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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4788・89号】クリスマスメッセージ 邪魔が入るとき 楠本史郎

2013年12月21日

さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 《ルカによる福音書1章8〜13節》

予定通りにならない生活

 教務教師になって思うことの一つは、牧師館の生活は予定が立たなかったということです。

 牧師は仕事をたくさん抱えています。礼拝説教や聖書研究会、諸集会の準備があります。聖書を読み、注解書や関連する書物を調べます。一つ一つ心をこめて用意するには、かなり時間がかかります。他にも週報を作り、さまざまな原稿を書きます。家族のためにも時間を使います。

 けれども書斎にこもってばかりもいられません。教会員や求道者を訪ねます。病気の方を見舞います。さらに牧師館を訪ねる方もいます。予定はあっても、その通りにはなりません。まして、葬儀が入ると他の一切が止まってしまいます。牧師館の生活には、予定を乱すものが満ちています。

 

神が邪魔をなさるとき

 いいえ、神ご自身が邪魔をなさることもあるのです。ルカ福音書では、クリスマスの物語は、ザカリアという人の話から始まります。ザカリアは祭司です。エルサレムの神殿に勤めていました。エルサレム神殿は大きくて、祭司も、大勢います。それが何組にも分かれ、交替しながら礼拝をつかさどります。

 ザカリアの組が礼拝の当番だったときのことです。神殿の中央に聖所があります。そこには神がおられると信じられていました。特別に神聖な場所です。そこに入ることができるのは、一人の祭司だけです。クジで選ばれます。選ばれた祭司は、聖所に入り、決められた手順で香を焚き、祈りをささげます。光栄ある務めです。この時は、ザカリアがクジに当たりました。

 大切な務めに選ばれたのです。名誉なことです。一生に一度あるかどうか、一世一代の晴れ舞台です。ザカリアは緊張したことでしょう。決められた手順を何度も確認し、練習をします。その上で聖所に入り、儀式を始めます。

 ところがそこに天使が現れました。ザカリアは驚きます。こんなことになるとは、予想していませんでした。緊急事態です。それでも必死に、覚えたとおりの手順で儀式を進めようとします。そこへ、天使が話しかけてきます。「あなたに男の子が生まれる」と語ります。心が動揺します。「今はそれどころではない」と思ったことでしょう。頭の中はもう真っ白です。あんなに繰り返し覚えた手順がすっかり飛んでしまいます。分からなくなります。「お願いだから、邪魔しないで」と叫びたくなります。

 すると天使は言います。「あなたは、わたしの言うことを信じなかったから、子どもが生まれるまで、話すことができなくなる」。

 踏んだり蹴ったりとは、このことです。せっかく名誉ある務めをいただきました。それを邪魔され、きちんとできませんでした。そのうえ、話すこともできなくなりました。散々な目に遭います。しかしそれが、クリスマスの出来事の始まりでした。

 

そこから新しいことが始まる

 神が現れ、ザカリアの邪魔をなさいました。おかげで手順は混乱します。儀式は滅茶苦茶です。ザカリア自身、話をすることができなくなります。けれども、そこから新しいことが始まっていきます。

 ザカリアと妻エリサベトとの間には子どもがいません。そのまま夫婦は年を取りました。しかし神は「エリサベトから男の子が産まれる」とお告げになります。そのとおり、子どもが生まれます。それが、洗礼者ヨハネです。このヨハネが大きくなり、救い主が来られると告げます。人々の心を主イエスへと向けます。

 神が邪魔なさいました。そこから、救い主イエス・キリストの出来事が始まりました。クリスマスの物語が展開していきます。

 人は予定を立てます。仕事の段取りを立て、今日はこれをしよう、明日はこうしようと考えます。そのとおりできると満足します。でも実際にはそんなにうまくはいきません。邪魔が入ります。思ってもいなかったことが起こります。すると「あーあ」とため息をつきます。邪魔された、迷惑だと思います。けれどもそうなのでしょうか。

 ペニシリンという薬があります。これは偶然、見つかったそうです。菌を培養していたら、カビが生えてしまいました。もう使いものになりません。がっかりです。でもよく見ると、カビの周りは、病気の菌が少なくなっていました。菌を抑える働きがあると分かります。そこからペニシリンができました。さらに色々な抗生物質が生まれました。今では、欠かせない薬になっています。

