「教団新報」四六四四号において後宮敬爾氏は、当研究所の発行した「陪餐問題に関する資料ガイド」(以下「ガイド」)に未受洗者陪餐を肯定する文脈の中で触れています。当研究所はガイドのこの種の扱いが広まることに対して深い憂慮の念を持つものであります。
ガイドは、そのはしがきにおいて明らかなように、本来、信仰職制委員会からの依頼に応えて同委員会での検討資料としてまとめられたものであり、諸教区・諸教会への配布を意図したものではありませんでした。これがガイドの性格であります。
引用もきわめて短いものです。そのため(ガイド作成時の研究員や委員は原典を参照し、その文脈と文意とを正確に把握できたはずですが)今日ガイドだけを見る人は誤解する可能性があります。一例だけ挙げてみますと、ガイドの7頁にあるアメリカ長老教会(PCUSA)の「食卓に来る用意をするよう誰もが挑戦をうけている」、「誰も食卓から排除されるべきではない」というコメントは未受洗者の陪餐を肯定しているように見えますが、原典では、その前後に「〔主の〕晩餐を守ることは洗礼時の誓いを想起し、更新する機会である」、あるいは「聖餐の執行は信者の集団の生における力強く、根本的な要素である」などとありますから、未受洗者の陪餐の意味ではありえません。
このように、ガイド自体を未受洗者の陪餐をめぐる議論のための典拠として用いることは不適切かつ危険であります。今後、諸教区・諸教会では必ず資料の原典を参照し、各引用の意味を正しく捉えてくださいますようお願いします。
二〇〇八年四月四日
宣教研究所委員会委員長 宮本義弘