教団連帯の証し
二〇〇四年十月の中越地震で損壊した二教会の再建が成り、一月十四日、見附教会会堂・牧師館の献堂式と十日町教会牧師館の完成感謝記念礼拝が行われた。全国諸教会の祈りと支えによって伝道拠点は再建され、新会堂を埋めた出席者から、「主は生きておられる」「教団連帯の証し」の声が溢れた。
*各地の災害に協力を
夜来の音もなく降り積もった雪も上がった一月十四日午前十一時、十日町教会牧師館完成感謝記念礼拝が始まった。
新井純牧師は説教を「忘れ得ぬ光景があります」と切り出して新潟地区、関東教区総会の議事に触れ、「関東教区が全国募金額の半分、七五〇〇万円を募金する議案を上程し、張り詰めた静けさの中で、圧倒的多数で教区の決意が表明されたのを見た瞬間」と語った新井牧師はここで絶句し、数分後にこう続けた。
「こらえていたものが溢れ出てどうしようもなかった。総会後、皆から祝福され、励まされて、私はただ感謝の祈りを捧げるだけだった。
遠く離れた教会の方が、被災を自分の苦しみと受け止めて、支援して下さったことに、私たちがどれほど慰められ、励まされたかは言い尽くせない。私たちは一人でない、決して孤立していないことを実感した。震災後、主は私たちと共におられ、私たちの中に生きておられることを証しする十分なエピソードがあった」。
祝辞に立った疋田國磨呂・関東教区議長は、
「教会の再建は、単なる建物の再建ではなく、全国の祈りと支えに力と勇気を与えられ、建物となって実った。関東教区は、これから起こるであろう各地の災害に連帯して協力して行く教区でありたい」と語った。
旧牧師館は、当初の「半壊」から「みなし全壊」と判定変更されて再建を決意。〇七年九月起工し、鉄骨二階建て131㎡の牧師館が完成した。
建築費、諸経費など計四〇〇〇万円のうち、三〇〇〇万円を教団支援金、一〇〇〇万円を自己資金でまかなう。
*主は生きて働いておられる
地震直後、ボランティア・センターとして活用された会堂を埋めた一一〇人の出席者の大半が見附教会に向かう頃には、肌に指す痛い雪が激しく降る天候と一変し、午後三時、見附教会献堂式が始まった。
柳田剛行牧師は、「地震・水害と度重なった教会の災害、被災した教会員もいる中での再建は重い課題だった。しかし、ピンチをチャンスに変え得る神の導きと、全国の方々の祈りと支えで、新しい幻が与えられた」との献堂の辞に続く式辞でこう語った。
「神は生きて働いておられることを実感した。今、恐れとおののきに襲われている。二つのことを語りたい。一つは、献堂式の意味。神のものは神に返す。これが献堂式の意味だと思う。今日、神に会堂をお返しして、改めて神から貸して頂く。二つ目は、献堂式の目的。見附四万三千人市民のたった一人の魂を救うことから始める。悔い改めることによって、敗者も復活する。今日は伝道における敗者復活戦の始まりだ」
式後の祝辞で、小林眞教団副議長は、
「二重三重の困難の中での献堂のお喜びと共に、もう一つのことを申し上げたい。使徒信条に『聖なる公同の教会』とあるように、教会は単なる建物でなく、信ずる対象だ。教団の中には不信や混乱があるが、教会を信じて、全国から現在一億七千万円余が献げられている意味は極めて大きい」と述べた。
疋田國磨呂・関東教区議長は、
「度重なる災害は、教区・教会・信徒が一つになれとの神から与えられた訓練だった。今日の恵みは、関東教区だけでなく、全国諸教会に分かち合って行きたい。見附教会の献堂は、教団がキリストの教会の肢であることを証しする場となった」と語り、続いて立った熊江秀一・関東教区新潟地区長も、
「震災後四〇カ月目に新会堂に立っているとは夢のようだが、決して夢ではない。全ての人に福音をというビジョンが与えられ、形となった。新会堂は地区・教区・教団の連帯の証しだ。教会が本当に生きて働いていることを証しする一日となった」と述べ、揃って教会の連帯を強調して喜びを語った。
見附教会は、〇四年七月の水害で、床上浸水五〇cmの被害を受け、三カ月後の中越地震で液状化現象で地盤崩壊が判明したため、同地での再建を断念し、徒歩五分の距離にある「はなみずき団地」の一角、七〇七㎡を二四八四万円(諸経費込み)で購入。〇七年七月起工、十二月、一六九㎡の会堂が、〇八年一月、木造二階建一〇二㎡の牧師館が完成(総工費六二〇〇万円)した。
十日町教会再建委員長の桑原務兄は、礼拝後の挨拶で、「震度六強の地震でねじれ、傾き、倒壊寸前の牧師館を見たときは呆然として何も思案出来なかった」と語り、見附教会の感謝会で関係教職の一人が、「信じられないというのが、正直な感想」と述べ、柳田牧師も「まだ呆然としています」と本音を吐露したところに、二重三重の苦難にさいなまれた被災現地の心情が見てとれる。
それだけに、十日町、見附両教会の礼拝・献堂式を通して、こもごも語られた「神は生きている」「一つの教会」「連帯の証し」という言葉には重みがあり、実感がこもっていた。どの顔も感謝と喜びに溢れ、この恵みを全国の諸教会に届けたいと思わせる一日だった。
(永井清陽報)