4年分の報告と新期の計画を承認
教団教誨師会総会・教区代表者会・研修会が、9月5、6日の両日、東京山手教会において34名の出席で開催された。コロナ感染症拡大によって、総会は4年ぶり、教区代表者会・研修会は3年ぶりとなった。また、両日とも感染対策を行い、日程に食事をはさまず、短縮したプログラムとしたが、内容はとても充実したものとなった。
総会は、2018年度から4年分の事業報告、決算が承認され、2022年度から1期2年の新運営委員選出と事業計画、予算案が可決された。新運営委員は次の通り。会長=加藤幹夫、副会長=福田哲、書記=浦上結慈、会計=塚本吉興、総務=原裕、ひとやの友=横井伸夫、監査=岸本光子、海老原佳奈子。
教区代表者会では、各教区における教誨師の働きについて、課題を協議し分かち合った。
研修会は、映画「教誨師」の監督をされた佐向大氏に「光と闇」というテーマで、御自身の生い立ちや映画作成にまつわるエピーソドをお聞きすることができた。
教誨師は、地道な働きですが、福音を宣べ伝える大切な業なので、祈りにお覚えください。また教誨活動において、個人に負担がかかっている教誨師もいるので、各教区においてもご支援、ご配慮くださると幸いです。
(加藤幹夫報)
神の国を地上にもたらすために
9月19〜21日にドイツのシュトゥットガルトにてEMSのProPro委員会が行われた。
東日本大震災時、EMSから日本基督教団に多額の支援金が送られた。また部落解放センター、教誨師活動、アジア学院等のためにも支援をいただいている。EMSは南西ドイツの教会の働きと基金が元となって始まった活動だが、今は国際的な広がりを見せている。
その申請書類について検討するのがProPro委員会であり、ドイツ、インドネシア、中東、アフリカ、インド・東アジアのそれぞれの地域から計6名の委員が選出される。今年度より西之園路子世界宣教委員長がこの委員に加わった。また今年は委員会に先立ち9月16日にEMSの50周年記念礼拝と祝賀会が開催され、EMS関係者やPro Pro委員たちの共同司式で礼拝が捧げられた。
申請書類に目を通していると、それぞれの地域に人々の生活や命を脅かす様々な問題があることを知らされる。厳しい困難な状況の中で、神の国を地上にもたらすために様々な取り組みがなされており、それらの活動が地域共同体に大きなインパクトを与えていることも知り、こちらが励まされる。しかしまたその地域の背景、歴史を知る時、例えばかつてその地域で日本兵が多くの命を奪ったという深い闇と罪の歴史にも触れることとなる。その痛みを覚えるからこそ改めて「連帯」solidarityという言葉の大切さと重さを感じる。
「大変だけどこの書類に目を通すことは喜びでもある」と言われたある委員の言葉に共感を覚える。すべての審査を終えた後に撮った記念写真の委員たちの笑顔がまたそのことを証している。
(西之園路子報)
基本姿勢を確認し課題を共有
「隠退教師を支える運動・全教区推進協議会」が10月7日、教団会議室を主会場として対面16名、ズーム参加6名、書面報告7名で開催された。コロナ感染リスクによる過去2年間の書面協議会を経た、久し振りの会話を通しての恵みと感謝に満ちた協議会であった。
協議会に先立ち開会礼拝が捧げられ、秋山徹教団総幹事より、コリントの信徒への手紙二8章1〜9節を通して「この恵みの業を」と題する説教に与り、「慈善の基本姿勢、私共のために貧しくなられた主の豊かな恵みによって、この運動へと押し出される私共でありたい」と祈らされたことであった。次いで協議会に入り、鈴木秀信委員長より過去2年間に逝去、退任、新たに就任した方の紹介、続いて山田昌人事務局長より21年度事業および決算、22年度計画の報告、中川義幸年金局理事長より教団年金の近況報告を受けた。また例年のごとく「隠退教師を支える運動/私たちのビジョン」を全員で唱和して運動の基本姿勢を再確認した。その後全体協議に移り、参加者全員が活動現場からの報告、問題点を持ち寄り課題を共有した。課題は2点に絞られる。
第一は運動参加教会・伝道所の増加を図ることである。生涯を伝道・牧会に尽くし隠退した先生方の老後の生活を少しでも支えたいとの思いをいかに伝え、より多くの方々に理解してもらうか。この信徒運動は全教会・伝道所の方々の参加が私共の願いである。
第二の課題は協力下さる方、委員会構成員の高齢化による後継者育成の問題である。これは信徒運動自体の課題であるが、同時に牧師、教会・伝道所そして教区等の連携の下で育つ協力体制作りも、今後の課題ととらえている。
様々な課題を担いつつ、主の豊かな恵みの下で感謝と喜びをもって、これからも誠実に仕えていきたいと願いつつ散会した。
(鈴木秀信報)
キリストの体なる教会の形成
雲然俊美議長
〈神の召しとして〉
5期12年間教団書記の務めを担わせていただき、ようやくその役割を終えると思っていたところ、本当に思いがけないことに議長に選出されました。これはもはや、さらなる神の召しであると覚悟を決めた次第です。
〈キリストの体なる教会〉
教団の教師として立てられて39年目となりますが、この間、教会に仕える者として変わらずに祈り、励んでいることは、キリストの体なる教会の形成ということです。特に、新たに設立された教会(最初は伝道所)での働きを担わせていただく中で、旧教派の伝統を持たない日本基督教団の教会として、教団信仰告白を告白し、教憲・教規の規定に則って、キリストの体なる教会を形成することに務めています。
そして、各個教会においてはもちろんのこと、全体教会である日本基督教団においても、キリストの体なる教会の形成こそが、これまでも、またこれからも変わることなく取り組み続けて行く課題だと思っています。
