ギリギリでいこう!
北海教区議長 原 和人
1974年の夏の甲子園。徳島代表の池田高校が初出場を果たした。このとき登録選手は11人。これは野球の公式戦が出来るギリギリの人数である。この大会で池田高校は準優勝。「さわやかイレブン」と呼ばれ、甲子園の話題をさらった。
選手層の厚い強豪校ではなく、才能あるホームランバッターも三振を積み重ねる豪腕ピッチャーもいない。小柄でダイアモンドを駆け抜ける選手たちは大きな特徴もスター性もない。そして、誰か一人でもケガをすれば試合が出来ない。そんな池田高校が甲子園で準優勝。この事実と奇跡は全国の数多の弱小チームに夢と希望を与えた。
わたしの牧する2つの教会は、全国規模で言うと小規模教会の部類に入る。年々高齢化で礼拝出席も減少傾向で、ともすれば気持ちが後ろ向きになる。他を見ると、才能に長けた方々が沢山おられ、いろんな行事を行い、信徒も増加。それらを羨ましく思いつつ、「うちの教会はギリギリの人数で…」などと心の中で呟く。
池田高校は、選手それぞれが自分の能力を最大限に発揮した。人の持つ能力は限られている。それをチームに活かそうとする思いが準優勝という結果になった。他のチームと比べることも、それを嘆くこともなく…である。
なるほど、わたしたちは神から招かれたこの場所で、自分の出来ることをすれば良い。そうすれば自ずと教会の将来像は形になる。嘆いたり、自分勝手に考えたり、力がないと思い込んだり、他を羨ましがると何も生まれない。各々の可能性はまだまだ秘められていることを信じ、主イエスの恵みを、神の愛を伝えていこう。全国の教会がその思いで歩めば、まだまだ大丈夫ではないか。そうだ、ギリギリでいってみよう。(北海教区議長)
逝去
松井容子氏(隠退教師)
19年11月29日逝去、89歳。東京都生まれ。56年日本聖書神学校卒業。同年より都城城南、長崎、福岡渡辺通教会を牧会し、98年隠退。
遺族は息・松井曉郎さん。
金子 健氏(桐生東部教会担任教師)
19年11月22日逝去、81歳。茨城県生まれ。03年東京神学大学大学院卒業。同年より高知中央、桐生東部、安来、桐生東部教会を牧会。
遺族は娘・金子いづみさん。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25・40)。
一昨年3月東京都目黒区で当時5歳の女の子が虐待死した。継父より字の練習を命じられ、食事の制限「しつけ」と称して不適切な扱いの日常だった。
同年5月、大阪の警察署に70歳代の女性が訪れ「アルバイトをしながら、自分一人で認知症で寝たきりの夫の介護をしてきたが、4月末から食事を与えていない。もう疲れた。死んでもかまわないと思った」と話した。
最新の人口統計によると日本の総人口は1億2615万人、うち14歳以下の年少人口は1528万5000人で全人口の12・1%、65歳以上の老年人口は3580万1000人で全人口の28・4%と年少人口の倍以上となっている。少子高齢社会は、これからの日本の次世代を担う若者を心身ともに健全に育て社会に送り出すとともに、長く生き日本の社会を支え担ってきた高齢者への敬意を払った支援等、大切な社会的使命を負っている。
社会福祉法人仙台キリスト教育児院は、1906(明治39)年2月27日雪交じりの冷たい雨のなか、アメリカ人女性宣教師が前年、南東北地方を襲った大凶作により飢えに苦しむ7名の貧孤児を救済して今年で創設115年目となる。
創設の精神である「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12・15)を支えに、その時代その時代に神様の導きで様々な困難を乗り越えてきた。
いま、育児院には、産院で生みの母と別れ児童相談所の職員に抱かれて入所する生後6日目の新生児、また老々介護等が理由で在宅介護が困難になり終の棲家として入所する高齢者がいる。生きる現実は厳しい現代社会である。
入所児童の虐待ケースは増加傾向にある。児童は家庭、家族という大切な拠り所を失うことで、社会生活を営み人生を送るために欠かせない自尊心、自己肯定感、自信を喪失する。社会はこれらの事情をその家庭の個別的問題として特別視するのが一般的である。どの家庭、家族においても子育て、家庭生活を安定的に送ることは単体の懸命なやる気のみでは困難で多くのサポートが欠かせない。
