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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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2018年度日本基督教団エキュメニカル協力奨学金のご案内

2018年1月29日

主の御名を賛美いたします

2018年度日本基督教団エキュメニカル協力奨学金のご案内です。

この奨学金は、2007年に解散した宣教協力協議会(CoC)の留学生奨学金制度を受け継ぎ2008年に設置されたもので、毎年1名〜2名に支給されております。

今年も公募を始めましたので、ご案内申し上げます。

<奨学金>

・支給する奨学金は、一人あたり36万円を上限とし、日本基督教団国際関係委員会の定める額とする。

・奨学金の送金は2018年7月までに行う。

・奨学金の送金は、奨学生の研究・研修機関を通じて行う。

 

<申し込み方法>

所定の申し込み用紙に必要事項を記入の上、研究・研修機関を通して、2018年5月7日月曜日(必着)までに下記に提出する。

申し込み先:〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18

日本基督教団事務局 国際関係委員会宛

 

<提出書類>

(1) 願書

(2) 履歴書

(3) 本国の所属教会からの推薦状

(4) 日本における出席教会の牧師の推薦状

但し、教会は日本基督教団・在日大韓基督教会[KCCJ]に限る

(5) 研修機関からの推薦状(教授またはそれに準ずる者)

(6) 研修計画書(留学目的、留学機関、期間等を詳細かつ具体的に記載すること)

(7) 資金計画書(学費、自己負担金、希望奨学金額を詳細に記載すること)

 

<詳細及び申込書一式>

・募集要項

・申込書一式

 

<規約一部抜粋>

第一条 目的

JNACの世界宣教協力の意志を受け継ぎ、広い意味でエキュメニカルな相互理解と宣教協力に資するために日本において研究・研修に従事するアジア地域等からの留学生を支援する。

 

第二条 資金

1)「世界宣教の日」献金からの繰入金

2)在北米関係教会からの献金および日本国内の献金によるCoC奨学金基金

3)その他

第四条 申請資格

奨学金に申請しようとする者は、以下の各号をすべて満たすものとする。

1)アジア地域等から日本へ留学しているキリスト者。

2)既に日本に滞在して研究・研修に従事している者。

3)日本において日本基督教団、在日大韓基督教会のいずれかの教会に出席している者。

4)日本において、また母国において、エキュメニカルな宣教協力に貢献する志をもつ者。

 

ご応募お待ちしております。

<お問い合わせ>

ecumeni-c@uccj.org 或いは 03-3202-0544まで

 

募集要項・申込書類

1:1 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であった。
1:2 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、
1:3 更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで続いた。
1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ/主はわたしに言われた。「見よ、わたしはあなたの口に/わたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに/諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために。」

2018年1月28日

4:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
4:2 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
4:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
4:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
4:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
4:9 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

2018年1月27日

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして/その民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとし/わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も/年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ/百歳に達しない者は呪われた者とされる。彼らは家を建てて住み/ぶどうを植えてその実を食べる。彼らが建てたものに他国人が住むことはなく/彼らが植えたものを/他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり/わたしに選ばれた者らは/彼らの手の業にまさって長らえる。彼らは無駄に労することなく/生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に/主に祝福された者の一族となる。 彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え/まだ語りかけている間に、聞き届ける。狼と小羊は共に草をはみ/獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物とし/わたしの聖なる山のどこにおいても/害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。《イザヤ書65章17~25節》

崩れに沈む民—神の怒り
 2018年の新しい歩みが始まった。

 新しい年に「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」(イザヤ書65・17)との御言葉が示された。崩れて行く、この崩れに沈む民に、希望の言葉が響きわたる。

 「わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する」(同18節)。

 新しい天と地、そして、人間の創造の主の言葉が示されている。

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31)。神が造られた極めて良い世界は、崩され続けてきた。

 旧約聖書の示す主の民の歴史は、「神が喜び楽しむ民」ではなく、最後には「主の怒りが燃え上がる」罪の歴史を歩んでしまう。

 出エジプトの民を主は「聖なる神の民」として選ばれ、「わたしの宝」と神は喜び、愛し支えられた。

 しかし、聖なる民の歴史は、神への信仰が崩れ続け、最後には神の怒りが燃え上がる歴史を重ねて来た。

 神の怒りが燃え上がる崩れの極限で神の愛が燃え上がり、新しい世界と新しい人間の創造の御業が示される。

 

崩れの奥底に横たわる主イエスの死—福音の純化
 2017年11月23日、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会共同開催の宗教改革500周年記念礼拝とシンポジウムがカトリック浦上教会で開催され、招待を受けて参加し、その礼拝に感動し、協議会の発題に感動した。

