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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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イザヤ書1・21~31

2011年11月30日

1:21 どうして、遊女になってしまったのか/忠実であった町が。そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに/今では人殺しばかりだ。
1:22 お前の銀は金滓となり/良いぶどう酒は水で薄められている。
1:23 支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり/皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤児の権利は守られず/やもめの訴えは取り上げられない。
1:24 それゆえ、主なる万軍の神/イスラエルの力ある方は言われる。災いだ/わたしは逆らう者を必ず罰し/敵対する者に報復する。
1:25 わたしは手を翻し/灰汁をもってお前の滓を溶かし/不純なものをことごとく取り去る。
1:26 また、裁きを行う者を初めのときのように/参議を最初のときのようにする。その後に、お前は正義の都/忠実な町と呼ばれるであろう。
1:27 シオンは裁きをとおして贖われ/悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。
1:28 背く者と罪人は共に打ち砕かれ/主を捨てる者は断たれる。
1:29 慕っていた樫の木のゆえにお前たちは恥を受け/喜びとしていた園のゆえに嘲られる。
1:30 お前たちは葉のしおれた樫の木のように/水の涸れた園のようになる。
1:31 強い者も麻の屑となり、その行いは火花となり/共に燃え上がり、消す者はいない。

2011年11月29日

1:10 ソドムの支配者らよ、主の言葉を聞け。ゴモラの民よ/わたしたちの神の教えに耳を傾けよ。
1:11 お前たちのささげる多くのいけにえが/わたしにとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に/わたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。
1:12 こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが/誰がお前たちにこれらのものを求めたか/わたしの庭を踏み荒らす者よ。
1:13 むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙はわたしの忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など/災いを伴う集いにわたしは耐ええない。
1:14 お前たちの新月祭や、定められた日の祭りを/わたしは憎んでやまない。それはわたしにとって、重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。
1:15 お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を
1:16 洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ
1:17 善を行うことを学び/裁きをどこまでも実行して/搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り/やもめの訴えを弁護せよ。
1:18 論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも/雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。
1:19 お前たちが進んで従うなら/大地の実りを食べることができる。
1:20 かたくなに背くなら、剣の餌食になる。主の口がこう宣言される。

2011年11月28日

1:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。
1:2 天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。わたしは子らを育てて大きくした。しかし、彼らはわたしに背いた。
1:3 牛は飼い主を知り/ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず/わたしの民は見分けない。
1:4 災いだ、罪を犯す国、咎の重い民/悪を行う者の子孫、堕落した子らは。彼らは主を捨て/イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた。
1:5 何故、お前たちは背きを重ね/なおも打たれようとするのか/頭は病み、心臓は衰えているのに。
1:6 頭から足の裏まで、満足なところはない。打ち傷、鞭のあと、生傷は/ぬぐわれず、包まれず/油で和らげてもらえない。
1:7 お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ/田畑の実りは、お前たちの目の前で/異国の民が食い尽くし/異国の民に覆されて、荒廃している。
1:8 そして、娘シオンが残った/包囲された町として。ぶどう畑の仮小屋のように/きゅうり畑の見張り小屋のように。
1:9 もし、万軍の主がわたしたちのために/わずかでも生存者を残されなかったなら/わたしたちはソドムのようになり/ゴモラに似たものとなっていたであろう。

2011年11月27日

52:1 奮い立て、奮い立て/力をまとえ、シオンよ。輝く衣をまとえ、聖なる都、エルサレムよ。無割礼の汚れた者が/あなたの中に攻め込むことは再び起こらない。
52:2 立ち上がって塵を払え、捕らわれのエルサレム。首の縄目を解け、捕らわれの娘シオンよ。
52:3 主はこう言われる。「ただ同然で売られたあなたたちは/銀によらずに買い戻される」と。
52:4 主なる神はこう言われる。初め、わたしの民はエジプトに下り、そこに宿った。また、アッシリア人は故なくこの民を搾取した。
52:5 そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。
52:6 それゆえ、わたしの民はわたしの名を知るであろう。それゆえその日には、わたしが神であることを、「見よ、ここにいる」と言う者であることを知るようになる。
52:7 いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。
52:8 その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを。
52:9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
52:10 主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。

2011年11月26日

1960年生まれ、越谷教会員・役員、聖学院中高教諭。

高校1年生のとき、浅草教会の礼拝へ出席した。教会へ足を運ぶのは生まれて初めてであったが、聖学院高校へ入学し、聖書の授業で教会へ行くよう勧められたことがきっかけとなった。
高3のクリスマスに林田秀彦牧師より受洗。牧師や教会員の温かさに導き入れられるように教会の一員となったものの、実はキリスト教信仰の深いことは何もわかっていなかったと振り返る。
青年時代、日本基督教団の牧師・信徒有志により開催されている「全国教会青年同盟」修養会へ参加したことが、信仰と生活を形作る上で、大きな出来事だった。
毎年春と夏の修養会では、毎回変わらぬテーマ「キリストと教会に仕える」を巡って、若手牧師の講演を聞き、諸教会から集まった同年代の青年たちと時間を忘れて、熱く真剣に語り合い祈り合った。その交わりを通して「信仰生活のフォーカス(照準)がピタリと合わせられるようになった」と表現する。
祈りの内に、キリスト教学校での教師の働きが、自らへの召命と受け止められるようになり、25歳で母校の教員へ。以来26年に亘って教壇に立ち、若い魂を見守り、祈り、共に歩んできた。現在は進路指導の責任を担う。「キリスト教学校としての進路指導はどのようにあるべきか。学力に見合った進学先を用意することで終わってはならないのではないか。主なる神が、生徒一人ひとりにどのような賜物を個性として与え、どのような人生の進路をご計画の内に備えておられるのか。生徒と教師が共に祈りつつ聴き取り、その先に開かれていく進路でありたい」と語る。
その根底に、若き日の修養会体験、「キリストと教会に仕える」とのテーマが信仰生活の原点としてある。
所属教会の役員として、またキリスト教学校の教師として、キリスト教会と教育界の将来を見据えて祈りつつ、その答えは「今なすべき務め」の使命の中にあると確信し日々歩んでいる。

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