2011年3月11日、私は東京神学大学で執り行われていた先輩方の卒業式に出席していました。式が行われる礼拝堂は卒業生とその関係者で埋め尽くされていたので、2階の大教室に設置されたプロジェクター越しに中継される式の様子を他の学生たちと一緒に見ていました。当時の学長であった近藤勝彦牧師の式辞が始まってしばらくすると、激しい揺れに襲われ、床が抜けて下に落ちてしまうのではないかという恐怖を覚えました。仙台に住む親戚から電気・ガス・水道などのインフラがすべてとまり、自宅から避難していると知ったのは震災の2日後でした。
東京で私が恐怖を覚えたあの激しい揺れは、北関東の内陸にある群馬の地にも押し寄せ、震度5弱の地震によって、献堂から59年を経た原市教会の会堂にも被害が出ました。
原市教会は安中教会の枝教会として1886年に創立され、現在の会堂は1952年に完成・献堂されました。清水建設によって建設されたコンクリート造りの重厚な建物ですが、東日本大震災が起こる前から壁やトイレ、天井などがいたんでおりました。徐々に会堂の修繕を始めていたところ、東日本大震災による強い揺れに襲われました。
地震によって教会学校を行う小礼拝堂が潰れ、トイレ、壁、そして天井がますます傷みました。壁にもあちらこちらにひびが入りました。鑑定の結果、天井の修繕が急を要するとの報告を受け、役員会で議論を重ね、約1500万円をかけて天井や壁の補修とトイレの改修という大規模な修繕を決定しました。教会の維持のために積立てていた基本金から約800万円を用いることを決め、さらに教会内で400万円を目標に募金を呼びかけたところ、幸いにも早くに目標額に達しました。また、教団から被災教会と認定され、300万円を教団被災教会支援金より援助していただきました。被災地の教会を覚えて祈り、献金してくださった皆様に深く感謝を申し上げます。
修繕を終えた会堂では2014年に新しく牧師を招聘した際に就任式が執り行われました。また2016年10月9日には創立130周年記念礼拝が行われました。
原市教会では震災以降もクリスマス献金、教会バザーの収益、イースター献金の一部を東日本大震災、熊本地震、広島土砂災害などの被災地支援のために献げてきました。そしてこれからも、災害などによって困難にある教会や被災者を覚えて祈り、献金を献げていきます。「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように」(使徒言行録20・35)。この御言葉を生きる教会として、これからも主と共に歩んで参ります。
(関東教区・原市教会牧師)
宣教協力学校協議会は、これまで北米・英国の旧JNAC(日・北米宣教協力会)諸教会から宣教師を受け入れてきた諸学校で構成する協議会である。かつてはCoC関係学校協議会という名称だったが、旧CoC(内外協力会)の発展的解消により2007年に改称した。
宣教協力学校協議会の加盟校は40校あるが、現在、宣教師がいる学校は全体の3分の1に留まる。残りの3分の2は、宣教師不在にもかかわらず同協議会を支え続けている。脱退の意向を表明する加盟校が現れる中、協議会運営委員会は、小暮修也運営委員長(明治学院院長)を中心に何度も話し合い、宣教師不在校にも協議会加盟のメリットを感じられる働きを見出すこととした。
昨年の運営委員会で、宣教師不在校で宣教師が説教を行う提案があった。こうしてプロジェクトが動き出した。主催は同協議会、コーディネートを教団事務局が行った。対象校を同協議会の運営委員会が選び、対象校に実施日を割り出してもらい、説教を引き受けてもらえる宣教師を探し出した。
〈2016年実施校〉敬和学園高等学校=張仁惠宣教師。新島学園高等学校=リーディー宣教師。大阪女学院中学、大学・短大=メンセンディーク宣教師。山梨英和中学校=シェロ宣教師。〈2017年実施校〉とわの森三愛高校=クルマン宣教師。東洋英和中学・高校=ウェーラー宣教師。桜美林高等学校=ウミピグ・ジュリアン宣教師。清教学園高等学校=金鐘賢宣教師(KCCJ受け入れ宣教師)。福岡女学院中学・高校=ノリス宣教師。
宣教師の中には、学生寮に宿泊して生徒と交流したり、説教後に授業を受け持った方々もいた。宣教師との出会いは共感を生み、生徒は説教に聞き入り、宣教師も生徒も喜びを共にすることができた。多くの学校から再訪問の依頼をもらった。各訪問に教団事務局スタッフが同行した。
宣教師不在校のほとんどで不在となって10年以上経っている。当然、宣教師不在校と教団事務局との連絡は途切れている。しかし今回、教団事務局から同行することで関係が回復した。訪問した学校の中からは、宣教師新規派遣を希望する学校も現れている。信頼関係構築、関係回復を通して、主イエスの宣教の御業は前進する。
(髙田輝樹報)
本州最西端の町、下関は、関門海峡を挟んで眼前に九州、門司港が望める。国内外の船舶が往来したこの下関の中心街で、伊藤由紀子さんは、祖父の代からの骨董店を継ぎ、ギャラリー喫茶を営んでいる。
