みんな極めて良い
聖書個所:
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった。」
創世記1章31節
日本キリスト教団派遣宣教師
アメリカ合同教会・シカモア組合教会日語部
牧師 石田求
アメリカ合同教会・シカモア組合教会日語牧師の石田求です。私は日本基督教団から宣教師として北カリフォルニアにある日系教会に派遣されています。
私は2020年4月にアメリカに派遣される予定でしたが、全世界がコロナ禍の影響を受ける中、私も予定通りに渡米することができなくなりました。約一年の待機期間を経て、2021年2月末にようやく渡米することができました。
私がアメリカに来た当初、新型コロナウイルスの発生源をめぐって、アジアンヘイトが至るところで起こっていました。私の住んでいる近所でも事件が発生し、来て早々不安を覚える日々が続きました。アメリカでは今でも人種差別が根深く残っています。しかし、それはアメリカに限らず、日本も同じです。全世界で差別や偏見に晒される人々が大勢います。この悲しい現実を生み出しているのは、紛れもない人間です。
神はこの世界をどのように感じているでしょうか。聖書によるとこの世界は神によって創造されたとあります。神が人間を造った時、祝福の言葉をかけました。そしてその後、これまで造ったすべてのものを見て「極めて良かった」と言いました。これも祝福の言葉です。「極めて良かった」というのは、「これ以上ないほどに良い、素晴らしい、最高だ」という意味です。だから人間も造られた時から、「あなたは最高に素晴らしい」と神に思われている存在なのです。
祝福は相手の存在を受け止め、素晴らしさを認めていくことです。その祝福とは反対の言葉のことを聖書は「呪い」と言います。祝福の意味の反対なので、呪いは「あなたは悪い、必要ない、良くない」という意味になります。この世界は祝福の言葉よりも呪いの言葉を耳にすることの方が多いように思います。相手の存在を否定し、傷つけるような言葉を多く聞きます。この世界は祝福の内に造られたはずなのに。
神は造ったものすべてを良いと言われました。それは、神が私たち一人ひとりを丁寧に、一人ずつ形作ってくださったからです。全世界を見ても同じ人は一人としていません。全員が違います。神はその違いをもすべて含めて良いと言ってくださっています。
しかし、神が造られた良いものを、悪いものへと変えてしまうのが人間です。それでは、神は失敗作として人間を造ったのかと言われるかもしれません。決してそうではありません。様々な違い、人の弱さも含めて神は良いと言って造ってくださいました。しかし、人間は違いや弱さばかりを気にしてしまいます。神が良いと思って造られた部分を、弱さにしてしまうのが人間なのです。
私たちは神に良い、素晴らしい存在として造られたはずなのに、一人ひとり違いがあって足りないところを補い合って生きていく存在なのに、人間は違いや弱さを認めようとしません。それによって優劣をつけ、このような悲しい現実を生きる者となってしまいました。神はこの世界をどのように感じているでしょうか。
私たちが生きている社会は何でも「できる」ことが求められます。それを「行いの価値」と言います。何か「できる」こと、能力がその人の価値を決定する社会です。この社会おいて「できない」人は軽んじられ、排除されてしまうのが現状です。しかし、私たちにとって本当に大切なのは「存在の価値」です。それは何かが「できる」から価値があるというのではなく、「あなたがいること」に価値があるということです。何か「できる」から大切にするのではなく、目の前にいる「あなたという存在」を大切にすることが、神が創造された祝福の世界なのです。
どのような私でも神は祝福し、良い、素晴らしいと言ってくださっています。そして私たちの隣にいる人のことも、全世界の人のことも神はそのように思っています。私たち全員が神から祝福された存在なのです。しかし、私たちの世界はその祝福を失いかけています。私たちの世界は呪いの言葉であふれています。私たちが神の祝福を取り戻すために、身近なところから私たちのできることを始めていきたいと思います。
そしてこの世界から差別や偏見、暴力がなくなり、一人ひとりの存在を喜び合う世界を形作っていきたいと願います。私たちは決して失敗作ではありません。「みんな極めて良い」という神の思いがすべての人に届くことを心から願っています。