明治学院の創立者の一人であるJ・C・ヘボン(James Curtis Hepburn)博士がアメリカのペンシルベニア州ミルトンで誕生したのが1815年、生誕から204周年になります。
ヘボンの母は外国伝道に関心を抱いて『ミッショナリー・ヘラルド』という宣教師向けの雑誌を購読し、ヘボンも小さい頃からその雑誌をよく読んでいたとのことです。16歳でプリンストン大学の3年に編入し、そこでラテン語、ギリシャ語、ヘブル語を習得しましたが、これが日本語訳聖書をつくる際に、役立つことになるのです。
ヘボンは、さらにペンシルバニア大学医学科に入り、1836年には医学博士の学位を授与されました。卒業後、開業医をしていたヘボンは、生涯の伴侶であるクララ・メリー・リート(Clarissa Maria Leete)と出会い、東洋に福音を伝える使命感を確かめ合って結婚いたします。そして、1841年、米国海外伝道協会の要請を受け、新婚旅行を兼ねてシンガポールに旅立ちます。シンガポール、アモイ、マカオに滞在しますが、クララが健康を害したため、ニューヨークに帰国します。1846年にニューヨークで再び開業しますが、人柄と治療の確かさで4つの病院が繁盛し、当時、ニューヨークで五本の指に入るほどの大金持ちであったと言われています。
そのヘボンは、1883(明治16)年、68歳の時に、次のような手紙を記しています。
「かつてわたしが、この未知の国に向かって行こうとして、ニューヨークでの富と楽しみと栄達のあらゆる望みを振り捨てたときに、多くの人々は、私を愚か者だとあざ笑いました。けれどもわたしは一時たりとも、そのことを後悔したことはありません。これに対してのわれらの主の約束は、わたしの場合には、満たされてなお余りあります。主は実に私に対して恵み深く、親切であり、またいつくしみ深くありました。ですから、わたしは主の助けによって死ぬまで主に仕えてきたのです。こうした奉仕のうちに年老いていくことは、何と嬉しいことではありませんか」(高谷道男編訳『ヘボン書簡集』岩波書店、1959年)。
1859(安政6)年に宣教医として来日したヘボンは、庶民の使う日本語に関心を持ちました。ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語、マレー語、中国語をすでに習得していましたが、日本語は難しかったようです。特に、英米人の参考となる辞書がなく、まず辞書作りを目ざしました。ヘボンは散歩に手帳を持ち、いつも「コレハ、ナンデスカ?」と聞き、手帳に書き留めていたと言います。このようにして日本語を編集し、1867(慶応3)年に『和英語林集成』(A JAPANESE AND ENGLISH DICTIONARY 1867 )という本格的な和英・英和辞典が完成します。この『和英語林集成』は版を重ねますが、3版から用いられた表記がヘボン式ローマ字として世界各国の人の発音可能なものになるのです。
1886(明治19)年に3版以降の版権を譲り、その代金2千ドルをヘボン塾から発展した明治学院に寄付し、これにより明治学院に初代ヘボン館が建てられます。
また、「何とかして一日でも早く日本人の手に聖書を持たせたい」と願い、ヘボン、S・R・ブラウン(Samuel Robbins Brown)、ジェームズ・バラ(John Craig Ballagh)夫妻、タムソン(David Thompson)、D・C・グリーン(Daniel Crosby Green)、奥野昌綱、高橋五郎らが協力して聖書の翻訳作業を進めます。そして、1880(明治13)年に新約聖書、1887(明治20)年に旧約聖書の翻訳が完成します。
さらに、1873(明治6)年の「キリシタン禁制高札撤去」後の1874(明治7)年、晴れて18名で横浜長老公会を設立します。これが現在の横浜指路教会で、シロとは「救い主」の意味があり、ヘボン夫妻の母教会Shiloh Churchから取られた名前と言われています。
このような目覚しい働きをしたヘボンですが、弟にあてた手紙で「自分はただ普通の能力と学識をもった一個の人間にすぎない。他の人がなし得ないようなことは何もやっていないのです」と謙虚に記しています。 (Kyodan Newsletterより)
いよいよ社会人生活がスタートした。しかも、初めて実家を離れての生活の始まりと同時に、である。千葉出身であるが、社会人のスタートは、遠く離れた高知で始められる。不安に感じることもあったし、神に揺さぶられていると感じることもあったが、礼拝で整えられた今は、神の導きに身を委ねるということを心底実感している。
就職先は、南国市にある教団関係学校の「清和女子高等学校」である。受け持つ教科は理科。小学校時代の理科の授業が楽しかったことがきっかけで、幼少期から理科の先生を目指していた。そういう意味では、幼少期の夢を、神の導きの中で見事実現させたということになる。
専門は化学。聖書(信仰)と化学の関係について、「神が創造されたピースを用いてパズルのように組み替える作業をするのが化学の世界だと思っている。パーツを生み出すのは神であり、聖書(信仰)と化学は矛盾なく両立する」と語る。
信仰生活は、順調と言えば順調だと感じている。教会へは、クリスチャンである母親のお腹にいたときに、生まれる前から連れて行ってもらっていた。中学2年で洗礼を受けた。母親は、教会生活について強制することはなかった。親の強制に反発をするという経験はない。強制されなかったことが、おそらく今後の教員としての歩みに生かされると考えている。
キリスト教主義学校に就職することができ、クリスチャンにとって最良の働き場が与えられたと神に感謝している。
ただ、だからと言って、必要以上に伝道、伝道と力んではいない。キリスト教主義学校で働くクリスチャンの教師として、自然体の自分の姿を証できればと思っている。
都会の教会で育った教会青年が、都会を離れて新しい信仰の歩みを始める。ハレルヤ。
1994年千葉市出身。美浜教会員。
総幹事の働きを担って1年がたった。それまで日曜日を中心に回る牧会生活から一変して、月曜日から金曜日までのサラリーマンのような生活に何か後ろめたさを感じながら、たくさんの委員会や海外出張など多くの人と出会い、目まぐるしく動き回るうちにあっという間に過ぎた1年間だった。
総幹事となって最も大きな意識変革は、一教会の牧師として教会員のことを配慮し、付帯施設のことや教区や近隣教会のことを配慮することを中心とした生活から、各教区や様々な団体から教団に送られてくる「通信」や「機関紙」に目を通して、それぞれの働きの様子にかなりの関心をもって時間を使うことである。以前は教会に送られてくる書類には、申し訳ないが多くは目を通さずにいたように思う。
また、教団の事務局、出版局、年金局の職員が毎朝礼拝をもって一日を始めるが、その際に「信徒の友」の日毎の糧にある「今日祈る教会」をあげて、それぞれの教会の現状と祈りの課題に心を合わせて祈っている。その教会に毎日励ましのはがきを書くことも大切な仕事になっており、また返事をいただくこともある。これも以前の生活では考えられなかったことである。
こうして、遅々たる歩みではあるが日本と世界の教会の宣教の現状と課題に耳を傾け、捉える視野が広げられていることに感謝している。 (教団総幹事 秋山 徹)
28:11婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
28:12そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。
28:14もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
28:15兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
28:16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
28:17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
28:18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
28:19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
28:20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
28:1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
28:2すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
28:3その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
28:4番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
28:5天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
28:6あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
28:7それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
28:8婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
28:10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
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