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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4727号】原町教会、原町聖愛保育園への緊急支援 原発30㎞圏内で、礼拝を守り、子どもたちを守る

2011年7月16日

すでに第4725号の紙面で報告されたように、福島第一原発の30㎞圏内(自主避難区域)にある原町教会と隣接の原町聖愛保育園に、教団の救援対策本部から調査員が派遣されたのが5月31日であった。状況を詳しく知った岡本知之委員、藤掛順一委員と藤盛勇紀幹事は、その調査の帰路、この教会と保育園の働きは、原発30㎞圏内という状況の特殊性からしても、教団として緊急にこれを支援し、さらに内外にこの状況と働きを知ってもらうためにも、情報を発信する必要を強く感じさせられた。
早速、調査員は、救援対策本部の各委員に対して、原町教会の調査報告と共に具体的な支援の提案を行ったところ、救援対策本部各委員の了承が得られ、高橋和人東北教区議長に連絡の上、直ちに緊急支援が行われることとなった。
この緊急支援の内容は、原発事故の深刻な影響下にあって礼拝の群を守り、地域の人々の救いのために伝道・牧会に励んでいる原町教会の朴貞蓮牧師の生活と活動の支援へ200万円を、また、同じ状況下で地域の子どもたちとその保護者たちに、遊び場・交わりの場・相談の場を提供して原町教会と協力して地域のために奉仕している原町聖愛保育園の保育士・職員の方たちの働きのための緊急支援金として1、000万円をお献げするというものである。
調査の翌週の6月10日、石橋秀雄教団議長に藤盛幹事が同行してこの緊急支援金(目録)を手渡すと共に、原町教会の朴貞蓮牧師、教会役員、保育園職員の方々と懇談し、情報を交換して、互いに励まし合った。
地震の被害は経験した者も少なくない。あるいは津波の被害は、目の当たりにする現状そのものが訴えるものがあるだろう。しかし、原発事故による被害を知るには、ある程度の知識や想像力が求められる。放射能の影響は、目に見えない故の不安が、また別の新たな影響を人の心身に及ぼす。
原町教会が置かれている福島県の浜通り(沿岸地方)の状況は、マスコミがほとんど入らないため、なかなか現実が伝わりにくい。福島県の浜通りと言えば、ほとんど放射能の被害と思われがちだが、岩手や宮城と同じように、沿岸部は「壊滅状態」なのだ。しかも、放射能の影響を危惧して、マスコミのみならずあらゆる業界がこの地方に入ることを避けているため、電話やテレビを新たに設置することさえできない。4月に着任した朴牧師も、携帯電話とワンセグ(携帯の地デジ受信機能)が唯一の情報手段だという。
岩手や宮城では、津波の被害を受けた沿岸部もこの3ヶ月の間に、瓦礫もかなり片付けられつつある。ところが浜通りでは、手つかずの所が目立ち、陸上に流された多くの漁船が、道路沿いに残されたままだ。津波で損壊した建物も、取り壊すことさえできず、不自然で危険な状態で立ったままだ。
南相馬市の30㎞圏内に住む子どもたちは震災後、圏外の学校にバスで通うことになったが、そのバスは道路を塞ぐ大小の船を回避しながら進む。ふつうでは想像もせず思いもしないはずの光景を、子どもたちは現実として毎日見せられた。これが子どもたちの心に深く食い込んで、その体にも予想もしなかった影響を及ぼしているという。
それは、この地域に戻ってこざるを得ない事情があって保育園に集まってくる子どもたちも同様だ。就学以前の幼児たちを円形脱毛症や拒食症、不眠といった症状が襲っている。もちろん、保護者たちの不安も、この放射能の影響が言われる地方独特のものがある。原町教会の役員の一人が、「私たちはモルモットです」と言う。あるいは、「何十年後の研究のためのサンプルにされていると感じている」、とも。
原発から20㎞~30㎞の間の「境界の地」に住む人々の思いは複雑だ。子どもや病人は「立ち入らないことが強く求められる」。しかし、それにもかかわらずこの地域に戻ってこざるを得ない事情、避難したくてもできない事情がそれぞれの家庭にあって、幼い子どもたちも避難先から帰ってくる。原町教会と聖愛保育園は、こうした子どもたちやその家庭の大人たちの交わりの場、心の拠り所である。
原町聖愛保育園は、他の二つの保育園と協力して、30㎞圏外で共同保育を試みたが、保育方針が全く違い、礼拝はもちろん祈りさえままならない現実に直面した。全体の保育時間が終わり、帰りの挨拶を済ませた後に、「子どもたちと端っこに集まって、こっそりと祈った」。独自に保育ができる場所を求めたところ、理想に近い環境が提示された。職員の給与も出ない状況の中、迷ったが、今回、教団からの支援の申出を受けて、そこで新たな活動を始める決意が与えられた。石橋議長と幹事は朴牧師と役員に連れられて、新しい土地を見た。研修所として使われていた建物と土地で、フェンスに囲また土地も広く、一方は住宅地、他方は広い畑に囲まれ、安心して子どもたちを遊ばせられる。その地区の名は「江垂(えたり)」。早速、「得たり!」と、いつもの石橋議長のだじゃれで一同笑いのうちに希望を語りあった。
(藤盛勇紀報)

