野宿者のいのちがそこなわれないように
NPO法人神戸の冬を支える会 《兵庫県》
神戸の冬を支える会の「2021−2022年神戸越年越冬活動実行委員会」が掲げた活動主題は「野宿したくない人が野宿をしないように!今、野宿せざるを得ない人のいのちがそこなわれないように!」でした。
以前から様々な団体によるホームレスへの支援活動があったと聞きます。しかし、1995年1月17日に神戸を襲った兵庫県南部大地震により被災した住民が公園や学校の校庭などに避難したところ、以前から公園に寝泊まりしていた方々が「ホームレスは公園から出ていけ」と言われる状況が起こりました。震災で家を失った人への支援と震災前に家がなかった人への支援の隔たり・差別は許されないという声が起き、震災の年の12月15日から40日間、テントを8張立てて支援活動を行いました。その時から今年で27回を数えます。
2021−2022年は12月28日から1月4日まで、神戸市役所南側の東遊園地で日本基督教団兵庫教区を含めて計5団体がそれぞれ担当日を決めて炊き出しを行ないました。他の団体は年越しそば、豚汁、ぼっかけを、兵庫教区は麻婆豆腐丼(12月30日)、中華丼(1月4日)をそれぞれ120食作りました。コロナ禍のため各団体のボランティアを10名程度にしぼっての実施でした。コロナ禍が鎮静化すれば、例年の餅つき、書き初め、生カラオケ、遊びコーナー、追悼の日が復活することでしょう。
この活動中には医療相談、生活相談、法律相談のテントを立てています。炊き出しを通してホームレス状態の人たちとの距離を縮め、何らかの必要を求める方々に相談を受けるよう声をかけるのも活動の一つです。
この越冬越年活動に炊き出し、相談等で張り出したテントの中でも欠かせないテントが一つあります。1995年から路上で亡くなった多くの人の名前を大きなパネルに貼り出して並べているテントです。そこには、この27年の間に年末年始の炊き出しの場あるいは夜回りの中で出会った方々の名前があります。一人一人にはそれぞれかけがえのない人生がありました。その方々の名前と人生を忘れないために張り出しています。掲載した写真がそれです。
これからもこの活動を覚え、お祈りご支援くださいますようお願い申しあげます。
(浦上結慈報)

路上で亡くなった人々を覚えるパネル
※写真 教団新報より
子どもに向き合い、子どもに寄り添う
NPO法人CASN《滋賀県》
NPO法人CASN(Children’s Support Network)は、2001年に設立された団体です。子どもの権利条約を精神の土台に据えて、子どもに向き合い、子どもに寄り添うことを目的としています。この団体での活動は、多岐にわたっています。①18歳までの子ども専用電話『チャイルドライン』、②体の様々な機能を使った遊び体験、③子育てを支援する活動(とりわけ食育)、④学習支援+「晴嵐みんなの食堂」、そして、⑤「フードドライブせいらん」です。
様々な角度から、今の子どもたちや家庭の現実を受け止め、様々な子どもたち・家庭にあったプログラムが、準備されていると言えます。コロナ禍を受けて、一部、制限される部分もありましたが、活動が全く途切れることがなかったのは、このような活動が、一つの精神を土台として、多様性をもっていたからであると言えるでしょう。
滋賀地区伝道協議会西ブロックとして、この活動に参与したのは、今から、およそ5年前のことでした。子どもたちの居場所としての教会をテーマに掲げ、協議や研修を重ねつつ、今は、このNPO法人カズンの活動に対して、主体的に交流をしたり、諸教会の援助を要請したりするなどの仕方で関わっています。コロナ禍の影響を受けて、その関わりも希薄化しそうにもなりましたが、この団体のために、クリスマス献金をささげてくださる諸教会もあり、更なる関係性の構築が、これからも求められているように感じています。
コロナ禍を受けて、人間関係が希薄になりえる今だからこそ、子どもたちは、今まで以上の温もりや、つながりを必要としているのではないでしょうか。その現実としっかりと向き合い、教会が、この現実に対して、どう答えていくのか。そのことを、信仰と聖書に立って、しっかりと探っていくものでありたいと思います。また、そのために、今、自分たちが置かれている周りの現状に、しっかりと関心を持ち、つながりをもっていくことを、今後も大切にしていきたいと思うのです。
(須賀 工報)

NPO法人カズン20周年記念のキャンプ
※写真 教団新報より
正しく恐れつつ、関わり続ける
岡山・きずな 《岡山県》
「きずな」は約30年前から始まり、正式な名称を掲げたのは20年前です。超教派のクリスチャンが関わっていますが、教団の岡山教会、倉敷水島教会からはいつも支援物資が届けられています。私は25年前から関わり、週一回の夜回りに参加しています。
現在はボランティア活動に加え、市からの委託事業にも参入していくようになりました。組織が大きくなっていく割にお金集めは下手で、しかも公共の事業は誠実に関わればそんなに儲けさせてはくれませんので、私たちの団体としては大変です。
ラーメンなどの食品とマスクやカイロなどの袋を持っての夜回りや、週2回の食事提供などは何も変わりません。いえ充実しようと常に話し合っています。夜回りで「寝袋が欲しい」、「靴が欲しい」などの要求に応えたり、「気が付いたら野宿になっていた」という人などへは細かい配慮や、就職に向かっての相談など、各分野で職員が対応していますが、何と言っても、自分がホームレスになってしまったことを受容するのには時間がかかります。その思いをじっくり受け止めることの大切さを思います。
コロナ禍になるまでは、安楽亭で週2回食事を提供していました。足を延ばしおしゃべりをし順番を決めて洗濯もしていました。多くの方々から寄せられた衣類の中から、必要なものを探し出して着替えることが出来ました。変な話ですが、ウチのホームレスたちは、いわゆる汚れた服は着ていません。街ですれ違ってあとから、振り向いて「彼じゃん」と思うくらいです。向こうもふり返ってヤアというくらいです。ふつうの街の流れの中にいます。勿論街の流れに溶け込めない人もいますし、家があってもホームレスの人はいます。
