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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4978・79号】剣を打ちかえて鋤となす(4面)

2022年8月6日

 横須賀にある社会福祉法人「日本医療伝道会衣笠病院」創立75周年の記念礼拝(8月6日)に教団からの祝辞を求められました。この病院の創立の経緯を見ると、1947年8月1日に35名の医療スタッフと80床の病院として出発した最初は、「日本基督教団衣笠病院」となっています。教団立の病院であったことに驚かされます。現在も一貫して「日本医療伝道会」の名前を保持してチャペルを設け、教会とキリスト者を中心とした総合的な医療と社会福祉の働きとして大きく発展し、地域に仕える姿を証し続けています。
 言うまでもなく、横須賀は在日米軍の重要な海軍基地として、原子力空母が入港する港として世界に知られている街です。これは「終戦後の混乱と窮乏の中、横須賀に着任した米海軍横須賀基地司令官のベントン・W・デッカー大佐の熱心な激励により、キリスト教の精神に基づく医療奉仕をすることを使命として日本基督教団衣笠病院として開設…」との事情が伝えられています。横須賀には「横須賀基督教社会館」もあり、これも同じ事情によって開設された施設です。まさに、「剣を打ちかえて鋤となす」働きがこの横須賀の地で継承されているのです。日本基督教団として、ここに、この働きがあることを銘記して、共に祈り支え合う交わりにあることを覚えなければならないと思わされました。

(教団総幹事 秋山 徹)

主に育まれた者として

広尾教会員、執事
有馬一宇(ありまかずいえ)さん
1940年東京生まれ。

 有馬一宇さんは豊分教会(現、広尾教会)員だった両親の下に生まれる。クリスチャン家庭に育ち中学、高校、大学と青山学院に学んだ。高等部卒業時に同窓会委員に選ばれ、さらに校友会監事、学院評議員、理事を務めることになる。現在まで続く母校との関わりは後に教会を支えることになるが、当時は教会に行く機会は多くなかった。
 卒業後は戸田建設に入社。大きな現場の資材主任や秘書課長、人事部長等の責任のある仕事を任される。「能力以上のものを求められたことで成長できた」と振り返る。
 28歳で高等部の後輩の富美子さんと結婚。その頃は仕事のため教会に殆ど来ていなかったが「きちんと神様の前で約束をしたい。これからの歩みを神様に委ねたい」と、はたと思わされた。そこには父の祈りがあったのだろう。富美子さんと共に豊分教会で伊藤與雄牧師より受洗し結婚に臨んだ。結婚後は夫婦で教会に通うも、やがて激務のため教会を長く離れた。
 その後高齢になった父の世話をする中で問安に訪れる牧師や教会員と交流が生まれる。父の召天後に礼拝生活を再開。程なくして突然の無牧となり、教会が苦難の時代を迎えたさなか執事に選ばれる。2年以上の無牧期間、説教者を欠かさず招聘するにあたり有馬さんの母校との関りが生きた。仕事で培われた組織を動かす力も執事として必要な賜物であり、人的な繋がりも教会で工事を行う際に用いられている。礼拝から遠ざかっていた期間も、教会に仕える時のために主が有馬さんを育んでおられたのだろう。
 現在、広尾教会の教会学校には有馬さんの「後輩」たちがたくさん集まる。キリスト教主義学校で聖書に関心を持った子供たちが御言葉を聞いて信じることと自分の言葉で祈ることが願いである。

日本基督教団カルト問題連絡会は、7月20日付けで「統一協会で被害に遭われた方々と現在関わりのある方々へ」という声明文を出しました。
詳細はホームページをご覧下さい。

https://uccj.org/news/44045.html

新報4976・77号1面「東京教区総会報告」欄、教団総会議員名「藤崎義宜」を「藤崎義宣」に、3面「東北地方地震被災教会支援募金献金報告」欄、九州教区「熊取」を「大阪教区」に、お詫びして訂正いたします。

十時英二(隠退教師
 22年2月8日逝去、93歳。東京都生まれ。53年日本基督神学専門学校卒業、同年より経堂北、千歳丘教会を牧会し、17年隠退。遺族は息・十時公平さん。

南 吉衞(隠退教師)
 22年6月26日逝去、81歳。三重県生まれ。70年ハンブルク大学大学院修了。72年より玉川平安、横浜磯子、ケルン・ボン日本語キリスト、信濃町、ドイツ・ヴュルテンベルク州、桑名教会を牧会し、18年隠退。遺族は妻・南含さん。

若月健悟(守谷伝道所主任担任教師)
 22年7月1日逝去、71歳。福島県生まれ。77年同志社大学大学院修了。同年より国分寺、今治、会津若松、筑波学園、国分寺、諸川教会、守谷伝道所を牧会。遺族は妻・若月久美子さん。

