「賽の河原」を越えて行く橋
「何を見に出て行ったのか」(マタイ11・7)。いま、現代の日本全土にこの言葉が響き渡る。今までは救いを必要としない時代であったのか。人間の実相が隠蔽されていたのか。軽い、生き方が軽い。何もかも軽い。そこに突然、「地の基ふるい動く」、眼の前に広がるのはなんという崩壊であることか。なんと戦後日本は軽く壊れやすかったことか。仏教学者山折哲雄氏は、故郷東北を訪ね、荒涼惨憺たるむき出しの光景に圧倒されてこう言った、「賽の河原だ!」。それでは、ただ無常を受けいれ耐えるのみか。「あきらめ」が所詮大事ということか。
「何を見に出て行ったのか」
「賽の河原」という言葉が、突然思い出させた。 ある年わたしはスイスのバーゼルに居た、バーゼル美術館で、ルターと同時代の画家ホルバインの描いた『墓の中に横たわるキリスト』がある、それを見に「出て行った」。二度も見に行き、この絵の前に二度も立った。はじめは、とても直視できなかった。この絵の前にドストエフスキーも立った、そして彼はこうつぶやいたという、「これを見る人は信仰をなくす」と。しかし、二度目見たとき、わたしはそう思えなかった。むしろみずからの信仰の虚弱がさばかれるようにさえ感じた。日本プロテスタントの中にある問題を突かれる思いであった。ルターは「義にして同時に罪人」と言った、その「同時」が、何と誤解され誤用されてきたかということ、義と罪とは渾然空回りを起こして「大胆に」そして「平気で」罪を犯す、ミュンツアーが「甘いキリスト」と批判した、それだ。しかしこの絵にはその「甘さ」はない、「同時」ではない、深い陰府の中に刻々たる一日、その一日の中にキリストが横たわる。何か神に迫られるように感じた。ホルバインは宗教改革時代の直中で、なぜこのようなキリストを描いたのか。たしかに使徒信条は、十字架のキリストが「死にて葬られ陰府に降り」とはっきり言った。これはその十字架の金曜日と復活の日曜日の間、その土曜日のキリストを描いたのだ。しかしそれは金曜日から日曜日へ深い陰府に架けられた橋か、全身を硬直させ、上を見上げ、口を開いて横たわる!死を生きている! このキリストが「賽の河原」を越えて行く橋なのだ。仏教の人間観は「生老病死」の永劫回帰、その円環から抜け出られない。しかし、キリストは「生と死と復活」、死で終わらない、死んで生きる! 永劫回帰の円環を開いて直進、全く新しい前人未踏の人生観が打ち開かれている! その未来へと運ぶ彼岸への橋をホルバインはこの土曜日のキリストに見たのか。あれからすでに3カ月経った。(これを6月11日に書いている)
この道この橋が、動く!
今は亡き親友、東神大同僚であった左近淑教授は、旧約聖書を「崩壊期の書」だと言ったことがあった。「賽の河原」、それはまさに崩壊期の預言者エゼキエルに神が開示した「枯れ骨の谷」(37・1~14)の光景ではないか。しかし、神は、エ、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Pゼキエルに対してこう問うた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。今われわれ日本の伝道者の耳に来るのはこの言葉、ものすごく低音で重く響くようなこれは、神の問いかけの言葉ではないか。預言者エゼキエルはこう答えた。そう答えるしかなかった。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」。では、「主なる神」はどう答えられたか。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」。「お前たち」? あの谷の「枯れ骨」とは、あの「賽の河原」とはこのわたしたち? 他人ごと他所ごとではない、たしかに昔も今も永遠にいましたもう神が、わたしたちに問われている、「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。この重い、重すぎる、そういう問い、エゼキエルは「主よ、どうしたらこのわたしたちは生き返ることができるでしょうか」と答えることしかできなかった。この「賽の河原」のような日本は、いや、わたしたちは、どうしたら生き返ることができるのか。「今は夜の何時ですか」。「夜回りに聞け!」。だれかが光を消した。それは誰か。「夜回りに聞け!」。「わたしたち」か、と。だが、「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」(詩篇139・8)と詩人は言う。「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す』」(同11節)。「陰府に横たわるイエス」は、福音書で「わたしは道である」と言われたお方、その「道」がここにある。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46・4b)、創造者なる神が救済者となる到来、この道この橋が、動く!
