「出会い損ねからはじまる」
聖書個所:イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ルカによる福音書10章30-37節
下落合教会
牧師 有住 航
1.
2007年、わたしはフィリピンに住んでいました。今後の展望も、食い扶持も、やるべきことも、なにも見出せなていなかったわたしを、見るに見かねた先輩から「フィリピンに仕事がある」と声をかけられました。ほかに当てもなく、渡りに船、とばかりに、いきおい海を渡りました。そうしてはじまったフィリピンでの生活は、いまふりかえってみると底抜けにたのしく、そして同時に、途方もなくきびしいものでした。
住まいから職場までは少し距離があるので、現地のスタッフからは「トライシカル」と呼ばれるバイクタクシーを利用するように言われていたのですが、持ち合わせのお金も少なく、何より全身でこの街を感じたいという思いから、わたしは毎日歩いて通勤していました。ある夜、薄暗い一本道を一人で歩いていたとき、不意に後ろから肩を抱かれました。振り向くと、そこには見知らぬ男性がいました。「このおっちゃん、誰やろ」と思った瞬間、背中に硬いものが当たります。すると、もう一人の男性があらわれ、わたしの肩を掴みながら、手にキラリと光るものを持ち、低い姿勢で構えています。咄嗟のことで事情が飲み込めなかったわたしでも、いま背中に当たっているものと、前にいる人の右手に握り締められているものが「フォーク」や「スプーン」ではないことはすぐにわかりました。
当たり前ですが、二人の顔は真剣そのもので、ふざけている様子はありません。どうしよう。頭の中ではさまざまな選択肢が駆けめぐります。おとなしくお金を渡したほうがいいよなあ。でも、現金なんてほとんど持ってない。素直に渡しても「もっと持ってるやろ」と怒らせてしまうかもしれへん。よっしゃ、ここは渡す振りをして逃げたろか。でも捕まったらどないする。なんだか勝てそうな気もしてきたな。いやいや、それで刺されたらかなわん。
絶対絶命のピンチ。しかしここで「絶命」するわけにはいきません。わたしはお金を渡すとアピールしながら、ポケットに手を突っ込み、お金を出すためにそのポケットから携帯電話を抜き出した瞬間、かれらはその携帯電話をもぎ取って走り去っていきました。
かれらの背中を見送りつつ、肩を落としトボトボと帰路に着きながら、いま起きた出来事を考えていました。なぜわたしはホールドアップに遭遇したのだろう。なぜかれらはお金ではなく携帯電話を持っていったのだろう。かれらはどんな生活をしていて、どんな人たちなんだろう。かれらはどんな気持ちでいるのだろう。そのとき、わたしの胸にわき上がってきた感情は「恐怖」や「怒り」ではなく、「悔しさ」や「悲しさ」でした。アジアに生きる人びとと共にありたいと願い、いきおい余ってやってきたフィリピンで、わたしはこの地に生きていた二人の男性と〈出会い〉、そして同時に〈出会い損ね〉たのでした。
2.
ルカ福音書10章にある、いわゆる「サマリア人のたとえ」について、1980年代以降のフィリピンの「ピープルズパワー」とよばれる民衆革命の熱気のなかで生まれたひとつの解釈を紹介したいと思います。この解釈の特徴は、福音書に描かれる物語の「境界線」を押し広げていくような読み方をすることです。カメラに映っている、スポットライトが当たっている場所の外側にこそ目を向け、福音書の物語を読みなおすべきだと提案します。たとえば、フィリピンの解放神学者のひとり、エディシオ・デ・ラ・トーレはこのように言います。
「このサマリア人がもし10分早く、今まさに『追いはぎ』が行われている現場に出くわしていたら、かれは物語と同じように助けただろうか。もし、サマリア人が今から『追いはぎ』がなされようとしているときにこの物語に登場していたら、かれはそれを止めることができたのだろうか。」
「サマリア人のたとえ」を「困っている人がいたら助けよう」といった教えとして読むことは、この物語に描かれている現実、つまり、「追いはぎによる暴力」が存在しているという現実を見逃すことになるというのです。わたしたちが「サマリア人のたとえ」を読むたびに、物語に登場する「ある男」はつねに暴力の犠牲者として殴られ奪われつづけます。かれに振るわれる暴力は、わたしたちが何度福音書を読み返しても、けっして止むことはありません。暴力は奪い尽くされたあとにようやく止まります。サマリア人による助けは、男が半殺しにされたあとにようやくやってくるだけです。サマリア人のたとえは、けっきょく暴力を止める者が誰もいなかったことを図らずも示しています。暴力が振るわれつづける現実を前にして、ただ「サマリア人のようになろう」と言うだけで、ほんとうによいのだろうか。軍事独裁政権という現実の只中で聖書を読みなおそうとしたフィリピンの解放神学者たちは、「サマリア人のたとえ」に刻み込まれている暴力のサイクル、その構造じたいを克服していかなければならないと考えていたのだと思います。
3.
わたしは夜の路上で、二人のフィリピン人と出会い、そして出会い損ねました。そのときのわたしが、恐怖や怒りではなく、悔しさや悲しさを感じたのは、この出来事のなかに日本とフィリピンをめぐる歴史的、構造的な関係性が差し込まれていると感じたからです。「外国人風の男」にナイフを突きつけ、金品を奪い取ろうとかんがえた二人の男性。そして、フィリピンとは比べものにならないほど「金持ちの国」に生まれ育ったわたし。夜の路上で「出会い損ね」たわたしたちのあいだには、日本によるフィリピンの占領と植民地支配、そして戦後の経済的搾取という「二つの侵略」をめぐる問題が複雑に絡み合い、重く横たわっています。路上でナイフを突き立てられたわたしの経験は、個人的なものであると同時に、日本とフィリピンの近現代史を貫く歴史的な経験でもあったのだと思います。
わたしたちはいつも誰かとすれ違い、〈出会い損ね〉を繰り返す日常に生きています。無数の〈出会い損ね〉に後悔することもあります。けれど、たとえ〈出会い損ね〉たとしても、それは確かに出会ってもいるはずです。〈出会い損ね〉からはじまる〈出会い〉がある。たえず〈出会いなおし〉の機会が与えられている。そのことにわたしたちは希望を置くことができるでしょうか。
わたしはいま、あの二人のおっちゃんの隣人になれているでしょうか。みなさんは誰の、どんな隣人になっていくのでしょうか。「サマリア人のたとえ」を読むたびにいつもこのことを問いつづけたいと思います。