 特に「『長崎の声』—苦難の歴史を踏まえて」として、橋本勲カトリック中町教会主任司祭の言葉に魅せられ深く教えられた。プロテスタントが「福音のみ」ならば、カトリックは「福音化」だ。「信仰の一番搾り」をと、ビールの銘柄を連想させながらユーモアたっぷりに語った。

 「ルターも『聖書のみ』という主張をもって贖宥状(免罪符)など、あまりに人工添加物が付き過ぎた教会の現状を眺め、イエス・キリストへの純化を目指したものと思われる。これらの言葉を頼りに、崩れすなわち福音化の実態に迫ってみたい。それがすなわち平和づくりにつながる」と述べ、浦上崩れの話をした。「崩れの時は福音の純化の時」として語られる。

 カトリックで崩れと言えば、「浦上四番崩れ」として知られている。浦上村はキリシタンの村だ。浦上キリシタンは3度の弾圧を受ける。弾圧は「浦上一番崩れ、二番崩れ、三番崩れ」と呼ばれる。そして「四番崩れ」は特別に強調されている。崩れが福音の純化をもたらしたからだ。三番崩れまでは信仰を隠していた。しかし、浦上四番崩れにおいては信仰を鮮明にして檀家寺から離れて、独自に葬儀をしたり、キリスト者であることを隠さなくなった。それで、激しい弾圧があり、キリスト者は「殉教するか、信仰を隠して隠れキリシタンとして生きるか、棄教するか」の決断を迫られ多数の殉教者が出た。

 そして、長崎原爆を「浦上五番崩れ」として話された。

 

崩れの極限で、神の愛が燃え上がる
 作家永見津平は長崎原爆を扱った小説のタイトルを「長崎五番崩れ」とした。永見はキリスト者ではない。長崎原爆はキリスト教の視点で見なければ理解できないと言った。橋本司祭は「異論もあるかもしれないが」と断りながら、「原爆は、キリシタン村である浦上に落とされた。浦上教会は原爆投下地点から500メートルのところにあり破壊された。凄まじい破壊を五番崩れとして崩れの極限として見つめるようになった。『崩れ』の究極的奥底にイエス・キリストの死をイメージし、死、この極限の崩れは、復活の希望へとつながる。キリスト、この一点へと搾り信仰を純化する。原爆の凄まじさは、社会の崩れをも意味し、崩れの極限においてキリストの十字架が示され、十字架は復活の希望を指し示す。原爆が爆発した罪の極限で、キリストの十字架の愛が爆発し、世界に和解と平和と希望が指し示された」と語った。

 原爆は崩れの極限であり、人間の罪の極限であり、社会の崩れの極限である。神の怒りが燃え上がるところで、キリストの十字架と復活によって神の愛が燃え上がって、「新しい天と地、そして新しい人間」が創造される。「神が喜び楽しんでくださる人」の創造だ。教会の礼拝は「新しく創造された天地」につながる。新しい天と地の永遠の命をいただいて、礼拝を捧げる主の民を「主は喜び楽しんでくださる。だから。喜び踊れ」との御言葉が新しい年に響く。

 「宗教改革500年共同記念集会」では、ルターの「この世を動かす力は希望である」と示されていた。主イエスの十字架と復活、ただ一点に信仰が純化されて真の希望を指し示す伝道の業に取り組みたい。 (第40教団総会議長・越谷教会牧師)

主が建てられた教会を信じる 別府不老町教会
 熊本地震によって被災した緒教会の復興のために祈り、支えくださり、心より感謝する。主の憐れみと皆様の支援がなければ、復興の道筋は到底見出すことができないものだった。改めて、祈られ、支えられている幸いと喜びを心に刻むものである。

 震災以後、別府不老町教会は礼拝堂が使用できなくなり、礼拝堂の建て直しを決議して歩んできた。しかし、以前に行った建築の借入金も完済しておらず、資金の目途がまったく立っていないなかで、計画を進めることになった。日々不安や恐れとの戦いがあり、「神を信頼するか」、「主が建てられた教会を信じるか」が大きく問われることとなった。

 資金が足りなかったときのための資金繰りに頭を悩ませていたが、主なる神と主の教会は私たちの信頼に応えてくださった。

 九州教区の執行部、教団の会堂等復興支援委員会、教団伝道委員会が祈りをもって配慮くださり、復興支援金や借入金の拠出を迅速に承認くださったことで、大きく復興への前途が開けた。ただ感謝あるのみである。

