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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【6月】今月のメッセージ「息や風のように現れる神様の力」

2022年6月1日

「息や風のように現れる神様の力」

聖書個所:五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録2章1-4節

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宮古島伝道所
牧師 坂口 聖子

 
  みなさまこんにちは。わたしは沖縄の宮古島にある日本基督教団宮古島伝道所の牧師の坂口聖子です。今日はキレイな宮古島の海を背景にお話をさせていただきます。ここは宮古島の南静園という国立ハンセン病療養所の中にある海で、とても静かです。この海のすぐ近くには、南静園の納骨堂があり、そこには75年前に宮古島で一番最初に教会を創られた国仲寛一先生が今もこの納骨堂で眠られています。宮古島に最初に教会が建てられたのは、第二次世界大戦が終わってすぐでした。かつての戦争で艦砲射撃と飢えとマラリアで多くの人が亡くなりました。その中にあって神様のメッセージを戦争で苦しんだ宮古島の人々に語りました。ハンセン病は皮膚病で、罹患した方は遠く離れた島や隔離された施設へと追いやられ、自由を奪われて社会から疎外され、差別をされて生涯を過ごさなくてはなりませんでした。国仲先生は日曜日、高校生を連れて米軍から払い下げられたトラックに乗せ、南静園に行き、ハンセン病の人々と共に賛美し礼拝をしました。そして国仲先生は約2年半の伝道生活でしたが、40歳で結核により天に召されました。最期に「私の骨は南静園の療養の友と一緒に葬ってほしい」ということで、今もこちらで眠っています。国仲先生は戦争の後、絶望の状況にあった沖縄の宮古島で希望のメッセージを伝え、今もその希望の光は消されることはありません。絶望の中でも希望を見失わないその力はどこからやってきたのでしょうか?今日はそのことをみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

 6月は「ペンテコステ(聖霊降臨日)」です。「ペンテコステ」はギリシャ語で「50」という意味を持ち、イエスさまが十字架につけられたその翌日の日曜日から50日、7週数えて50日目の日曜日を「ペンテコステ」と呼び、もともとは小麦の収穫のお祝いのお祭りの日です。イエスさまが生まれたクリスマス、そしてイエスさまが十字架につけられ復活したイースターと並んで、ペンテコステはキリスト教の3つの大きなお祝いの日で、この日にイエスさまの聖霊が降り、教会が生まれました。ペンテコステは全世界の教会のお誕生日です。イエスさまはイースターで復活して、なぜこのペンテコステにまた大好きなお弟子さんたちと離れて、天に行かれたのかと考えると、とても不思議です。イエスさまは「必ずみんなに聖霊を与えるよ」と約束されました。「聖霊」はあまり聞きなれない言葉、そしてわかるようなわからないような不思議なイメージがあるかもしれません。

 簡単に言えば、「聖霊」とは見えない形で人間をふるい立たせる神さまの愛情、全ての違いを乗り越える力です。その聖霊を受けることでわたしたちの生き方は大きく、また良いものに変わっていくエネルギーそのものと言ってもいいでしょう。その力は地上でイエスさまとお弟子さんたちだけが活躍するより、聖霊としてもっと大きな働きができるのです。

 神様は目には見ることができないけれど、確かに自分のそばにいて、あったかさを感じることができる。キリスト教では、目には見えないけれどいつも私たちのそばにいる神様の力やエネルギーのことを聖霊と言います。

 聖霊はもともと聖書が書かれた原語のヘブライ語では「息」や「風」とも訳します。聖霊は息や風と同じですので、感じるものです。目には見えない神様の力の働きです。聖霊を考える上で、もっとわかりやすく息や風についてイメージしてみましょう。息は人間が生きる上で絶対欠かせないものです。息ができなくなるとそこで人生が終わってしまうように息は命の源です。そして息には人々を互いに結び合わせる働きをします。息と共に空中に出された声が他の人に届き、言葉を聞き、同じ気持ちを共有します。そして風も目には見えないけれど感じられるものです。そして風を捕まえようと思ってもそれは手をすり抜けてしまいます。風にはさまざまな種類があります。そよ風もあれば台風も。風の働きはものを同じ方向に動かすエネルギーを持っています。帆を張ったヨットは風に流されて動くように、です。そのイメージからすると聖霊は私たちに命を方向性を与え、元気づけて先へ前進する力を持っていることがわかります。そうそれは何にもまして聖霊がすでに与えられ、私たちの心になみなみと注がれているからです。

 「聖霊に満たされ」とは、イエス様がわたしの身体の中に住み、どんなときも一緒にいてくださるという、揺るぎない確信そのものです。神様の大きな愛の力そのものです。お弟子さんたちに降った聖霊の力は、今もなお私たちの心と身体に留まり、いつも一緒にいて、生きる力そのものを与え続けてくれているのです。聖霊は私たち一人一人の幸せをいつも願っていて、今よりももっとより良くなるために働いてくれています。神様のエネルギーは自分の心の奥深いところ、誰にも見せられないような自分のドロドロしたところにもスッと入ってきて、自分の心と身体の内側から、励まして、元気をくれる愛のエネルギーそのものです。そんなあったかい力を受けて、私たちは今日も生きていくことができるのだと思います。人生には何か決断をしなければならない時、勇気を持って行動しなければならないときがあります。また、苦しくて立ち上がれないと感じるときもあるでしょう。でもそんな時に神様の愛のエネルギーは自分の中に入ってきて、「どんな時も一緒だよ。あなたを見捨てないよ。一緒に頑張ろうよ」と励ましてくれているのです。聖霊は時間や場所を越え、今でもわたしたちに与えられています。神さまから与えられた聖霊の温かさをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。この世界は神の愛に包まれています。だからこそ、教会はいまもここに建っているのです。みんなで全世界の教会のお誕生日をお祝いしましょう。

 

 

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