なぜ、こんなものを書いているんだろう」と思ったという。その年の社中展に「いつも喜んでいなさい」と聖句を書いた。自分でも驚く程好評で、御言の力を感じたという。それ以来聖句を書き続けている。
「書には心がそのまま出ます」
教会の看板を書く時、聖句を書く時、祈って書くようになった。「納得できる作品はなかなかできない。とても深い世界です」しかし漢字を書いていた頃の「自分を磨かなければ」という悩みが「必要とされている喜び」に変えられ、意欲を与えられた。長男が通っていた愛真高校(島根県)に招かれて年一回授業を持つ内に、主に仕える先生達の姿に学ばせられ、力付けられもした。自分が本当に自分を献げて生きているか模索する内に、こういう事しかできない者ではあっても与えられた賜物でご奉仕していこうとの思いを与えられた。
「『絆創膏』となって下さった主に支えられて」自分の人生を一言で現す言葉だそうだ。