一九七〇年四月(大学紛争故に四月にずれ込む)に神学校を卒業して以来三八年。七月末に卒業生十三名中一〇名の出席で、十八年ぶり二回目のクラス会を持った。
我々のクラスは、多才な者が多く、現常議員が二名、神学教師が二名、教区の責任を持った二名。協力牧師をしつつ、今も某短大学長もおり、他教団の神学校校長であった者もいる。かと思えば、学生時代の山岳部の経験を生かし、富士登頂四八回という強者もいる。
順番に自らの三八年を語ったが、当然ながら波瀾万丈であり、出発から躓かされた者がほとんど。
例えば、紛争時に機動隊を導入するような神学校の卒業生はお断りと、決定していた任地を取り消された者も複数いた。
また当時は、教師検定試験が実施されず、「信徒伝道者」として教会に赴任。実際の伝道・牧会をしていても、長老会議長は不可。
このように、所謂教団紛争には、様々な形で関わらざるを得なかった。というより、伝道者としての歩みそのものが紛争がらみ…。
個人的には、それぞれに与えられた子どもの内、四人が牧師となり、二人が牧師夫人として教会に仕えていることを聞いた時には、お互い、自分のことのように喜びを分かちあった。一方、ご夫人を天に送った者も二人。
主の憐れみの故に、ここまで来ることができた伝道者の道。お互いの健康が心配なのか、次はあまり間をおかずに集まろうと散会…。
(教団総会副議長 小林 眞)