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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4647号】イースターメッセージ わたしたちは皆、主の復活の証人

2008年4月4日

使徒言行録2章22~32節 西原 明

今日、全世界の教会が「主はよみがえられた」と讃美の声をあげています。
しかし、最初、主イエスの十字架の死に直面し、主から切り離された弟子たちは、主の復活を信じることができず、死の怖れに覆われて沈黙していたのです。
だが、弟子たちそれぞれの情況に応じて現れてくださった復活の主ご自身が、彼らの実存を根底から揺り動かし、新しい命へと再創造されたことは、その後の使徒たちの言行が証ししています。聖霊降臨の日、使徒たちは「あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は死の苦しみから解放して、復活させられました。わたしたちは皆、そのことの証人です」と宣教し始めたのです。

*主がともにおられる

ユダの後継者を選出するとき、ペトロは「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間…いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです(使徒1・21~22)」と言いました。
宣教活動の困難に直面するパウロは「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる(使徒18・9~10a)」と、復活の主が現れ語られたと言います。
そして、マタイによる福音書は、キリストのご生涯とお働きを「主がわたしたちと共におられる」という重要な証言で括っています。
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である(マタイ1・23)」。
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28・ 20)」。
それはまた、弟子たちが信仰の父祖たちから受け伝えた信仰でもありました。
「主が言われた。『見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』ヤコブは眠りから覚めて言った。『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった(創世記28・15~16)』」。
死の不安に閉じこめられた弟子たちの中に復活の主イエスが現れ、いつも弟子たちと共にいてしてくださった通りに、共に歩き、聖書を解き明かし、食事を共にし、平和をもたらしてくださったとき、命の息・聖霊を吹き込まれ、新しい命へと再創造された弟子たちの「心が燃え、目が開け」たのです。

*死の淵の底で

わたしの住まいに「われらは皆、主の復活の証し人」という書が架けられています。わたしが神学校を卒業し最初に遣わされた兵庫県の高砂教会で、八年間の求道を経て受洗されたAさんが、受洗四〇年を感謝して書いたものです。
若い母親だった彼女の求道生活は、文字通り死の淵の底からの叫び求めでした。しかし大切な「主イエスの復活」がなかなか分からない。
Aさんが、日本脳炎で生死の境に陥った中学生の息子の片手を握りしめて祈るそのとき、息子のもう一方の手を握っている誰かが、姿は見えぬが、確かにおられた。「息子は死の床から生かされました。わたしは復活の主イエスが今もわたしと家族を生かしてくださっていると信じます」。Aさんの信仰告白です。
わたし自身の証しを加えることをお許しください。
神学校を卒業したとき、わたしは「主イエスの復活」について確信を持てないままでした。わたしの存在が主の復活によって揺り動かされるまでにはなっていなかったのです。
高砂教会は五〇年間無牧で、近隣諸教会に支えられていました。謡曲の白砂青松の地から工業地帯に変貌する中で、労働者伝道のために新しい会堂を建て始めていました。その建築費が集まらず多額の借金をかかえて教会員が動揺していると着任半時間後に知らされたのです。若造にはどうしようもない金額です。
その一瞬、主イエスがわたしをここに連れてきたからには、野垂れ死にさせはしまい、そうだ、五〇年間の無牧中も主イエスがここで生きて働き続けておられたのだ、という思いに襲われました。
主イエスがわたしと共にいて、重荷を共に担ってくださる!「主イエスの復活」が四方八方からわたしの全身全霊を揺さぶりました。
教会員が皆、それぞれの力に応じて主イエスと共に働きました。インマヌエル・アーメンが合言葉でした。教団、教区、諸教会の支援もあり、十年で建築費を完済できました。
信仰のない無力な者を、復活の主がおとずれて共に働いてくださる。この時与えられた信仰が、その後のわたしの全てを生かしています。

*主の平安に包まれて

隠退後の脳梗塞入院も、その後、二度の大腸がん手術で、脳梗塞罹病者の故に全身麻酔から覚めない危険があると告げられた時も、更に再度の転移を高齢だからこれ以上の治療はせずこのまま受け入れようと主治医と話し合ったときも、「わたしは復活であり、命である」と言われる主イエスの平安に包まれて平安でした。
主の祈りを祈ったあと「キリストがわたしと共にいてくださいますように。わたしの内に、わたしの後ろに、前に、右に、左に、わたしの上に、下に、いてください。わたしが寝るときも起きるときも、そして、わたしが地上から旅立つときも、キリストがわたしと共にいて下さいますように」(アイルランド開拓伝道者パトリックの祈り)と、祈ります。
「キリストがわたしの下にいてくださいますように」は、「キリストが陰府(よみ)に降られてわたしと共におられることを忘れませんように」という祈りです。
主の復活を信じきれないわたしには無力と行きづまりを、Aさんにはさらに厳しく死の淵を、主なる神が与え、復活の主イエスを全身全霊でお迎えできるように備えてくださいました。
今、復活の主の永遠の命にあずかっていらっしゃる皆さんも、それぞれの証しをお持ちでしょう。わたしたちは皆、主の復活の証人です。
使徒パウロと共に讃美しましょう。
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。……どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。
(隠退教師、シロアム教会協力牧師)

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