2013年 平和聖日
日本基督教団 総会議長 石橋秀雄
在日大韓基督教会総会長 金武士
「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、
しかも豊かに受けるためである。」
(ヨハネによる福音書10章10節)
2011年3月11日の東日本大震災により、神の造られた自然の前に、人間の積み上げてきたものがいかに無力であるかということを、あらためてわたしたちは知らされました。それと同時に、未曾有の大災害の中で、ひとりひとりの命がいかに貴いかということ、そしてその命を救い、つなぎ止めるために、わたしたちひとりひとりがいかに行動すべきかということを学ばされました。にもかかわらず、日本政府や経済界による昨今の急激な「原発推進政策」は、放射能によって汚染された故郷に未だ帰ることが出来ずにいる福島の人々を置いて、「人の命よりも経済が優先」とばかりに、原発を建て、動かし、売る循環へと、この国を回帰させています。より多くの利潤を手にするために、人間が制御することが出来ない力(原子力)に手を付け、その結果多くの命を危険にさらしているこの事態は、人間の傲慢と欲心が招いたものであると言わざるを得ません。
一方で、東北アジアでは領土問題をめぐる緊張関係が日に日に増しています。人の住まない小さな島々をめぐる日中間、日韓間の葛藤が、アジアにおける兄弟姉妹との関係を不安で険悪なものにしています。これらの小さな島々をめぐる問題を、政治的経済的に、未来に向けてさらに重要なパートナーとなっていく国々と仲違いをし、武器を構えてにらみ合うような悲しい事態と引き換えにするようなことがあってはなりません。お互いに国家としての利益を超えた、互いの命を守り、生を育み合う友好的な関係を保つために、よりよい知恵をもって和解を目指すべきです。
一部政治家たちによる心ない発言も相次いでいます。安倍晋三首相は「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と国会答弁し、過去の日本によるアジア諸国の侵略を正当化する姿勢を見せました。また橋下徹大阪市長は「従軍慰安婦制度は、当時の軍の規律を維持するためには必要だった。日本だけでなく世界各国の兵士が、戦場において女性を性の対象として利用してきた」と、過去の日本による非人道的で卑劣な戦争犯罪を正当化する発言をしました。これらの発言は、国益や経済的利益のために人の命を奪い、多くの人々の人生や生活を踏みにじる「戦争」に軸足を置いた、国家主義的な発想から出ているものと言わざるを得ません。
このような、命の価値をなおざりにする発想は、過去の事柄だけに留まりません。現政権は、憲法の改定を目標としており、まず憲法第96条を改めて、憲法の改正手続きを簡単にし、その後「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」をうたった、世界の人々が理想とすべき現憲法第9条を改変して、日本を再び「戦争を始めることが出来る国」にしようとしています。また、これを成し遂げる雰囲気を作り上げるため、先に述べたように、周辺諸国に対して強硬な態度を取ったり、北朝鮮の「ミサイル」発射に際して危機意識を過剰に煽り、「抑止力」という言葉を盾にして沖縄普天間基地の名護市辺野古への移設を強行しようとしています。これらは「今、日本が危ない」という間違った恐怖感を人々に植え付けようとする作為です。
日本基督教団と在日大韓基督教会は、このような時代であるからこそ、高らかに訴えます。ひとりひとりの命こそが何よりも大切である、ということ、そして、どんな時にも「人の命を引き替えにするほど大切なものなどあり得ない」ということです。人の命を犠牲にしてまで選択しなければならない発電方法などあり得ないし、人の命を危うくしてまで守るべき領土などありません。人の命と生活を踏みにじったどんな侵略や国家犯罪も正当化することはできないし、人の命を国家のために捧げさせ、犠牲にさせるどんな戦争も、決して再びあってはならないのです。なぜなら、わたしたちひとりひとりの命は、創造主なる神がご自分にかたどって造られ、また、わたしたちの救い主なるイエス・キリストがご自身の十字架の死をもってあがなわれた貴い命だからです。
ひとりひとりが命を受け、しかも豊かに受けるためにこの地上に来られた主イエスの思いを受け継ぎ、わたしたちは人々がそれぞれの命を豊かに育む世の中が実現することを目指します。それを阻むどんな力に対しても、わたしたちは声をあげていきます。