 人が計画して、そのとおりにしているだけでは、新しいものは生まれません。邪魔が入ります。思いもよらないことが起きます。そこから新しいことが起こっていくのです。

 神が御子をお送りになります。地上の人間の許に御子が来られます。私たちの世界に神の手が入ります。人間にとってそれは邪魔です。思いどおりになりません。思ってもみないことが起こります。迷惑です。困惑します。

 けれども、そこから、まったく新しいことが始まります。人を罪から救い出し、暗闇から光へと導き出す、すばらしい救いが始まったのです。

 祭司ザカリアは、話すことができなくなりました。しかし翌年、ヨハネが生まれます。ヨハネは、救い主をお迎えする、大切な準備をする人になります。そのヨハネが生まれました。神が働き始められました。その時、ザカリアは話すことができるようになります。といっても、自分のことを話したのではありません。地上のことを語ったのでもありません。神をほめたたえます。主はすばらしいことをなさると告げるようになるのです。

 

すでに神の救いのみ業が

 綿密に予定を立てていたのに、邪魔が入ります。そのとき、私たちはため息をつきます。嫌になります。けれども実は、そこに神が働いておられます。新しいことを始めておられます。それを知るのがクリスマスです。

 もはやすでに、神の救いのみ業が始まっています。それを見つけます。そして主をほめたたえます。あのザカリアのように、主はすばらしいことをなさると、喜びの声をあげます。そのクリスマスを、教会の人たちと、町の人たちや子どもたちと一緒に迎えましょう。今年、主は何をしてくださるのでしょうか。楽しみです。
(北陸学院学院長)

東アジアで初の総会開催

 第10回WCC総会が10月30日~11月8日、韓国釜山のイベント会場BEXCOで開かれ、「命の神よ、正義と平和へと導いてください」をテーマに、世界のキリスト教界各派の代表が集まり、10日間の協議のときを持った。

 発展の目覚しい釜山の開発地域の中核にある壮大な会場を、アフリカ、アジア、カリブ海、ヨーロッパ、南米、中東、北米、太平洋地域の各国の顔、色とりどりの服装が埋め尽くし、会議の中にも歌や踊りのパフォーマンスも随所にあり、壮観だった。

 とりわけ、東アジアで開かれるはじめての総会とあって、韓国の国家と教会の力の入れようは大変なものだった。韓半島の分裂の問題など現在の韓国の状況を世界に知らせる機会が多く持たれた一方で、韓国の福音派の人々はWCC総会の開催に反対し、開会の前には1万人に及ぶ反対集会が行われたという。

 今回のWCC総会は韓国だけでなくアジア諸国のキリスト教会の存在感が大きくなっていることを証しする総会であったことは確かである。アジアは中国、インド、中東を含み、世界の人口の半分が住み、民族、文化、宗教の最も多様な地域、緊張をはらんだ地政学的状況、現在最も活発な経済成長を遂げている国々があり、その中でキリスト教も大きく成長し、環境破壊、社会格差、女性差別、貧困、等、教会が取り組むべき課題は大きく、宗教間対立も激しい。現代世界の縮図がここにある。このような状況のもとで韓国でWCC総会が開かれたことの意義は大きい。

 また、会場では正教会の独特の黒衣をまとった髭の司教たち、アフリカやカリブ海からのキリスト者も積極的に発言し、WCCがヨーロッパ、北米の白人を中心にしたプロテスタントのキリスト者の大会というイメージは今では全く違っていることが一目で知らされる。

 教団からは伊藤瑞男教団副議長が議席を持ち、加藤誠幹事がアドバイザー、筆者がオフィシャル・オブザーバーの立場で参加した。そのほか日本からは聖公会の西原廉太司祭、在日大韓教会の許伯基牧師、ハリストス正教会のディミトリイ田中仁一司祭が議員資格のある参加者、他にも東北ヘルプから、また、エキュメニカル委員会などから参加者もあったが、毎日5千人が動員されたという韓国のキリスト者の中に埋もれていた感は否めない。

 総会は、土日を除いて毎日午前8時30分の祈りとバイブルスタディーにはじまり、午後8時30分の祈りの時間まで12時間、その間に、5千人収容のオーディトリウムでプレナリーと称する全体会があり、各界からの挨拶や全体の報告などに続いて、ここでさまざまな主題が論じられ展開される。