6月13日(月)~14日(火)、三宅島にプロテスタントのキリスト教が伝えられ、伝道所が立てられてから100年経ったことを記念する集会が行われた。集会は記念礼拝と島の人への伝道を兼ねた、森祐理リサイタルを二本の柱として行われた。
この会は三宅島伝道が100周年を迎えることを覚え、東京教区東支区の中で実行委員が立てられ、その後月1回の礼拝のために本州から牧師が訪れた時に実務が行われるという形で準備された。
間に海を挟む形での準備の時は、陸続きの中では考えられない手間や労苦を生んだという。2月には東支区書記(当時)である国府田祐人牧師(荒川教会)が島を訪れ、ノアの方舟の出来事を通して力強く慰めと励ましを語った。4月から島の施設に赴任するため、礼拝に新しく加わった方もともに主の食卓を囲み、三宅島伝道の希望が失われていないことが確認された。今回の集会は、そのようにして関わった本州の牧師と島の信徒の交わりの賜物だとも言える。
三宅島は、度重なる雄山の噴火により、何度も伝道が困難になったり、中断されたりする中、100年間伝道の火がともされ続けてきた。1983年の噴火では会堂が溶岩の熱によって焼失、2000年以後、まだ安全が確認されず、居住許可が下りていない。現在は更地の状態で建築許可が下りるのを待っている。
そのような中でも信仰の火を点し続けている二人の姉妹と、籍こそ移していないが礼拝に出席している信徒たちを中心に、礼拝が献げられた。
100周年記念の礼拝では、自身もマケドニア会に属する木下宣世東京教区議長(西千葉教会)が、スカンジナビア・アライアンスの日本における伝道の創生期の活動について語った。伊豆、伊東、千葉における伝道を担うことになったスカンジナビア・アライアンスの宣教師の思い、都市部には他教団がすでに入っている状況でなんとか日本人にキリストを伝えたいという熱意が伝えられ、その意志がマケドニア会に受け継がれ、今も活動が続いていることが語られた。
その後、同じ伊豆諸島に属する伊豆大島の竹井真人牧師(波浮教会)によって、三宅島にスカンジナビア・アライアンスにより伝道が開始され、伊豆大島に次いで教会が建てられ、伊豆諸島に対する伝道の拠点としての役割を担ってきたこと、特に保坂松太郎牧師が定住してからは教会内の集会だけではなく、若い母親のための会なども開かれ、一時は多くの人が教会に集うようになったことなどが紹介された。
来賓の三宅村村長も、自身が幼い頃、教会学校の生徒であったと挨拶の中で語り、三宅島での教会の働きの思い出を語った。
東支区長として長く代務者を務めた、河合裕志牧師(新横浜教会)は、プログラムの表紙の双葉の写真を指して、現在三宅島伝道所に在籍する2名の姉妹のようだと語り、この時を迎えた感激を語った。
森祐理姉のリサイタルには教会外の島民が20名以上訪れ、姉の歌と語りに耳を傾けた。姉は讃美歌やゴスペル以外にもキリスト者の作詞や作曲による童謡を紹介し、阪神大震災で弟を亡くした経験、神様にあって弟が別の場所で生かされているという確信を与えられ、被災地で歌うようになったことを証した。特に本州に避難していた三宅島伝道所の姉妹との出会いを語り「いつか、三宅島で歌いたいと思っていた。願いが聞かれてとても嬉しい」と語った。
14日は晴天に恵まれ、午前10時より阿古の会堂跡地で祈祷会が持たれた。本州からの参加者と三宅島の信徒が一つにされ、手を取り合って祈った。
(辻順子報)

