第37総会期第3回伝道委員会が9月26日(月)~27日(火)、蕃山町教会にて開催された。
26日(月)夜は、教団伝道委員会主催の伝道講演会を諸教会にご案内して開催した。
北紀吉教団伝道方策検討委員長により「魂の叫びをききたもう神-一教会の伝道を通して-」との題で講演がなされた。
伝道について具体的示唆を得る講演で参加者が熱心に聴き入った。出席は15教会、32名。
「『農』に関する協議会」については、2012年2月28日(火)~29日(水)、日本基督教団松山城東教会と道後友輪荘を会場にして行うこととした。主題は「農村地方において伝道の幻に仕える」。講師は塩入隆氏(長野本郷教会信徒)で、講演は「賀川豊彦における農村伝道」。四国教区内より農関係者による発題を受ける。
「教区伝道委員長会議」については、2012年6月25日(月)~26日(火)、日本基督教団西千葉教会を会場にして行うこととした。主題は「一つと成らんために」とした。
前総会期の主題であった「新しい伝道協力の可能性」の方向性の継続、伝道に具体的に示唆のある講演などを求める意見が出された。数人に様々な角度から講演・発題をしてもらう方向性を確認した。
「伝道アイデア・アンケート」については、担当者により、アンケート集計結果の内容の精査や分類、留意点などが説明された。担当者よりパンフレットの内容イメージが提示され、協議した。2011年度内に発行するためのタイムスケジュールを確認し作業することにした。
また、伝道局設置の可能性について検討した。現伝道委員会の権限や予算の制限を考えると、伝道のための予算を持ち、更に長期的な研究や計画を作成し実施できる、教団全体の伝道体制に対し責任と継続性をもつ部署、すなわち伝道局が必要でないかとの意見で一致した。
この可能性について継続して検討すること、伝道方策検討委員会へ伝道局設置も含める機構改正を伝道委員会から要望することとした。
この他に、初雁教会(関東教区)の会堂貸出金申請を承認した。
次回は2月27日(月)~28日(火)に松山にて開催される。
(小林克哉報)
第37回総会期第3回宣教委員会は10月3日(月)~4日(火)、早稲田奉仕園セミナーハウスにて開催された。加藤幹夫委員司式による開会礼拝で開始。
教師委員会、教師検定委員会、信仰職制委員会の委員長と書記をメンバー構成とする、教団教師養成制度の検討開始が報告された。 台風12号被災地である和歌山地区を覚え、総幹事名で大阪教区へ教団から50万円の見舞金が届けられた。
統一原理問題全国連絡会から、統一協会の会員が「まじめで熱心なボランティア」として受け入れられていることへの警告、「統一原理問題」に関する大韓イエス教長老会(統合)との、より緊密な情報交換をはかるための提案については、張田眞委員長、大三島義孝幹事が窓口となることが報告された。
伝道方策検討委員会から、教団の現状データに基づく分析と、教団内において具体的に伝道に取り組んでいる団体についての、調査を進めていることが報告された。
その後、「障がい」を考える小委員会のメンバーと共に「牧師とその家族のメンタルケアの課題」について2つの講演を聞いた。
先ず、W・ジャンセン氏(東京神学大学教授)から、神学生のメンタルケアを対象とし2002年に設立された「パストラルケアセンター」の活動紹介を受けた。相談者への適切な配慮と、伝道者のパストラルケア能力向上のための労苦を伺った。講演の後、神学生の抱える課題は教団全体レベルのものであることが確認され、教師養成のあり方が問われる中、関係委員会と相談のうえ検討課題とすることとした。
2日目は、石丸昌彦氏(精神科医、柿ノ木坂教会員)の講演を聞いた。我が国のメンタルヘルスの現状が紹介され、鬱病を巡り、感情労働とバーンアウトについてのレクチャーを受けた。教会にとって何が大切なのかを判断できる信徒(役員)がどれだけいるか、牧師とその家族のメンタルケアを考える上で重要なポイントとなることが語られた。「障がい」を考える小委員会が担ってきたこの課題は、宣教委員会に委ねられた。
それから宣教方策会議のプログラム内容を協議し閉会した。
次回委員会は2012年3月6~7日とした。
(具志堅篤報)
アンティオキア教会は、サウロとバルナバを福音宣教者として出発させた。宣教師を遣わす業は、キリスト教会の本来の働きに与ることである。その源泉は、「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた」と記されているように、礼拝における主の臨在であり、その体験の中に聖霊が働くことにある。
「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」。人の決意が業を生み出すのではない。しかも、遣わされる本人ではなく、礼拝共同体、即ち教会自らがその言葉を聞くのである。遣わす者も遣わされる者も、共に御言葉に聞き、聖霊の働きに感謝して与ることが大切である。
後にパウロと呼ばれるサウロも、バルナバも、アンティオキア教会にとっては、欠くことのできない御言葉の教師たちであった。彼らを送り出すことは痛手であると言ってよい。しかし、聖霊は、あえて、教会の最も有力なリーダーを選び、持ち場から引き離して遣わすのである。
その時、礼拝共同体たる教会は何を祈ったのか。成功でも健康でもない。後に「二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である」とアンティオキア教会について説明されるように、按手を伴う祈りにおいて、彼らは、遣わされる者たちを、神の恵みに「ゆだねた」のだ。
「ゆだねる」と訳される「パラディドマイ」と言う言葉は、主イエスの十字架において、「引き渡される」とも「裏切る」とも訳される。その言葉の持つ深みそのものにおいて、主に「ゆだねる」のである。
道が開かれたから遣わすのではない。聖霊の命ずるままに、わたしたちは今、洛雲海教師を、宣教師として、主の恵みに「ゆだね」、送り出すのである。
《派遣式説教》
秋山徹(世界宣教委員会書記)
(説教要約/林牧人)
日韓教会交流から東北アジア伝道協力の幻も
10月18日、第37総会期第4回常議員会の日程を終えた教団会議室で、引き続き宣教師派遣式が行われた。教団から大韓イエス教長老会(PCK)への最初の派遣宣教師となる洛雲海(ナグネ)宣教師の長老会神学大学教師就任によるもので、既に、PCK総会に於いて調印式が持たれた。地理的にも歴史的にも、最も近い関係にあり、様々な恵みと幾多の悲惨な出来事をも共有して来た両国宣教史に、画期的な一頁が加えられることとなった。日韓教会交流から東北アジア伝道協力への幻が育まれようとしている。