まさに「子どもは神様からの授かりもの。子どもは社会で育むもの」という基本認識に立ち、虐待で苦しむ子どもたちのかけがえのない命を守ることが社会の一人ひとりに強く求められているのである。
「小さい者の一人」をわたし自身の中に見出すとき、神の前に謙虚でへりくだった自分にイエスの言う「わたしにしてくれたことなのである」との御言葉が生きる道標として示されることを信じ、祈りつつ向き合いたいと思う。
12月2日に行われた、四国教区本年度第3回常置委員会において、関西学院大学神学部と四国教区との間で、神学生の研修プログラムに関する協定が結ばれた。
今回の協定締結に繋がったのは、四国教区の「神学校との対話」という取り組みである。四国教区では、神学校を卒業してすぐの教師を迎える場合が少なくない。そのような形で赴任する教師を支えることが、教区の重要な役割である。そのため、神学校との対話を通し、今の神学生の状況を受け止め、地方教区の現状を伝える機会を持っている。
本年3月に、四国教区は関西学院大学神学部長中道基夫氏を招き、教会で奉仕の機会を設け、教区三役との対話の時を持ち、協議を行った。この協議の中で、関西学院大学神学部から神学生の研修プログラムを四国教区で行えないかとの提案があった。同神学部はかねてより教区等と連携して伝道者育成の実践的な機会を神学生に提供できないかと考えており、その設立教会である南メソジスト監督教会が、瀬戸内海沿岸で伝道を展開し、四国の多くの教会の設立に関わってきた歴史的経過を踏まえての提案であった。その後四国教区でも協議を重ね、協定を結び、具体的な取り組みを開始することになった。
協定で確認した目的は、「神学部の学生が、教会での伝道応援の機会を得ることを通して、四国教区の宣教の課題に触れ、将来教会・地区・教区の宣教の課題を担う伝道者となる基本的な経験を得ることを目的とします」である。この目的で、本年度は来年2月か3月に若干名の神学生を受け入れ、四国教区で研修の機会を持つ予定である。
教区と神学校が牧師養成の働きに僅かでも協力できることは、牧師養成にとって重要なアプローチである。四国教区と関西学院大学神学部はこの研修プログラムを積み重ね、育てていくことによって、宣教推進に寄与していきたいと願っている。(黒田若雄報)
父は現役の教団の牧師である。大きな病が与えられてから約6年が経過し、今年度初めに牧師としての最前線から離れることになった。父の決断の前で涙を流した自分に、「信仰があるなら死を恐れる必要はない。永遠の命が与えられているから」と、父は言った。
教会育ちゆえ、信仰の世界があまりにも当たり前になっていた自分が初めて真剣に祈ったのは高校1年。ネットゲームで知り合った友人が、後遺症が残るほどの大けがをした時だった。しかし、それが信仰告白へと導いたかと言えばそうではなかった。
救いを律法主義的に捉えていた自分にとって、信仰者の道はどう考えても歩むことができない道だった。右の頬を打たれれば左の頬を出す、もちろんもっと深い意味があると思いながらも、それは無理だというのが信仰告白前の自分だった。
しかしある時、父親以外の牧師の「信仰義認」を語る説教で目が開かれた。神は人間の弱さをご存じであられ、それでもなお神は人間に信じることを求めておられるとの言葉に心が軽くなった。当時、部活動の関係で、他教会の夕礼拝に出席していた。父親への小さな反抗だったかもしれないが、それが信仰告白のきっかけとなるのだから、神は不思議である。
早速父に信仰告白の志を伝えたが、その直後に父の病が明らかになった。信仰告白の準備会は予定より遅れたが、しかし、大学1年のイースターに、信仰告白式を執り行うことができた。父の病のことで、信仰告白をやめようなどとは思わなかった。
父の状況を思うと心に揺れがないわけではないが、最近、もっと聖書を読みたいと思うようになった。耳慣れた聖書の言葉が、新鮮に聴こえる。語ろうと思うのはまだ先か。
1995年東京都出身、新津田沼教会会員
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