10月17~18日、統一原理問題全国連絡会が全国35名の代表を集め(内3名は仏教界、3名は他教派から参加)教団4階会議室で開催された。
昨年の連絡会は9月3日に統一協会教組文鮮明が死去、6~14日にわたって「聖和式」(葬儀)が行われている最中での開催であったが、その後の統一協会内の混乱が始まっている(後継者であった息子たちの失脚、集団結婚式を嫌がり家出する二世の日本人信者続出、中心地韓国清平での日本人女性信者焼身自殺、腐敗幹部に抗議しての献金拒否運動…等)中での開催となった。
曹洞宗龍潭寺住職別府良孝師「統一協会に協力する聖職者達」と、日本聖公会の練馬聖ガブリエル教会卓志雄司祭「日本における韓国カルト集団の起源と現状」の講演がなされた。
別府師は、文鮮明「聖和式」委員として宗教界から多くの聖職者たちが名を連ねている実態を協会側の具体的資料を証拠に指摘。
更に、写真誌「FLASH」13年3月26日号にスクープされた、実質上統一協会主催で靖国神社で行われた「戦没者と東日本大震災犠牲者の追悼慰霊祭」(3月8日開催。実態は「文鮮明慰霊祭」)に、同じ顔ぶれが参加している問題を報告。この「聖職者たちはカルト現象の源流を創っている」と述べた。
特に何度も登場する確信犯的協力聖職者(僧30、神官20、牧師・司祭・その他新宗教27)の内、神道・仏教界に関しては既に別府師たちが抗議し、具体的指導や処分が行われていること、聖公会や他のキリスト教界でもそうした動きが進められている中で、「日本基督教団牧師」を名乗っている教職をどうするのかと問うた。
この問題については当該教師の所属教区と教団を中心に具体的対応を検討することとなった。
卓司祭は、教組死去後の統一協会の現状と、韓国生まれである「摂理」、「喜びのニュース宣教会」、「タラッパン」、「ハナ二ム(神様)の教会」、「新天地」…といったカルト集団の歴史的背景と実態を報告した他、こうしたカルト集団との訣別をめぐって、教派分裂やこれまで非韓国NCC系であった主要教派が韓国NCC系に立場表明するというパラダイム転換現象が韓国キリスト教界で起こりつつあることをリポートした。(小海基報)
野田文子氏(隠退教師)
13年10月25日逝去、89歳。東京都に生まれる。’55年日本聖書神学校を卒業。’57年新丸子教会に赴任、’97年まで牧会し、隠退した。
遺族は夫・野田市朗さん。
大木英二氏(隠退教師)
13年11月1日逝去、91歳。栃木県に生まれる。’50年受允、足利東教会に赴任、’54年受按、大館教会、弘前教会、日下部教会を経て、’92年まで花輪教会を牧会し、隠退した。
遺族は息・大木愛一さん。
「救いの泉」として働きを担う
東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」開所式が11月1日、東北教区センターにて行われた。開会礼拝として小西望東北教区議長により、イザヤ書第12章1節以下が説き明かされ、我々の罪としての原発の問題と関わりながら、「救いの泉」から御恵みを汲む放射能問題支援対策室「いずみ」の働きが示された。
続いて「いずみ」の顧問であり、みやぎ脱原発・風の会代表篠原弘典氏より、「福島原発事故による放射能被害と向きあうために」と題して記念講演会が行われた。
原発事故による放射能被害の現状が語られ、またそのことに対しての政府の見解の問題点も明らかにされた。「1990年、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告は、一般人年間被曝限度を1ミリシーベルトとしました。それは1900年代から続けられて来た放射線研究によって示された数値であります。100年間の歴史的研究成果として示されたこの数値であるにもかかわらず、福島第一原発事故後、政府は原発政策を守るために、一般人年間被曝限度を20ミリシーベルトに吊り上げました」。
そのような歴史の積み重ねが無視されることに憤りを感じ、その危険性に敏感であるべきだと思わされた。
「『いずみ』は、高い線量の地域に暮らさざるを得ない子どもたちの5年後10年後にどのようなことが起こるのか、冷静な目と温かい目で見続けます。……データを取り、積み重ねて、起こっていることを判断し、どのように対処したら良いかを考えることを大切にします」と、まとめた。