例えば、教会形成において役員会での審議が重要であるように、常議員会において、教団の活動全般について充実した審議がなされることを願っています。また、教団の各委員会の取り組みにおいても、全体教会としての教団形成に資する活動がなされることを願っています。
〈教団の豊かさ〉
伝道者として私が立たせていただいている場は、いわゆる地方の小規模教会です。長く続くコロナ禍のために、いずこの教会・伝道所も困難の中にあります。教会の教勢や財政の事情のために牧師を招聘することができず、存続の危機にある教会・伝道所も多くあります。そこでは、多くの牧師が代務や兼務をして、教会の活動を維持しています。
そのような、それぞれの地に神が立ててくださった教会の灯りをともし続けること、そのために教会および教師たち相互の祈りと支援の連携がなされ、一つ一つの教会・伝道所が福音の喜びに満たされて活動を続けて行くことこそが教団の豊かさであると思います。
教団がこれからも、「人に惜しまず施す豊かさ」(Ⅱコリント8・2)に生きるキリストの体なる教会として形成されることを願っています。
(秋田桜教会牧師)
主から遣わされているとの信仰から
藤盛勇紀副議長
教団総会議場で配布された『速報№2』を見ると、「藤盛新副議長は…『当惑をしている。主の御心と信じ、お受けしたい。…』と述べた」とあります。実際、その時の心中は「困ったな。長老会や信徒の皆がどう受け止めるだろうか」という思いがグルグル回っていました。「雲然議長は12年間の三役のお働きがあり、十分な経験をお持ちである。議長と同じ方向でしっかりとお支えし、教団に仕えたい」と挨拶で述べた通り、まずは議長を支えられるよう努めます。
先日、今総会期第1回目の三役会を行い、まずは議長から今期の基本的な方針案が示され、つづいて、常議員会や各委員会での課題を確認・共有しました。諸課題を改めて示されると、この大きな山はいったいどう動かし得るのかと、途方に暮れそうな思いがしました。
しかし、まずは「キリストの体なる教会としての教団形成」の祈りを共有するところから始めようとの議長から示された方針のように、その祈りをもって、諸教会・伝道所・諸施設の伝道の取り組みにお仕えしたいと思います。
実は、私が「困った」と思っていたことの一つには、私が仕える富士見町教会で、中長期伝道計画の策定に取りかかるために長老会で策定準備委員会を設置したばりだったことがあります。しかも、言い出したのは私。長老会でもまだ詳細は明らかにしていませんが、策定準備委員会では、開拓伝道の必然性・必要性の共通理解を持つところから始めています。
日本の伝道は、まだ緒にも就いていない状況です。主イエスは99匹の羊を主の野原に残して、迷子の1匹をどこまでも探し求められますが、日本では99匹、いや百匹すべてが迷ったまま。主の民は多い(使徒18・10)けれども、飼い主のいない羊のようなありさまです。この民を深く愛する主の憐れみに触れられ、主から遣わされているとの信仰から、どのような働きも始めたいと願っています。
日本基督教団が主の憐れみと熱い思いを少しでも具体的に現して行けるように、私も自分が遣わされた場と務めにおいて、微力を尽くしてまいります。
(富士見町教会牧師)
御言葉によって力を与えられて
黒田若雄書記
「書記としての抱負を」との原稿依頼を受け、大変戸惑っている。議長からの推薦を断る勇気がなかったということが、正直な思いである。とても抱負を持てるような状態にはない。目の前の一つ一つの務めを誠実に担う以外ないと思っている。ただ、与えられた機会なので、抱負とはならないが、今心にあることを二つ記してみたい。
一つは、四国教区の教会で仕えて受け止めさせられたことである。私は、高知分区の2教会で仕え、今年32年目になる。四国は、人口減少が日本で最も速く進行している。しかし、各教会は決して下を向いているわけではなく、神の支えを受け止めつつ、前に向かい進もうとしている。四国教区も、各教会が生き生きと伝道していくために何ができるか、そのことを目指して歩んできた。四国教区で歩まされた自分が、教団の働きを担うことになったのは、四国教区の一つ一つの教会の祈りや願いを大切に、働きを担うことが求められているのではないかと思わされている。
そして、もう一つは、働きを担う自分の足場についてである。総会直後の高知教会の礼拝で、説教の任を負いながら、強く思わされたことがあった。それは、自分の本務は礼拝説教の任を負うこととの思いである。それは、教団の働きは二次的に対応するという意味では勿論ない。私は、牧師として歩む中で。何度も厳しい状況を歩まされてきた。その度に、神は御言葉によって力を与え続けてくださった。「日曜日ごとに教会は新しく生まれる」との神学者の言葉のように、神は、御言葉を通し、教会を、それ以上に私を新しくし続けてくださった。そうして、ここまで歩まされてきた。書記の重責を自力で担うことは不可能との自覚は、強く持っている。だからこそ、神から新しい力を受け続けていく以外ない。そのために、働きの足場が、礼拝説教の任を負うことにこそあることをしっかり見つめつつ、書記の働きを担わせていただきたいと思っている。
長年担われた前書記のようにはとても歩めないと思う。忍耐を持って見守っていただければと願う。そして、この貧しき器のためにお祈りいただければ、幸いである。
(高知教会牧師)
大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
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