山室 光氏(隠退教師)
08年2月26日、逝去。95歳。東京都に生まれる。’69年日本聖書神学校を卒業、和泉多摩川教会を’68年(伝道所開設、’77年2種教会設立)より、03年まで牧会し、隠退した。遺族は息・山室真平さん(和泉多摩川教会主任担任教師)。

久山隼兒氏(隠退教師)
11年3月19日、逝去。82歳。岡山県に生まれる。’49年日本基督教神学専門学校を卒業、’50年洗足教会に赴任、’54年より’99年まで江戸川松江教会を牧会し、隠退した。遺族は息・久山康彦さん(在外教師)。

第9回スイス・韓国・日本の三国間協議会実行委員会は、4月11日(月)に教団会議室で開催された。
冒頭から、東日本大震災を受けて、今年の協議会自体が開催可能かどうかが話し合われた。
まず参加予定各国からの反応が、担当幹事から報告された。スイス、韓国両国からは、教団はこの未曾有の災害への対応に集中して欲しいとの励ましをいただいた。しかし同時に、福島の原子力発電所からの放射能漏れに対する憂慮があることも表明されており、今年の協議会開催は延期することが現実的ではないかということであった。
次に日本側の受け入れ態勢についても話し合われた。協議会ではアジア学院へのフィールドトリップが計画されていた。しかし、震災の影響で、アジア学院は多大な被害を受け、非常に厳しい状況であることが報告された。
また実務的なことについては、加藤誠幹事が、東日本大震災の救援対策本部担当幹事の働きを担うことになり、差し迫った7月の協議会への対応ができなくなる可能性があることが報告された。
以上の状況を踏まえ、実行委員会は、今年7月の協議会開催を断念することとした。そして震災からの復興を考えると、教議会自体を、2年先を目処に延期することが妥当であるとの結論に達した。
なお、今年の開催を目指して組織された実行委員会は、この9回目の会をもって一度解散し、今後の取り扱いについては、世界宣教委員会にゆだねることも合わせて決定された。
(木村太郎報)

2011年4月25日(月)、日本基督教団会議室において第37総会期第1回台湾協約委員会が開催された。委員長の田中文宏(真駒内教会)、野田沢(学生キリスト教友愛会)に加え、委員は李孟哲宣教師(東京台湾教会)である。
本委員会は、1963年締結、1985年改訂の、台湾基督長老教会との宣教協約に基づき、両教会の関係を深める役割を担っている。実際、1984年以降隔年で教会協議会を開催し交わりを深めて来た。教会協議会の結果として、相互に青年を派遣し合うユースミッション(教団では教育委員会が担当)が生まれ、北海教区にはスクルマン宣教師が派遣された。
加藤誠担当幹事より、この度の東日本大震災での台湾基督長老教会の対応につき報告があった。
震災から僅か5日後の3月16日、教会・社会担当の黄哲彦幹事が教団事務局を訪問、祈りと共に1万ドルの献金を内藤留幸総幹事に手渡した。4月下旬には3,417万円もの献金が送られて来た。
これは震災救援募金の中でも最高額。台湾基督長老教会の大いなる祈りと自己犠牲の愛に勇気づけられ、感謝の気持ちに溢れつつ、台湾基督長老教会との密接なパートナーシップを再度確認するものとなった。
さて今年度は、教会協議会を台湾で開く年となっている。教団からは三役・総幹事・各教区からの代表者・台湾協約委員会が参加する。 協議会の日程は、4月26日から開催される台湾基督長老教会の総会で確認する予定だ。(後日追記:2012年1月下旬または2月下旬にて日程調整中)
この総会には、石橋秀雄教団議長・田中委員長・加藤幹事が招かれている。
また6月28日から約3週間の日程で開催予定の「I  Love Taiwan」へは、日本から参加者を立てることができなかった。震災の影響や日程的に大学生の参加が困難ではある為だが、広報の課題も含め、反省である。
最後に、震災における台湾基督長老教会の祈りと素早い対応に最大限の謝意を表すとともに、主にある相互の繋がりを心から喜びたいと思う。
(野田沢報)

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