教団総幹事 長崎哲夫
本年各地で開催された教区総会は、何れも皆出席に近い総会議員の参加のもと盛会の内に終わった。
ただ、教団と教区との関係からして、京都教区並びに沖縄教区総会は、今回も教団問安使を受け入れず、代わりに京都教区は後の何れかの常置委員会に教団議長を招くとの約束がなされ、将来に希望はある。
教団問安使について、「本教団はその教会的機能および教務を遂行するために教区を置く」(教憲第6条)とあることから、教団が派遣する問安使は教区総会に各教会教師・信徒が集まるこの機会をもって安否を問うため総会に出席し、教団として教区と教会との間柄を深め、互いに恵みを分かち合おうと願って今日までの歩みを進めて来た。
それ故に、問安使はまず教区総会のために、主の恵みと平和を祈り、教区と教会の負う宣教的課題を共有するのである。
今回、わたしもそうした願いを込めて各教区総会に出席させて戴き、皆に温かく迎えられた。その中で、幾つかのことが心に残ったので以下それらを書き記す。
先ず、各総会とも開会礼拝に次ぐ按手礼・准允式・逝去教師と信徒の追悼礼拝等実に厳かに、しかも喜びと感謝に溢れて献げられたことである。
これらの儀式は、日頃より地域社会の只中で様々な軋轢の中、孤独な闘いを強いられている教師にも信徒にとっても大きく深い信仰の励ましと慰めに導かれるものとなった。
実に教区の力が、主に対する一つの信仰による喜びに満ちた礼拝説教と賛美と祈りにおいて示されたのである。
更に、按手礼及び准允式も教団式文に沿って行われたことは、今後の教団にとって間違い無く健やかな歩みが約束されたものと確信し感謝した。ただ、教区によっては賛美歌に「アーメン」を付けないのは何か理由があるのか。
財務報告を含むいわゆる法定議案に関しては、何処の教区にも手堅いものを感じた。更に、小教会に対する援助や互助の手が様々な配慮と工夫において血液の毛細管まで至るような支え合いと配慮が随所に見えた。
これらには、現在見直されようとしている「教区活動連帯金」制度の扱いとの関連もあり、関係者の注意深い扱いを期待する声があったことも事実である。
今回、教団議長挨拶の冒頭、教団はキリストと教会の一体性、洗礼と聖餐の一体性及びその秩序の確立が改めて強調され、一人でも多くの人が洗礼に導かれて聖餐に陪り、喜びに満ちた人生を送って戴くことが求められた。
この件を巡って、多くの総会で質疑があったが、それ以上の異議は出ず、問安した教区では、大きく信仰の一致を目指す意気込みがあることが感じとられた。
3月末のイースターに発足式を終え、直ちに認定子ども園運営・教育・保育の検討会を持った伝道推進室は、これを各地域に広げて実施しようとの計画がある。
平行して、いわゆるCコース受験者のための研修会開催と「ユースミッション2013」日独及び日米青年交流会に対して多数の青年派遣等をもって伝道の実質的な成果を教区の協力のもとであげようとしていることを伝えた。
一方、これらによって浮上していることは、子ども園に幼児が集まらぬことや諸教会に於ける高齢信徒減少の波は止まず、諸教会の深刻な困窮の声を聞いた。
多くの教会に未だその動きが届いていないが、第37回教団総会期以来検討されている宣教基礎理論を巡る宣教研究所の第一次草案は、現在各教区に諮問されている。
これに対する批判もあるが40年前、教会の体質改善・伝道圏伝道から発した教会の社会化路線は、行き着く所暴力主義に陥ったことも総括されずにはおかないだろう。
それらが時を経て、今日の伝道路線が生み出されており、教区によっては尚かつての名残を見せる姿があったが、「教会の一切の社会運動は主にある奉仕と証しの業以外何ものでもないのではないか」と訴えた。
これと共に、教団機構改正(第33回教団総会期)により、教団センターの責任が教区の扱いとなり、教区の管理体制が急ピッチで進んでいることや、教区によっては「人事」委員会の開設等注目すべき幾つかの案件があった。
この他、注目すべきは北日本3教区等3・11の被災にも拘わらず、年金局並びに隠退教師を支える運動への協力が担当者によって果敢になされていることに驚きと共に感謝の思いを厚くしたことである。