ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。
『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着きなさい、
わたしがあなたの敵を
あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。
その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。
【4982・83号】2022年秋季教師検定試験(1面)
【4982・83号】教師検定試験公告(1面)
【4982・83号】お知らせ(1面)
【4982・83号】2022年度❺教区総会報告(2面)
【4982・83号】▼世界宣教委員会・国際関係委員会▲(2面)
【4982・83号】▼全国財務委員長会議・予算決算委員会▲(2面)
【4982・83号】公告(2面)
【4982・83号】▼教区青年担当者会・教育委員会▲(3面)
【4982・83号】▼社会委員会▲(3面)
【4982・83号】事務局報(3面)
【4982・83号】2021年東北地方地震 被災教会会堂等再建支援委員会(4面)
【4982・83号】♦︎在日韓国朝鮮人連帯特設委員会♦(4面)
【4982・83号】人ひととき(4面)
「朝、種を蒔け」
西那須野教会員
荒川朋子さん
戦争責任を重く受け止め、主にアジア・アフリカから農村の指導者を招き、自給自足の生活をしながらリーダー育成を行うアジア学院。荒川朋子さんは、2015年から校長として学院を支えている。
群馬県で生まれ、中高と新島学園に通ったことが、キリスト教との出会い。聖書の物語に触発され、高校を卒業する際に高崎教会で受洗した。
国際基督教大学で言語学を学んでいたが、徐々に関心を社会学に向けて行く。自らの進路を求めて祈る中、「真実に触れていたい」との思いを与えられ、教育の道を志した。
中学・高校で英語の講師をした後、2年間、アメリカの大学院に留学、農村社会学を専攻した。留学中にアジア学院インターン募集の広告を目にする。かつてワークキャンプで訪れ、「いつか戻るところ」と感じていたという。一時帰国して3か月程、インターンとして生活した。この時、スリランカ人のルームメイトが、貧しい中で、さらに貧しい人々のために自らを献げる姿に接し衝撃を受けた。ここで働きたいとの思いを強くし、自分を雇って欲しいと学校に手紙を書いたという。
東京で働く夫の理解を得、生後4か月の娘と二人で職員住宅に住み始めた。「戦争、貧困、差別など壮絶な経験をしながら、なおも謙虚に、また一生懸命に生きる人々が生み出すエネルギーがここには溢れている。そこに自分も触れていたいと思った」と振り返る。
「種はその姿からは想像が出来ない程に大きく育つ。種には神さまの思いが込められており、人間は丁寧に蒔き育てる責任がある。この神さまとの協働作業は食べ物でも人間でも同じ」と語る荒川さん。「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな」(コヘレト11・6)との御言葉に押し出されて、今日も種を蒔き続ける。
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