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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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マルコによる福音書14・12~31

2022年4月5日
除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。 そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。 その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』 すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」 弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。 夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。 一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」 弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」 また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。 そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。
『わたしは羊飼いを打つ。
すると、羊は散ってしまう』
と書いてあるからだ。 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。
2022年4月4日
さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。 彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。
2022年4月3日
一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」
ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
2022年4月2日
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
目を覚ましていなさい
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。 だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
2022年4月1日

「幸せは今、日常の中に」

聖書個所:「私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである」

コヘレトの言葉5章17節

動画はこちらから

日本基督教団 原市教会牧師 關橋 賢

 日本基督教団のYouTubeチャンネルをご覧の皆さん、こんにちは。わたしは群馬県の原市教会の牧師、關橋賢です。
 わたしは群馬県に来て、今年で9年目になります。今、春を迎えていますけれども、春は色んな眠っていた命が目覚めて、そして新しい命が生まれてくる、そういう季節です。イエス・キリストの復活を記念するイースターも春に行われます。
 聖書ではイエス・キリストが死んだ後に、三日目に復活したということが書いてあり、そして、イースターは、そのイエス・キリストの復活を記念する行事となっています。そしてわたしたちも死後に復活するということをキリスト教は伝えてきました。一方で、死後どうなるのかということではなく、今わたしたちはどのように生きるべきなのか。どこに幸せを見いだすべきなのか。このことについて、書かれている書物が聖書の中にあります。その一つが、『コヘレトの言葉』という書物です。その『コヘレトの言葉』には、このように書かれています。「私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである」。このコヘレトの書が書かれたのは、戦争中であったと言われています。戦争中には多くの命が奪われ、また、小さな命が軽んじられます。今まさにウクライナの地で、そのようなことが、残念ながら、起こっています。短く人生を終えた人たちも増えています。短い人生の中で、どのようなことに幸せを見いだすべきなのか。その一つの答えが、コヘレトによれば「心地よく食べて飲み、労苦に幸せをみいだすこと」
 食べて飲んで、そして仕事 役割をきちんとなしていく中に幸せがあるんだ。このようにコヘレトは語っています。食べて飲んで、仕事をする。労苦する。これは、新約聖書で、イエス・キリストがなしたこととも重なっています。イエス・キリストも、色んな人たちとよく食べて、飲んでそして、交流をして、また色んな苦労・労苦をされていました。
 わたしたちはここ数年、いわゆる「コロナ禍」という状況の中で、外食、食べること、誰かと一緒に食べることを制限されてきました。また、労苦をする機会、つまり、何らかの役割を果たしていく機会が減ってしまった。もしくは、失ってしまったという方も少なくないと思います。そのこと自体は、本当に堪え難い、また、悲しく、虚しいことでもあります。
 しかし、この「コロナ禍」という状況を前向きに捉えることができるとするのであれば、誰かと普通に集まって、食べて飲んで、そして、一緒に誰かと労苦する。実は当たり前に今まで為していたことの中には、実は、色んな豊かな恵みがあり、また充実感がそこにあったのだと、そういうことに改めて気づかされたということではないかと思います。
 とくに、食べて飲むという日常の些細に思えるようなことであった、そういう営みが、実は、本当にわたしたちの中で、豊かな営みであったことに、わたし自身も久しぶりに家族と両親たちとまた弟妹たちと一緒に食事をした時には、本当にそういうことを思いました。
 わたしは今、妻と3歳・5歳の子ども、そして1匹の犬と生活しています。2人の子どもが生まれてくる前に、実はもう一つの小さな命がありました。その命は、妻のお腹の中で終わりを告げました。医師から「心臓の音が聞こえない」と言われた時には、その事実を素直に受け止めることができませんでした。世間では「死産」とか「流産」という言葉で片付けられてしまう出来事ですが、しかし、わたしたちにとっては、その小さな命も確かに存在して、生きたんだと、そういうふうに信じて、その子に名前をつけ、そして葬りの式を行い、そしてこの教会のお墓に葬りました。本当に短い、短すぎる人生です。しかし、その子は確かに、妻の体を通して、栄養をとるという食事をし、そしてその子なりの労苦をして、そして命を終えていった。そのようにわたしたちは今信じています。
 最近公開された映画で、Don’t Look Upという映画があります。ある天文学者が隕石を発見します。その隕石は、地球に半年後に衝突することになっている。しかも地球を破壊する威力がある隕石。すぐに政府にその事を伝えていくんですが、しかし、その時の政府は、その事を真剣に取り合わず、小さな事だとして軽んじていきます。そして気がついた時には、もう衝突が避けられないという状況になっています。もう地球が滅亡してしまう。世界が終わってしまう。そういう状況の中で、主人公たちが最後に選択したのは、いつもの日常を生きるという事でした。いつものように食事を準備し、そして食卓を囲んでお祈りをして食べる。そのことを主人公たちは最後まで貫きました。些細なことであっても、しかしそれが神様からの豊かな恵みである。そのことを気づかせてくれる。そういう映画です。
 今日わたしたちも、どのようになるのか分かりません。もしかしたら突然病気になってしまったり、また事故や事件に巻き込まれるかもしれません。だからこそ、わたしたちはこの日常の中にあることを大切にしていかなければならない。そのように聖書は語っています。そして、この日常生活の中の飲み食い、食事、また色んな仕事や労苦、この中にこそ実は豊かな恵みがあり、幸せがある。神様からの祝福がある。このことを改めて、わたしたち、考えながら過ごしていきたいと思います。
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