コロナ禍になった今、安楽亭の中に入ってもらえないのが残念ですが、庭で待ってもらってお弁当を手渡ししています。洗濯はできます。21年暮れにコロナが落ち着き始めて、そろそろ入ってもらえるかと思っていた矢先にオミクロン。理事会で話し合った結果、残念だがもう少し入室は延ばそうかとなりました。
毎年やっていることですが、おせちを作ります。10種類、ボランテイアの人々の手作りの物を詰め合わせます。鰤もあります。50食作りましたが足りませんでした。後から来た5人には、さあ何が残っているかしらとざわざわしながら寄せ集めて対応。勿論私たちボラはお昼抜きです。本当に素晴らしい仲間たちです。みんな「自分のこと、自分の家族なら」と考えると、正月から持ち寄ってお重に詰めるのです。
コロナの初期の頃、誰か一人でも発症したらすべての行動を止めましょう等と言っていましたが、考えたらそんなことはできません。出た時は出た時で考える。彼ら彼女らの立場になって最良を考えていく。正しく恐れつつ、しかし何としても関わり続けていく姿勢で進んできました。
(難波幸矢報/光明園家族教会員)
在日外国人教育相談センター信愛塾を紹介します
在日外国人教育相談センター信愛塾《神奈川県》
在日外国人教育相談センター信愛塾(以下、信愛塾と略)は1978年10月に発足しました。これは在日コリアンのご家庭に、就学通知が届かなかったことを契機に、在日大韓基督教会横浜教会の皆さんと、学校教職員の方々のご尽力によって、活動が始められたと聞いています。つまり、このことを通して、「在日コリアンの子どもたちには教育を受ける権利がないのか」という怒りと問いが生まれたのです。神奈川教区の諸教会・伝道所もその前に立たなければならなかったのですが、長い間それを受け止めることが出来ませんでした。そんな私たちを、導き、学ばせてくださったのも、信愛塾の多年に亘る働きでした。近年、漸く少しずつではありますが、私たちも支援の輪に加わることが出来るようになり、横浜地区の教会・伝道所を中心に献金を献げさせていただいたり、学習ボランティア等で、協力させていただいたりするようになったのは、喜ばしいことです。
近年の信愛塾の活動としては、在日コリアンの方々だけでなく、来日された諸外国の方々の教育支援並びに、伴走型多言語相談を通し、主として子どもたちの人権を守る活動に邁進しておられます。
スタッフの一人Oさんは、信愛塾の機関紙『ともに』の中で、「これからの信愛塾を予測することはできないが、大きな課題を抱えていることは明らかである。少子高齢化の中でも日本に暮らす外国人がますます増え、各地で信愛塾のようなスペースが求められている。いつでも気軽に駆け込んでこられる『居場所』と伴走型の外国人相談。官制でない民営型のスペースだ。在日コリアンの子ども会として出発した信愛塾であるが、今やコリアンだけに限らず国籍や地域も多様化している。差別や偏見をなくす取組の必要性は高まって来るばかりだ」と記しておられます。
このように、現実を常に深く見つめ、新たな課題に取り組んでおられる信愛塾の働きに、これからも協力させていただきたいと願うものです。
(古谷正仁報)
また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」
2・11メッセージ
もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」
(一ペトロ3・13〜15)
自分の生まれた年の1966年に「建国記念の日」が制定されました。
個人のあらゆる思想信条や信仰を抑圧し、もともと日本神話に由来する天皇制を強要するために、明治憲法下の1873年に2月11日を日本国が成立した日として「紀元節」という祝日に定められました。第二次世界大戦中、天皇を「神」として崇拝することが強要され、国民がその監視下に置かれ、キリスト教をはじめ他の宗教にも迫害と弾圧がなされていました。日本では自分の信じる神さまを自由に信じて生きていく自由が侵されました。
戦後廃止されたものの、最終的には天皇制存続を意識した「建国記念の日」として復活させたのです。天皇制によって信仰が弾圧されてきた日本のキリスト教界(宗教界)は、諸教派の枠を超えて2月11日を「信教の自由を守る日」としました。
日本におけるキリスト教人口は少数ですが、少数であったとしても日本国憲法に保障されている基本的人権の中にある「信教の自由」に立ち、毎年この時に確認することが求められているのではないでしょうか。「これしかダメ」という枠付の社会ではなく、「これもある」という様々な情報の中で自由な出会いの場が与えられ、そこから神さまとの出会いという他者が強要することのできない招きに導かれていくのだと思います。
今、世界を見ると、多様性を受けとめ、声として挙げることのできる自由の中にあります。他方、まだまだ苦しみ呻きの中にあって声を出すことさえも抑圧されている政治的迫害の中、大きな監視統制によって個人の自由が踏みにじられていく姿がアジア、中近東、アフリカを含めた世界各地にあることを知らされています。日本が戦前・戦中に行ってきた姿が再現されるかのような形で、個人の自由が国の支配によって束縛・強要されてはなりません。
「信教の自由を守る」ことを考えるとき、世界、国、社会、そして基本となる私たち一人ひとりの自由(互いの意見を尊重し合う中で排除ではなく対話と祈り)に思いを寄せることが大切だと思います。与えられている信教の自由を通して自分の知りえる範囲の情報を吟味し、身近なところにある課題を見つめ、世界の中で苦難の中にある人々のために祈りを合わせることができますように。
2022年2月11日
第41総会期日本基督教団
社会委員 庄司宜充
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