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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2024年1月】今月のメッセージ「新しい年、一歩を共に」

2024年1月1日

「新しい年、一歩を共に」

聖書個所:「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
ルカによる福音書5章1~11節
※動画はこちらから

宇和島中町教会
牧師 梅崎須磨子

 ここは愛媛県宇和島市にあります宇和島中町教会です。牧師の梅崎と申します。
 さて、クリスマスの喜びのうちに、新しい年が始まっています。いかがお過ごしでしょうか。目標を立てて、こんな1年にしようと、先を思い描くことできたなら、それはとても幸せなことです。しかしながら、悲惨なことばかりが続く世界の状況と、先の見えない不安定な社会のなかで、希望を持つことができない、明るいあしたを思い描くことができないという人も少なくないのではないでしょうか。
 今日お読みした聖書のお話は、主イエスの活動が開始されてまだそんなに時間の経っていない頃の出来事であると思いますが、主イエスはすでに多くの人々の注目を集める存在になっておられました。集まって来た多くの人々と一定の距離を保って落ち着いて話ができるように、主イエスは人々を岸に残して、ご自分は舟に乗って、そこから話をされました。
 この時、舟を出したのが、「あなたは人間をとる漁師になる」と言葉をかけられて弟子にされていく漁師です。ゲネサレト湖、別名ガリラヤ湖の漁師たちは、主イエスと会ったとき、舟から上がって網を洗っているところでした。漁に出て、そして岸に帰ってきて、片付けをしているところでした。シモン・ペトロはこの日、「夜通し苦労し」て漁をしたと語っていますから、疲れも溜まっていたことでしょう。しかも、夜通し働いたのに、彼らに収穫はありませんでした。重労働の結果、「何もとれなかった」ことはショックを伴う問題であったはずです。彼らが感じていたのは、決して心地よいとは言えない疲れ。それだけでなく、今日明日を食いつないでいけるだろうか、という不安もあったことでしょう。
 シモンはそんな状況で頼まれて舟を出し、いちばん近くで主イエスの教えを聞くことになりました。シモンがどんな思いで話を聞いていたのか、話を聞いて何を考えたのかは記されていませんが、その後に起こった出来事が彼の人生を大きく変えることになりました。
 主イエスは「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。シモンにとっては、ついさっきまでしていたこと、時間をかけ、体力を使い、しかし何も成果の得られなかったことです。網はもう洗ってしまっているし、そこに主イエスという来客があって舟を出したのですから、夜通しの漁という重労働にプラスして応対した疲れもあります。何より、シモンはプロの漁師です。知識や経験のあるプロの漁師が一晩やってダメだったのに、なぜ今更、素人に促されて無駄なことをしなければならないのか。どうせ魚が捕れることはない。そういった思いが彼の中にめぐったのではないでしょうか。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」そう言って、主イエスの言葉に従ったシモンは思いもかけない大漁に恵まれます。
 数時間前まで何も取れなかったところで、網が破れそうになるほど、自分たちだけでは引き上げられないほど、舟が沈みそうになるほどの大漁を目の当たりにしたシモンは、ひれ伏して次のように言います。「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」。
 シモンは「夜通し漁をしてもダメだったのに、今更魚が捕れるわけがない、やっても無駄だ」と主イエスの言葉を突っぱねたわけではありませんでした。そうした思いが心のうちにあったとしても、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と主イエスに従ったのです。それなのに、シモンは自分を「罪深い」と言います。シモンが語ったのは、主イエスによるさまざまな癒しを知っていたのに、主イエスがどのような方であるかを理解していなかったという自分の姿を恥じる言葉であったのです。今になってようやくあなたが主であることが分かった、私は罪深い、私から離れてくださいとシモンは語るのです。
 シモンは、積極的に主イエスのもとに集まって来た群衆の一人ではありませんでした。たまたまそこに居合わせただけです。特別なことをしていたわけではありません。ただ日常を、魚の捕れない恵まれない一日を過ごしていただけです。
 熱心に主イエスの言葉を求めていたわけではないシモンのところに、「舟を出してくれないか」と主イエスはやって来られます。シモンが諦め、希望を持たない、信じないところに「網を降ろしなさい」と主イエスは声をかけられます。そして自信のないシモンを「あなたは人間をとる漁師になる」と招かれるのです。
 シモンはこうした主イエスの招きに何の準備もしていませんでした。心の準備もしていないし、今までの生活を捨てて新しい生活をすることへの準備も、もちろんしていませんでした。主イエスに対する理解もありませんでした。
 しかし、シモンに何の準備も理解も、知識も経験もないことは主イエスが彼をお招きになるにあたって何の問題にもなりません。主イエスが人をお招きになるとき、求めておられることは、自信がなくても、確信がなくても、「しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と招きに応えることです。自信がない、確信が持てない、できるとは思えないところで、しかし、ここで神が働かれることを信じ一歩踏み出してみることです。
 主イエスはシモンに、できないことをやれとはおっしゃいませんでした。特別なことをしろとは言われませんでした。あなたにできることを、「網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。シモンは自分の経験や知識を信じて、やっても無駄だと主イエスの呼びかけを拒否したりはしませんでした。自信もない、確信もない、信じられない、でももう一歩、もう一歩だけ、招きに応えて踏み出しました。その結果、シモンは、自分を、自分の家族を、多くの人の命を養うたくさんの糧を得ることができたのです。神の招きに応えて生きることの力を知ったシモンは、この道に人々を招く働き手として、弟子として招かれました。
 私たちも、あの日、何も捕れなかった漁師たちのように問題に直面することがあるでしょう。努力が実らないことにショックを受けたり、もう私は何をしてもだめだと落ち込んだり、希望を失ったり・・・。祈る気にもなれない、そんな日があるかもしれません。しかし、私たちに何の準備もないとき、何の自信も持てないところにも、神は呼びかけてくださいます。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。大丈夫、一歩踏み出してごらんよ、神が働いてくださる、そのことを信じなさいと招いてくださっています。そして、主イエスは船の上で漁師たちと共におられたように、私たちが一歩踏み出す時にも、主は私たちと同じところにいてくださり、喜びを共にしてくださいます。
 私たちが置かれている日々の生活の中で、そう、今あなたのおられるところに、私たちそれぞれに招きを用意してくださる、それが聖書の伝える神さま、私たちの神さまなのです。今年も、みなさんの生活の中で、神さまの栄光があらわされますように!

今月のメッセージ
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