今、日本は、土曜日にいる
戦後、哲学者務台理作から聞いた今なお忘れられない言葉がある。ヘーゲルの「有→無→成」の弁証法はキリストの「生→死→復活」から来ると解説したのだ。「生老病死」ではない、死で終わらない、-自転車が止まっては倒れる、その倒す力を媒介として前へ動く、動いて立つように、その「立つ」は立つは立つでも「立ち」が違う、否定媒介!人生は仏教的「生老病死」の永遠回帰ではない、その永遠に閉ざされた円環が開かれて、よみがえりへ動く。ペンテコステへと動く。土曜日のイエスの死の中にある動き、それが、人間に究極の転換を惹き起こす動きではないか。洗礼! それは古い人から新しい人への転回いや転向ではないか。「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」、十字架から復活への道が動く、そしてあの聖霊降臨日へと向こう岸へと架けられた橋のように、鋼鉄のように緊張して身を横たえている土曜日のイエスの中に動きがある。運びがある。ホルバインの描くその口は、「渡って行け、そして甦れ、そして聖霊を受けよ!」と語るように開いている。いま、日本は、そういう土曜日にいるのだ。向こう岸に渡る、主との「コイノーニア!」、そのとき「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」、これが預言であった。
此岸を彼岸へと動かす力
この大震災の直前まで、東京下町に建設中の世界一高いスカイ・ツリー塔完成間近で見物の人々で賑わった。その地の出身王貞治氏は、「このあたり一帯は敗戦の年の 3・10~11 の大空襲で焼野原になったところだ」と戒めた。あの関東大震災後軍国主義的に再建された日本はこうして潰滅し、これまた「賽の河原」の景を呈した。今そこに建つ「スカイ・ツリー」は古代の五重塔の「心柱(シンバシラ)」の工法を応用した。日本にタテの心柱工法で新バベルの塔を造ることではない。ブリューゲルは『バベルの塔』の崩壊の絵を描いた。いま人間世界に起こっていることは、「ヒト」はヒューマナイズ、「グローブ」はグローバライズ、新しい人間新しい世界への転化ではないか。人間、世界、文明はその新しい建築にヨコの心柱をもたねばならない。人生史、世界史、グローバリゼイションは、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Progress )いみじくも「旅する者たちの前進」と呼ぶ。トレルチは「彼岸が此岸の力である」と言う。「わたしは道である」、その道に動きがある。此岸を彼岸へと動かす力が感じられる。人生史、世界史の深く内面に横たわるあの土曜日のイエスには「ヨコの心柱」の啓示があるのではないか。「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」。グローバリゼイション! 世界は教会になりたがっている。だから教会は教会にならねばならない。ねがわくはわが教団にこの預言の成就あらんことを。
(聖学院大学大学院長)
ハンス・ホルバイン[1497~1543]アウクスブルク生まれ。ドイツ・ルネサンス最後期の代表的画家で、ヨーロッパ絵画史上最高の肖像画家の一人と言われる。トマス・モアやヘンリー8世の肖像画がある。他の代表作に『聖母子と市長マイヤーの家族』『死の舞踏』絵は、バーゼル市美術館所蔵、ドストエフスキーにも深い感銘を与えた。
2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、私たちがこれまで経験したことのない大規模な災害となりました。地震による建物の崩壊や津波による家屋の流失といった被害に合わせて、福島第一原子力発電所の事故により、大気中および海中に大量の放射性物質が放出され、放射線による汚染が進むという事態となっております。
