東北教区の放射能問題支援対策室「いずみ」の開所式で、「原発は電気も産むが、同時に未だその処分方法が定まらぬ能動的毒物とも言われる『放射能』を排出する」との講演を聞いた。都会がその電気を使い、福島にそれを押し付けた慙悸の思いあり。
案内されて津波被災地の荒浜から放射能汚染地に立つ教会の問安に浜通りを南下する。復興工事の大型ダンプカーが行き交う荒れた道にあの日の被害の膨大さを見、次第に家・公園・田畑に「除染中」の立札の林立。
除染土は、黒い袋に包まれて本来秋の実り豊かな農地や丘陵に直(じか)に置かれ、その上に雨よけビニール・シートがかかる。
行き着いたそれぞれの教会に大きく立派な保育園と幼稚園があった。見る限り、そこは地域伝道の一大拠点。福音は先ず集まる子どもらと保護者と地域に向かってダイレクトに届けられる筈だ。
だが、放射能事故は正にここに集約され、「子ども」の肉体を直接蝕み、将来に不安をかき立てる。
「飲み水」一つとっても、保護者に水道水を飲めぬ人がいれば、白い目が囲む。それのみか、園が使うペットボトルを公は喜ばぬ。
町は安全と強調したいのだ。そこには保証金を得た人と得ぬ人。原発勤務者と労務者の家族。仮設への移住を強いられた人の現実と地元の人々の言い分。
行政・企業・教育・医療・社会の全部が割れる。その混乱に揺れる大人の傍に子らはたたずむ。それ自体が彼らの通常を覆すのだ。事故は、先ず子どもを犠牲にしていることに大人は気づくべきだ。
(教団総幹事 長崎哲夫)