その後、長崎哲夫教団総幹事、片岡輝美会津放射能情報センター代表、邑原宗男奥羽教区議長、吉田隆東北ヘルプ代表より、祝辞が述べられた。また、その他挨拶等がなされた。
篠原氏は「放射能は能動的な毒物だ」とも語った。原発を生み出した私たちの罪を改めて思う。悔い改めの心を持って、声を上げざるを得ない状況に置かれている人々、声を上げられない状況に置かれている人々に寄り添いつつ、「救いの泉」としての働きを共に担って行きたいと思わされた。参加者は47名であった。(石井佑二報)
10月25日、第38総会期第2回宣教師支援委員会が教団小会議室にて行われた。
加藤誠幹事より宣教師の人事について報告が行われ、その中で数名の宣教師の近況と、宣教師が日本で於かれている現状が明らかにされた。宣教師が着任した場合、担当幹事によって新任教師オリエンテーションが行われることとなっているが、その内容の充実や、現状の詳細な聞き取りが必要であることが確認された。
また、2013年宣教師会議についての評価と報告が行われ、その中で若い宣教師と年配の宣教師の間にギャップが生じてきていること、英語圏から来た宣教師と、それ以外の宣教師の間でコミュニケーションに限界があることなどが報告され、今後の開催の課題として考えて行くこととなった。また、今後はその会議の中で宣教師支援委員会についてアピールをし、サポートについて紹介することとなった。
その流れを受けて、現在、日本の各地に諸外国からの宣教師が来ており、特に地方に赴任した宣教師は孤独になりがちである現状が紹介され、サポートを充実させることだけでなく、サポートのための機関があることも知ってもらう必要があることが確認され、その方法が検討された。
加藤幹事からは、今後、委員に期待する働きについても、改めて説明があった。サポートを充実するためにも、すでに発行が決まっていた「Bulletin」のクリスマス号で、加藤幹事が委員会について紹介文を書くこと、委員の自己紹介文の掲載が行われることとなった。また、すでに行われている、宣教師就任の際の祝電、病気等の見舞いについてのフォローを事務局で行っていくことが確認された。その他の議題として、2013年宣教師会議の会計報告が承認された。
(辻順子報)
「この年になってやっと素直にすべてを神様に委ねることの意味がわかるようになった気がします。老いるということも良いことだと思います」と言われる小槻姉。
幼少期から虚弱で、家で座ってばかりいるような子どもだった彼女は、紙を触っているのが好きで、昔から真似事でちぎり絵をしていたそうです。しかし、今から30年ほど前にちぎり絵教室に通い始め、本格的な指導を受けられると、その才能が一気に開花し、多くの作品を生み出していかれました。それに当時の牧師が目を付け、彼女に12種類の花のちぎり絵を作ってもらい、それに聖句を添えたきれいな絵はがきを作成しました。これは、当時の厳しい教会財政を支えるための教会オリジナル商品として販売され、大変好評を博しました。そして、今も誕生カードやお見舞いなどに用いられたりして、教会の貴重な伝道ツールになっています。
小槻姉には2人のご子息がおられますが、ご長男は高3の時に受洗すると、家族一人一人に熱心に伝道し、小槻姉のために小遣いを貯めて聖書・讃美歌を買ってこられたそうです。こうして小槻姉が受洗され、続いてご次男、そして最後にご主人が受洗し、家族全員がキリスト者となられたのです。
しかし、小槻さん一家の歩みは決して順風満帆ではありませんでした。失意のどん底に突き落とされるような経験もありました。そんな時にも祈りつつ開いた聖書の御言葉に励まされ、ご主人と「もし信仰が与えられなかったら、私たちの人生はうれしい時に喜び、苦しい時に悲しむだけの空しい人生に終わったでしょうね」、「ほんとにそうだ」と語り合えたことは感謝の日々だったと振り返られます。
教会の礼拝出席を願いつつも最近はなかなかそれが難しくなられましたが、ご自宅に伺うたびにいつも「主に感謝!」と言って、素敵な笑顔で迎えてくださる小槻姉です。
1921年、京都府船井郡(現南丹市)に生まれる。1967年、洛北教会にて受洗。
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