日本基督教団では、震災発生直後からその対策(初動対応として被害状況の確認、情報収集と発信、調査員派遣等)を進め、現在のところ、会堂再建・大規模改修等が必要な教会の数は、おおむね30教会以上になるものと見込んでおります。また、教会関係の働きを通した地域の救援のためにも、多額の資金が必要とされます。
そのために、教団としては震災発生後ただちに「東日本大震災緊急救援募金」(取扱い:教団社会委員会)を開始し、その募金総額は、6月30日現在で1億9千万円(国内から約9,000万円、海外から約1億円)に達しております。
震災から4ヶ月が過ぎようとしているこの時、いよいよ教会の再建・補修、地域の復興に向けての具体的な取り組みが進められようとしている中で、日本基督教団としては全教団的にその取り組みを支援するため、新たに「日本基督教団東日本大震災救援募金」を開始いたします。
どうぞ、日本全国の各地において、祈りと共にこの救援募金にご協力くださいますようお願いいたします。
2011年 7月 1日
日本基督教団 救援対策本部長
総会議長 石橋 秀雄
日本基督教団東日本大震災救援募金
目標額 10億円(国内のみ)
期 間 2011年7月1日~2015年3月31日
使 途
1 被災教会の会堂再建・補修支援費 5億円
2 被災地域のための社会福祉事業、キリスト教学校への支援費 2億円
3 被災地の教会が行う地域への支援活動費 1億円
4 被災地域への支援活動費 1億円
5 被災された信徒および外国籍の方への支援 1億円
支援期間
おおよそ5年を目途としますが、支援内容によっては長期にわたる場合もあります。
送金先 振替番号 00110-6-639331
加入者名 日本基督教団東日本大震災救援募金
『地域の人々の救いに仕える教会の再建をめざして』
これは日本基督教団東日本大震災救援対策本部の“テーマ”です。ここには、このたびの大地震・津波や原子力発電所事故による放射能の被害をうけた教会やその地域の人々を支援しようとする教団の基本的姿勢とその活動の方向性が明示されています。
3月11日の大地震が起った次の日に、教団は直ちに緊急救援対策委員会を総幹事のもとに設置し、活動を始めました。被災状況を正確に把握するために調査チームを数次にわたって派遣し、全国諸教会に緊急救援募金を呼びかけ、広報活動も開始して、既に3ヶ月が経過しました。その間、各被災教区に1千万円を初動活動資金として送金し、更に教団として本格的救援活動を担う“救援対策本部”を立ち上げ、本部長に石橋秀雄総会議長が就任、広範囲にわたる支援が精力的に、継続的に展開されています。その主な事柄はテーマに添った募金大綱を作成し、国内向けに10億円、海外諸教会向けに12億円の目標をかかげて協力を呼びかけることです。大綱のポイントはまさに『地域の人々の救いに仕えること』-(生命を守り、生活再建のために立ち上がる勇気を与えること)-と『その奉仕を担う教会の再建』にあります。
救援活動をすすめるに際し、教団レベルで担うこと、教区レベルで出来ること、個人レベルで働くことを整理し、連絡を取りあいつつ協力してまいります。
(教団総幹事 内藤留幸)
1974年千葉県出身。西千葉教会員。
いわゆる、母親のお腹の中にいたときから教会にいたという教会育ちである。祖父母と両親の信仰を17歳で継承し、今に至っている。生まれてこれまで日曜日の礼拝を休んだのは十数回、はっきり言って変人ですとあっけらかんと笑い飛ばす。ただ、教会だけが自分の居場所、というわけではなかったと言う。教会以外にも居場所はあり、いろいろな遊びも経験した。しかし、一見遊び人のような自分が礼拝を捧げていることが、お洒落で格好良いと思っていた。それが礼拝生活の原動力だったと振り返る。現在の仕事は保育士。この務めに落ち着いて8年目。「社会福祉法人そのえだ」が運営する保育園で働いている。