 ここで論じられるテーマは、それに先立って「エキュメニカル対話」の時間があり、参加者が選ぶ「一致への呼びかけ、新しいエキュメニカルな景観」や「今日における伝道、弟子として従う新しい道」など、あらかじめ用意された21のテーマの下に150人~200人の分科会で協議される。そこで提案されたことが全体会の中で、またWCC総会の声明として公にされるのである。

 このほかに、「マダン(庭、広場)」と称する展示会場があり、世界の教会や宣教団体が各国や各地域で行っているさまざまな宣教、社会活動を紹介し、パフォーマンスも行うコーナーが87もあり、また別の会場でマダン・ワークショップが開かれる。このほかにビジネス・プレナリーで議長や総幹事の総括的な活動報告や中央委員の選挙、規則の改定、世界に発信する声明の協議、各委員会の報告などが行われる。

 このような構造において、現代世界のキリスト教界が行っている宣教活動の全体像が浮かび上がり、取り組むべき諸課題、向かうべき方向などが視野に入ってくる。会議の構造全体を把握し、主体的に参加するためには、かなりの予備的な知識を要する。

 WCCは、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」(エフェソ1・10)のみ言葉の約束と目標の実現に向かって目に見える一致を目指す集まりである。分かたれた教会が「一つの・聖なる・公同の・使徒的な教会」となっているか、キリストによって証しされた神の愛と義と赦しの福音を伝え、それに仕える者として証しし生きているかという根本的な問いかけが、様々な現代の状況と教会の戦いの現実の報告を伴って、すべてのテーマにおいて投げかけられた。

 今回の総会に先立ってWCCの信仰職制委員会より「共に命に向かって、変わりゆく状況の中での宣教」という基本文書が出されており、これに沿った議論が各テーマの中で展開されていた。

 ここで特に強調されたのは、宣教は命の創造者、救済者、保持者である三位一体の神の業であること、命がその充溢した豊かな形においてあることを認めることは、イエス・キリストの究極の関心事であり、宣教そのものであること、聖霊は命に力を注ぎ、すべての創造されたものを新しくし、命を破壊するすべての勢力に抵抗し変革する務めが与えられている。そのことのために教会は仕え証しする機関であること。聖霊によって導かれる宣教は、中心から周辺に向かう運動ではなく、辺境、周辺に追いやられたものから福音の真実の証しがなされるゆえに、辺境の状況に耳を傾けなければならないこと、などである。

 宣教は博愛の精神やヒューマニズムの共感において展開されるものではなく、三位一体論において展開され、特に聖霊の働きとしての宣教の強調が今回の大会の大きな進展であった。

 また、東日本大震災とフクシマの放射能汚染についての世界の関心は高かったが、核エネルギーと核兵器の使用について今総会からの声明を出すようにとのわれわれの願いは、中央委員会付託という形となった。

 毎回の全体会の初めにはイスラム教の代表者、ユダヤ教の代表者、パレスチナの教会の代表者、ローマ・カトリックの枢機卿、福音主義同盟の代表者などの挨拶があり、通り一遍の表敬ではなく、真の正義と平和による世界の一致に対する熱い願いが述べられたのは感動的であった。

 今日、エキュメニズムの衰退が論じられる中で、それでもWCCが現代世界のキリスト者の宣教と証しを推進してゆく中で重要な位置を占めていることを確認させられる。「伝道に熱く燃える教団」を目指すわが教団は、世界のキリスト教会の一つの枝として、全体が担っている課題と方向を見据えながら、自らが果たすべき持ち場を確実に担って行くことの大切さを思わされる。(秋山徹報)

 「ヨセフがいません!」ヨセフ役を担うことになった息子が教会のページェント練習初日を風邪で欠席したとき仲間が叫んだ言葉だそうだ。ヨセフが欠けても、マリアが欠けてもクリスマスはない。▼ページェントには、その他、当然、天使たち、羊飼いたち、東からの博士たちも登場する。加えて幼稚園のページェントには、皇帝の勅令を告知する兵士たち、救い主の父母となる夫婦がベツレヘムで訪ねる宿屋の役もある。どの役もクリスマスに必要とされている。▼子供たちには、救い主お誕生の喜びをたくさんの人たちに伝える役を、神様が皆にくださったのだ、と励ましている。ページェント当日、複数人で担う役は何とかなるとしても、一人役に欠席があると代役手配は大変だ。ひとりも休まず負った役割を果たしてもらいたい。▼使徒パウロは、目が手に向かってお前は要らないとは言えない、と仲違いするコリント教会に実に分かりやすく説いた。あの人は要らない、この人は要らないと言えず、主によって皆必要とされている。▼クリスマスの意味をたとえよく分からないで喜んでいる人たちが多くいるとしても、その人たちにも、主はあなたを必要としておられる、と伝えなくてはならない。クリスマスはすべての人たちに届いた喜びの知らせなのだ。