洛雲海(ナグネ)宣教師派遣式にいたる経過
病気療養をかねて渡韓し、ソウルでの生活を始めた洛雲海教師(当時は大山和至)を米倉美佐男牧師(現在札幌教会)と共にお訪ねしたのは1999年の1月のことでした。
5階建ての小さな雑居ビルの6階(すなわち屋上に建てられたプレハブ倉庫)の家の窓は、寒風を少しでもふせぐためのビニールによっておおわれていました。小さなお子さん2人(現在は3人)を抱えた生活の厳しさを吹き込む寒風と共に感じ取ったことでした。 この時、洛雲海教師に教団教師としての今後の展望を尋ねました。返事は「私は教団教師として按手を受けています」との一言でしたが、その時すでに、日韓教会関係に資するために何らかの働きをしたいとの志を抱いておられたのでした。
1年半後に延世大学校韓国語研修コースを修了・卒業し、大韓イエス教長老会(統合)立の長老会神学大学校博士課程に進む道が開かれました。
その後、大韓イエス教長老会(統合)セムナン教会より住居提供の申し出があり、また、国費留学生(韓国政府招請奨学生)として受け入れられたのでした。形は国費ではありますが、実際は同教会の負担によることでした。ほんの少し、生活が安定したようにお見受けしました。
セムナン教会の支援は、個人に対するものというよりは、世界宣教に取り組む同教会が日本伝道の難しさを感じ、直接宣教師を派遣するのではなく、日本人伝道者の育成・支援によってその課題を遂行しようとの考え方によることでした。
そのようなことから洛雲海教師は神学研鑽とともにセムナン教会協力牧師として牧会・伝道に携わることになりました。
同教会は韓国における最初の組織教会で、韓国の「母教会」と呼ばれ、ソウル中心部にある景福宮(そこには朝鮮総督府がありました)の近くで120年以上の歴史を重ね、同国においてキリスト教界のみならず社会においても指導的な働きをしてきました。
洛雲海教師は同教会において尊敬を受け、教会内外に信頼できる友人たちを得ました。2003年には当時の小島誠志教団議長が、日本人として戦後初めて同教会の礼拝説教に招かれ、その後、近藤勝彦東京神学大学学長(当時教授)や山北宣久前教団議長、石橋秀雄教団議長など、次々と説教や講演に招かれることとなりました。
また、同教会の青年讃美隊100名余が来日し、青山学院大学や諸教会で讃美伝道を実施、2009年にはイ・スヨン(李秀英)主任担任牧師と讃美隊が教団の日本伝道150年大会に参加してくださいました。 これらのことは、同教会が21世紀の新たな日韓教会交流を切り開こうとする意思によることでしたが、その背後には洛雲海教師をとおしての信頼関係の醸成がありました。
2009年秋、イ・スヨン牧師から米倉牧師と私に対して、洛雲海教師の神学博士号取得のあかつきには、長老会神学大学校において外国人教授として教授陣の一員に加わる可能性があること、実現すれば韓国の諸教会に広く関係を結ぶことができ、日韓教会交流すなわち東北アジアにおける伝道協力に意味深いものとなるのではないかと、言われたのでありました。
そのために宣教師の活動・生活費を、セムナン教会と日本側で半分ずつ負担しあうようにしようとの提案が出されました。
それ以後、この事柄が私たちの祈りの課題となりました。そして、洛雲海教師は2011年2月に学位(組織神学)を取得、9月から正式に長老会神学大学校に就任、去る2011年10月18日に、教団会議室にて宣教師派遣式を行うこととなりました。
石橋教団議長、内藤留幸総幹事、木下宣世世界宣教委員長など多くの方々のご尽力・ご支援があったことに感謝を申し上げます。
なお、洛雲海宣教師の活動とその働きを通して推進されるであろう、日韓教会交流と宣教活動を支援するために、後援会「NAGUNE会」を立ち上げ、募金を始めています。ご協力をお願い申し上げます。
NAGUNE会
代表世話人 張田 眞
32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、
32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。
32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。
32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。
32:33 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
33:1 ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、
33:2 側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。
33:3 ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。
33:4 エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
33:5 やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、
33:6 側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、
33:7 次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。
33:8 エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、
33:9 エサウは言った。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」
33:10 ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。
33:11 どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
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