もともとキリスト教主義に根ざした法人であるが、現在の職場は、公立の施設の民間委託に応える形で立ち上げられた保育園であり、キリスト教を前面に押し出すことが困難な状況にある。キリスト者の職員もただ一人。そのような状況の中で、キリスト教保育をいかに実践していくか、自分一人がキリストの香りを放つことで、キリスト教保育が果たして可能なのか、そもそもキリスト教保育とは一体どのようなものなのか、自問自答の日々が続いている。悩みは尽きないがしかし、園の子どもが近隣の教会に通っているとの報告を受け、この上ない喜びを感じた。このことがまさに、キリスト教保育が生み出す大きな実りであると確信している。教会では青年会に属しているが、来年の4月から教会の規定により、壮年会に属さなければならなくなる。老害になる前に青年会を去らなければと思いつつ、まだまだ未熟な自分を思う。加えて、両親が教会役員を担っているゆえ、役員選挙で選出されても辞退をしている。いつまでそれが通じるかどうか。3世クリスチャンの悩みは尽きない。
茨城県の被害は、東北、奥羽の各県に比べ、軽微に見える。しかし、地震による、液状化現象、土地の陥没をはじめ、教会堂、信徒の住まいの損傷等、困難な状況を抱えている。大きさの差はあれ、ほとんどの教会に何らかの被害が出ている状況である。
また、地区には、幼稚園、保育園を併設する教会が多く、園舎の補修が課題となっている。中には5千万円規模の補修が必要な教会もある。
紙面の都合上、記者が訪問した2教会、建物の被害が激しい水戸中央教会と、もっとも震源地に近い日立教会の、被害及び地震後の取り組みに絞って紹介したい。
水戸中央教会は、山本隆久教師、山本英美子教師が牧会する。会堂、牧師館が一体の建物は、いたる所にひびが入り、「危険建物」と診断された。主日礼拝は、比較的損傷が軽微であった礼拝堂部分を用いているが、週日の集会は、教会近くの空き店舗を借りて行っている。牧師館部分の損傷も激しく、教会の隣にあるマンションの一室を借り生活している。震災以前から、老朽化した会堂補修のために天日干しうどんを販売していたが、原発事故の影響で続けられなくなった。現在は教会員がブローチを造って地区や教区の教会に販売している。
水戸市は、津波による被害が出た大洗港に近い。山本隆久教師をはじめ地区の有志の牧師たちは、津波によって教会堂が1メートル近く浸水した大洗ベツレヘム教会(ミナハサ福音教団)を支えている。海産加工業や農業等にたずさわるインドネシアの人々が集まる教会である。記者が水戸を訪れた際も、山本隆久教師は、重病を患う会員を訪ね、病状について通訳を行い、公共料金のこと等、生活についての相談を受けていた。緊急事態の中で、弱い立場に置かれる人々と共に歩み、具体的に生活を支えることをもって、主に仕えている。
日立教会は、島田進教師、島田信子教師が牧会する。震災直後、ライフラインが途絶える中、埼玉の教会から支援物資が届いた。それを教会近隣の人々と分け合ったことで、地域の人々に教会の働きを知ってもらう機会になったと言う。また、多くの支援によって、教会員も大いに励まされ、元気を与えられ、自分たちも、被災した人々を支えようという思いが強くなったそうだ。
日立市は、震災後、物流が途絶えた福島県いわき市と隣接する。島田進教師は、いわき市の教会に、ガソリンや、全国から届いた支援物資を届けた。教会としても支援していくことを決めた。現在は、地区、教区もいわき市の教会を応援する取り組みを進めている。復興に向けて、支援、協力の輪が広がっている。
茨城地区の教会は、自ら被災しつつ、より深刻な被害を受けた教会、地域を支援する立場にある。地区では、「茨城地区『東日本大震災』情報センター」を開設し、地区内の教会と関係教会、関係機関および地区委員の中でメールによって情報交換をしつつ、復興に向けて祈りを合わせている。
(嶋田恵悟報)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






