時に叶った主の導き
大正の終わり、東京市下谷竜泉寺町の生まれ。樋口一葉の名作「たけくらべ」の舞台。遊里吉原の近く、多くの人々がそれに関わって生計を立てていた。折しも救世軍による廃娼運動が盛んになった時期、迫害に対し「無抵抗の抵抗」で対抗する救世軍兵士の話を聞き、幼心に「この人々は何か他の人とは違う」と感じていた。
小学校入学の年に満州事変、卒業の年に日中戦争。典型的軍国主義教育を受け育った。「中学より仕事をしろ」という考え方が支配的だった典型的な職人社会の中で、太平洋戦争開戦を迎え、十八歳で徴用される。
二〇歳で敗戦。聖戦と信じ込んでいたことがすべて間違いであったことを知らされ、生きる目的を失った。それから一年あまり後、焼け残った日本橋丸善で、売り物がほとんどない中に、カラー表紙の五〇冊ほどの本が積まれていた。「新約聖書五円」。見るのも取るのも初めての聖書を買い求め、マタイ伝二六章に出会う。「汝の剣をもとに収めよ。すべて剣を取る者は剣にて滅ぶなり」。二千年前にこのように書かれた聖書はただの本ではないということを強く感じた。
程なく、西新井教会の諸集会に出席するようになり、洗礼へと導かれた。父より受け継ぐ「手術用針」の職人として、職人社会と信仰の両立に苦労した。
牧師を目指してみようという思いを強く持った。しかし、学歴の壁を強く感じ断念した。ならば、牧師を支える役員を目指そうと決意し、教会会計として二〇年務めた。また、若い日の教育の大切さを伝えたくて、教会学校教師を志した。しかし、ここでも学びが足りないと感じ、日本聖書神学校の講座に学び、教会学校長も務めた。
受洗してより五〇余年、時に叶った主の導きのうちに、十字架を過去のこととせず、復活の信仰を持って、導き手である聖書と共に、迷うことなく与えられた人生を歩む者でありたいと願っている。