伊藤さんは、地元のミッションスクール、梅光女学院に進学し、キリスト教に出会う。当時の恩師、詩人の森田進氏が繰り返した聖句が、今も耳に残る。「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けよ」(フィリピ3・13)。卒業後は後ろのものを忘れた。美大進学のため上京するも、キリスト教を振り返ることはなかった。しかし、主は、伊藤さんを忘れなかった。美大を卒業して地元に帰ると、ふと教会へ足が向いた。就職し、病を得、紆余曲折あったが、「気づいたときには、洗礼の水がここ(頭)にあった」と笑う。伊藤さんの店は、常連客や梅光女学院OGの憩いの場だ。
伊藤さんは、被爆二世である。当時16歳だった母は、建物疎開に向かう途中、爆心地から2キロ地点で被爆した。気づくと蓮畑の中に倒れており、夢中で惨状から山へと逃れる。逃げ出す時に異臭がし、見ると自分の肩から煙が出ていた。川の方から「アイゴー」という呻き声がした。身体に火傷痕が残る母は、幼い伊藤さんに、生々しい被爆体験を繰り返し語り聞かせたが、そのトラウマから被爆の映像を見ることはなかった。
被爆影響の有無は、人生の時間をかけなければわからない。被爆二世であることを打ち明けると離れ去る人もいた。ひたすら「前のものに全身を向け」た。結婚には被爆二世であることを告げ、受け入れられたが、「自分の中に悪いものがある」という感覚は消えず、出産の度に子の健康に不安を抱いた。この不安は多くの人々の中で生き続け、また新たに生み出されている。原発や核実験の報道の中、映像には現れない、見えざる不安を負う人々と連帯したいと伊藤さんは語り、祈る。
ギャラリー喫茶「ギャラリー茶々」店主。下関教会員。
寒さの時、教会の庭で土から芽を出している植物がある。よく見ればあちこちに、蕾をつけて咲き始めている草花がある。蒼々とした葉を冷たい風の中に揺らしているものもある。四季折々の庭の風景として見れば当然の姿である。しかし僅かな寒さに震えている私からすれば、一つ一つが不思議な光景であり、“神様の為さることは本当に素晴らしい”と、あらためて思う。もちろん葉を落とした木々も既に春の準備を終え、枝先に堅い花芽や新芽をつけている。
教会はこの季節、主の御降誕を祝い、やがてレントへと向かう。クリスマスの喜びは十字架の贖いへと私たちを導き、飼い葉桶のキリストはその命の温もりで私たちの存在に力を与えられるのである。私たちを復活の命に生かし、神の国の住人とするために主イエスは来られ、私たちの中を歩んでくださった。教会はこの救い主を宣べ伝え、世の人々に仕えて、主を証していく。その旅路には困難が繰り返し襲っている。厳しい現実の中で身動きが取れないような時もある。しかし、教会はその嵐の中で、喜びを歌い続けてきた。主の救いにあずかった喜び、主と共に歩む喜び、主の再臨に向けて使命に生きる喜びである。
この季節、将来への備えを為す木々は堅い年輪をその身に刻む。教会も堅い信仰の年輪を刻みながら、神の御業を見せて頂き、共に働く時を過ごしたい。(教団総会副議長 佐々木美知夫)
51:12 わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか/死ぬべき人、草にも等しい人の子を。
51:13 なぜ、あなたは自分の造り主を忘れ/天を広げ、地の基を据えられた主を忘れ/滅びに向かう者のように/苦痛を与える者の怒りを/常に恐れてやまないのか。苦痛を与える者の怒りはどこにあるのか。
51:14 かがみ込んでいる者は速やかに解き放たれ/もはや死ぬことも滅びることもなく/パンの欠けることもない。
51:15 わたしは主、あなたの神/海をかきたて、波を騒がせるもの/その御名は万軍の主。
51:16 わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ/わたしの手の陰であなたを覆う。わたしは天を延べ、地の基を据え/シオンよ、あなたはわたしの民、と言う。
51:17 目覚めよ、目覚めよ/立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み/よろめかす大杯を飲み干した都よ。
51:18 彼女の産んだ子らは、だれも導き手とならず/育てた子らは、だれも彼女の手を取って支えない。
51:19 二組の災いがあなたを襲った。誰があなたのために嘆くであろうか。破壊と破滅、飢饉と剣。誰があなたを慰めるであろうか。
51:20 どの街角にもあなたの子らが力尽きて伏している/網にかかったかもしかのように。主の憤り、あなたの神のとがめに満たされて。
51:21 それゆえ、これを聞くがよい/酒によらずに酔い、苦しむ者よ。
51:22 あなたの主なる神/御自分の民の訴えを取り上げられる主は/こう言われる。見よ、よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。わたしの憤りの大杯を/あなたは再び飲むことはない。
51:23 あなたを責める者の手にわたしはそれを置く。彼らはあなたに言った。「ひれ伏せ、踏み越えて行くから」と。あなたは背中を地面のように、通りのようにして/踏み越える者にまかせた。
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