 12月現在の時点で新礼拝堂の外観はほぼ出来上がり、内部の工事に取り組んでいる。除却される旧礼拝堂を見たときは、ローマ兵に痛めつけられた主イエスの御体を想起させられ、涙が出た。しかし、新しい会堂が建ち上がっていく姿に、復活の新しい朝の喜びを予感している。クリスマスを祝うこの時に、死と復活をもって私たちの歴史を新たにしてくださるキリストの聖なる愛を思いめぐらしている。

 今後、長らく借入金の返済を担わなくてはならないが、「主の山に備えあり」の信仰をもって、主のご計画に仕えていく所存である。

 改めて、皆様の祈りと支援に深甚の感謝を表したい。
(齋藤真行報/別府不老町教会牧師)

 

諸教会の祈りの結実 隈府教会
 2016年4月14~16日にかけて発生した2回の震度7を中心とする一連の熊本地震は、熊本、大分両県にまたがり甚大な被害をもたらした。いち早く日本基督教団による被災教会会堂等再建募金が展開され、多くの献金が献げられていることを、まずこの場を借りて感謝申し上げる。

 震災から間もなく丸2年となるが、被災地にある教会の再建はなお道半ばというのが現状である。業者の不足、資材の高騰等の影響も大きいと思われる。どうか引き続き被災地を覚えて祈ってくださるようお願い申し上げる。

 そういう中で、2017年2月、隈府教会は新会堂の建築を決議した。すでに築80年以上と老朽化の問題があったが、地震による被害も甚大で、専門家による被災度区分判定では「中破」の診断を受けた。それでも毎週10名前後の会衆が礼拝をまもり続けており、その安全な礼拝の場所を確保するためにも祈りつつこの決断に至った次第である。

 早速、地元の業者に依頼、9月に着工、12月には完成、引き渡しという運びになった。礼拝堂だけの小さな会堂であるが、木のぬくもりを感じる落ち着いた作りである。

 礼拝堂正面の十字架は、その歴史と苦労を忘れないため、旧会堂の床柱を加工して据えた。昨年のクリスマスは、新しい会堂で感謝のうちに祝うことができた。クリスマスは神さまの愛の結実であるが、この会堂も被災地を覚え祈ってくださった全国諸教会の祈りの結実である。

 隈府教会は、旧メソジスト教会の伝統に立ち、今年2018年には伝道開始120周年を迎える。教会のある熊本県北東部(菊池、阿蘇)の地域は、プロテスタント教会の空白地帯であり、日本基督教団九州教区熊本地区としても、隈府教会をこの地域の伝道の拠点となる教会として位置付けている。

 礼拝堂が整備されて、この地域への伝道がますます進展していくことを期待している。 (川島直道報/隈府教会牧師〈代務〉)

 

新会堂にてクリスマス礼拝を祝う 由布院教会
 2016年の地震以来会堂の再建に取り組んできたが、ついに2017年11月に工事完了にて引渡しを受けた。新会堂で捧げる礼拝は、いろいろ不慣れなところがあって多少戸惑いもあったが、感謝に満たされた。クリスマスに間に合ったことを心から喜びつつ、教会員そして保育園の職員ともにクリスマスの準備に励んだ。

 12月16日には隣接の聖愛保育園のクリスマス祝会が行われた。たくさんの保護者の見守る中、子どもたちが元気いっぱい歌や踊りやページェントを披露した。立ち見の方もいたが、新会堂は明るくて快適である、と好評だった。

 12月24日は、クリスマス礼拝を祝った。隠退教師の佐藤孝義先生に説教・聖餐の奉仕をしてもらった。力強い説教の言葉に会堂建築の労が癒された。新会堂で初めての聖餐の恵みを味わう幸いを得ることができた。

 その日の夜に、クリスマス・イブ燭火礼拝を祝った。教会員・保育園の職員に加えて町の人たちの参加があった。おごそかな雰囲気に満たされて御子の誕生の喜びをともにすることができた。

 その翌日25日には、教会学校クリスマス会が行われた。大人と子ども合わせて109名の参加者が与えられた。聖愛保育園の卒園児、地元の児童クラブの小学生たちが参加した。子どもたちといっしょに礼拝を捧げた後、ゲームを楽しんだ。みな満足そうな様子で帰っていった。

 一昨年、2016年のクリスマスは、保育園の一室や地元の社協の会議室を間借りして行った。それと比べて、新会堂で過ごすことのできた今年のクリスマスは、やはり充実していたと感じられる。ここまで来るのは大変であったが、これも、神様の導きと、皆様の祈りと多大な支援のおかげである。心から感謝するものである。
(黒田恭介報/由布院教会牧師)

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