 11月7日、38総会期教団救援対策本部第10回(通算第27回)会議を、教団会議室にて開催した。

 まず、10月31日現在の国内募金総額が6億1973万6216円、海外からの献金は2億5555万3946円となっていることが感謝をもって報告された。

 続いて救援対策室から、救援対策本部会議予算の執行状況、UMCOR(アメリカ合同メソジスト教会海外災害支援部)への支援申請内容と支援決定通知、救援対策本部委員による各教区での報告会開催計画、被災地での音楽イベント計画、各支援活動拠点と被災地(釜石の仮設住宅など)の現状等の報告がなされた。

 これに対して委員からは、ボランティアワークの内容の確認(被災者支援から、農漁業の通常の生活・営業支援となっていないか)と、今後のボランティアのあり方を検討する必要があるといった意見が出された。

 被災教区報告として、奥羽教区からは、新生釜石教会の修築計画(今年度内で終了予定)、宮古教会の土地取得準備(資金計画など)、他の被災教会への支援についての検討等が報告された。

 東北教区からは、被災教会の再建復興状況、教団への支援申請案件の審議、被災者支援センター活動(ボランティアワーク関係)、東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」開設礼拝・記念講演実施、北日本3教区短期親子保養プログラム実施計画等が報告された。

 関東教区からは、被災教会の再建復興状況、支援ニュース発行(月1回)、教会付属施設の改修工事計画等が報告された。

 国際会議開催に関しては、UMCORからの支援の決定(申請額の一部)を確認したほか、東北教区の協力も得て、現地での準備が進められていることが報告された。

 審議事項においては、現地スタッフに関する案件(特別休暇、遠野スタッフ採用、エマオ仙台スタッフ人件費の教団負担分額等の承認)、幼・保園舎建築・補修資金貸付け要綱の一部変更等について審議した。

 また、会堂牧師館再建復興支援として、下館教会、郡山細沼教会、中村教会への各支援・貸付を承認した。

 次回会議は、1月21日、教団会議室にて開催する。
(雲然俊美報)

 10月28、29日の両日、宮城県内において「統一原理問題三教区合同研修会」が行われた。

 これは当初、東北教区の「カルト問題研修会」として計画されたものだが、東京・西東京教区からも参加者が与えられ、三教区合同研修会としての開催となった。東北教区ではいくつもの相談が数名の担当者に集中している現状から、カルト問題対策の担い手を広げるためにこの研修会を設定した。

 「カルト問題とは何か」では、組織的・計画的手法によって自由意思による自己選択なしで取り込まれるプロセスがマインドコントロールであり、それによって財産や労働力を搾取するのがカルト団体である、という定義が示され、キリスト教系だけではなく仏教系やその他の宗教タイプ、ボランティアや合唱団、スポーツサークルなどの文化活動タイプ、政治運動などを含めた多種多様な姿で増加していること、そしてそれらは大学などの教育機関や被災地にも入り込んで活動している実態も紹介された。

 このことから、カルト問題は宗教の問題ではなく消費者問題であるが、そこには喪失感・罪責感・霊界への不安恐怖などが内在するため、脱会へは宗教的ケアが必要であること、しかし誤った教えから正しい教えへと導くのではなく、損なわれている人権の回復を目的とするなど、この課題に向き合うにあたっての基本的な理解を深めることができた。

 何よりも日常的にどこでも起こっている課題であり、傷つき悩み迷う人々への癒しと配慮を伴う働きであることから、「牧会の課題」として受けとめる事柄であることが訴えられた。
また、「はじめて相談を受けるにあたって〜家族に対するケア」では、取り込まれていくプロセスへの理解と、被害者家族に寄り添い力づけることを第一とする姿勢が示された。

 いずれも初歩的な理解を深めることを目指したものだが、初めて関わろうとする参加者はもちろん、経験豊富な参加者にも改めて基本を見直す時となり、また被害者家族や脱会者の参加・発言によって、より深く課題と向き合う研修会となった。(東北教区担当者報)

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