川村輝典(隠退教師)
 22年6月18日逝去、93歳。東京都生まれ。56年東京神学大学大学院修了、同年より武蔵野、弦巻教会を牧会し、08年隠退。遺族は妻・川村悦子さん。

本田(山本)爽起子(隠退教師)
 22年6月18日逝去、91歳。千葉県生まれ。60年同志社大学大学院修了、同年より岡本、日向新生教会を牧会し、20年隠退。遺族は夫・本田宏さん。

長島伊豆男(広島福島町教会主任担任教師)
 22年6月25日逝去、85歳。東京都生まれ。64年東京神学大学大学院修了。同年より福島町伝道所、(79年より)広島福島町教会を牧会。遺族は妻・長島文子さん。


補教師登録
小国礼佳、堀 成美(2022・5・30受允)
加藤 隆、佐々木玲哉(2022・6・5受允)
秋場治憲(2022・6・13受允)
谷元亜衣(2022・6・23受允)
杉野信一郎、細井宏一、梅田玲奈、田中耕大(2022・6・25受允)

正教師登録
大野 至、山内慎平(2022・6・23受按)
小松美樹(2022・6・25受按)

教師異動
杵築  辞(主)山本克三
 〃  就(代)竹井真斉

曳舟  辞(主)上田光正
 〃  就(主)小国礼佳

西片町 辞(主)山本裕司
 〃  就(代)古賀 博

深沢  辞(主)齋藤 篤
 〃  辞(担)齋藤朗子
 〃  就(代)林 巌雄

仙台宮城野
辞(主)上野和明
 〃  辞(担)小川幸子
 〃  就(主)齋藤 篤
 〃  就(担)齋藤朗子

盛岡松園就(主)上野和明
 〃  就(担)小川幸子

甘楽  辞(主)上原秀樹
 〃  就(代)荒谷 出

筑波学園辞(主)福島純雄
 〃  就(主)上原秀樹

福島  辞(主)保科 隆
 〃  就(主)福島純雄

福島荒井就(代)福島純雄

宮城学院
就(教)佐々木哲夫

飛騨高山辞(主)北川博司
 〃  就(主)大塚信明

夜久野 就(代)横田明典

高輪  辞(主)中村公一
 〃  就(主)小林信人

白金  就(担)中村公一

西大井 辞(主)鮎川健一
 〃 就(主)今村あづさ

信濃町 辞(担)柳澤宗光
 〃  就(担)鮎川健一

早稲田 就(担)柳澤宗光

喜連自由辞(代)平松洋一
 〃  就(主)永口裕子

清教学園中学高校
就(教)羽島健司

本宮  辞(主)井田一郎
 〃 就(兼主)中條康仁

北千住 辞(主)柳下 仁
 〃  就(主)堀 成美

田園都筑辞(担)石田幸子

宿河原 就(主)石田幸子

藤沢ベテル
辞(担)北口沙弥香

愛川 就(主)北口沙弥香

三崎二葉会
辞(教)生野隆彦

昭島  就(担)秋場治憲

川谷 辞(主)清水与志雄
 〃  就(代)大川 清

田瀬  辞(主)若林治郎
 〃 就(主)清水与志雄

坂下 辞(兼主)若林治郎
 〃就(兼主)清水与志雄

付知 辞(兼主)若林治郎
 〃就(兼主)清水与志雄

前渡  辞(代)鈴木 光

用瀬 辞(担)国岡スーメリーなつみ

蕃山町 就(担)加藤 隆

岡山 就(担)佐々木玲哉

鶴見  就(代)古谷正仁

大牟田正山町
辞(主)梅崎浩二
 〃  就(代)筒井省行

広島府中就(代)向井希夫

上下 辞(代)梅崎須磨子
 〃  就(代)後藤 慧

頌栄保育学院
辞(教)棟方信彦

高砂  就(担)谷元亜衣

天草平安辞(主)中森一信
 〃  就(代)中村英之

横須賀上町
就(主)杉野信一郎

茅ヶ崎堤就(担)細井宏一

横須賀学院中学・高校
就(教)梅田玲奈

香里ヶ丘辞(担)上野玲奈

日本基督教団部落解放センター 就(教)上野玲奈

ウェスレー合同メソジスト教会 辞(外)山本 一

韓国基督長老教会
辞(外)長尾有起

千代田 就(担)長尾有起

教師隠退
保科 隆、小井沼眞樹子、生野隆彦

隠退より復帰
大塚信明

教会合併
中野、高円寺(中野存続)

伝道所廃止
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