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出版局業務改善プロジェクトに教団から貸し出し
第1回予算決算委員会は1月27日、教団会議室で行われた。今期の委員並びに委員会組織は次の通り。委員長・宇田真、書記・田村毅朗、川村尚弘、岸俊彦、國吉常喜興、長谷川洋介、吉澤永。常任委員会(3名)の委員には、職責上、委員長と書記のほか、長谷川委員を互選した。
はじめに秋山徹総幹事より次の報告があった。新総会期の働きが始動した。年金局の理事会は、世代交代の時に入っている。出版局に関しては、理事長に吉岡光人牧師(吉祥寺)が選出されたこと等が報告された。
次に道家紀一総務幹事より、春季教師検定試験の概要。消費者庁から「不当な献金要求」の説明を受けたこと等が報告された。
次に大三島義孝財務幹事より、2020年度教団経常会計決算50万円の齟齬の件につき、1月28日『教団新報』で報告したことと、教団代表役員変更のため、教団が口座を有している各銀行の名義変更手続き中であることが報告された。
諸報告の後、経理規定細則 「委員会旅費規程」変更に関する件を取り扱った。第4条①支払いは領収書に基づくものとする。⑦削除。第6条①の「空路」の旅費支払いも、領収書に基づくものとし、②支払いの上限は、普通席の普通運賃とすることとした。また、教団が、三井住友銀行に口座を保有している預金のうち、1億円を、期間10年・利率0・435%のバミューダ型コーラブル預金(定期預金)として設定することを決めた。次に、『信徒の友』及び『信仰生活応援セット』 贈呈プロジェクトに関する件を取り扱い、原資となるカナダ合同教会からの献金等300万円を、経常会計事業支出第9款第2項から、収益事業会計に支出して、これを行うことを決定した。また、出版局業務改善プロジェクト支援シミュレーション(1900万円)に関する件について協議し、必要な資金を、教団から出版局へ貸し出す(無利子・10年)ことを決定した。
これらの後、今期の予定について検討し、2023年度は、委員会は対面とオンラインの併用、全国財務委員長会議はオンラインで行うこととした。
(田村毅朗報)
2021年度 教勢報告(B表)財政報告(C表)から見えてくるコロナ禍の影響
新型コロナウイルス感染症の拡大が始まってから、4年目を迎えているが、キリスト教界を取り巻く状況の厳しさは続いている。昨年度はコロナ禍初年度であった2020年度と前年度(2019年度)との統計から見た教団の諸教会伝道所における教勢と財務状況について比較検討してみた。そこで明らかとなったことは、礼拝出席者の減少とそれに伴う財務状況の悪化であったが、特別献金が増えるなど、コロナ禍の中にあっても、教会伝道所を支えようとする思いと祈りとがみられた。
コロナ禍2年目に入り、更に諸教会伝道所がどのような状況であったのか、前年度に続いて、統計データを基に考察を試みた。
1.現住陪餐会員について
21年度は7万3548名であった。20年度は7万5087名、19年度は7万7288名と、コロナ禍以前からの減少傾向は依然として続いている。2年間で3740名の減少である。単純計算すると、一年に1870名も現住陪餐会員が減少していることになる。もう少し遡って計算してみないとはっきりとしたことは言えないが、減少傾向に歯止めがかかっていないことは間違いない。
2.礼拝・祈祷会出席者数(平均)
昨年度同様、減少しているのは、礼拝出席者数であるが、21年度は3万6211名と20年度の3万6973名に比べてやや下げ止まった感がある。コロナ禍1年目は、集まって、礼拝や集会をすること自体を控えねばならなかった状況があったが、2年目に入って、感染症対策をしながら、徐々に、礼拝をはじめとした“集い”が戻りつつあることを窺わせる。
祈祷会は、昨年度とほぼ変わらず6791名であった。こういう状況であるからこそ、祈りをささげることに、教会伝道所は熱心であることが分かる。
B表の記載欄には、引き続きオンライン礼拝欄を設けているが、各個教会の判断で記入してもらっているので、オンライン礼拝の正確なデータとはいえない。しかしながら、何らかの仕方で、オンラインを取り入れつつ礼拝を実施している教会伝道所数が増加している傾向はみてとれる。20年度は5799件、21年度は6185件。
3.教会学校(平均出席者数、在籍者数)
21年度は8062名と20年度の8234名より減少しているものの、主日礼拝の出席数と同じく下げ止まったように思われる。在籍数も21年度1万8861名と20年度1万9981名からは1000名ほど減っているものの、コロナ禍2年目になり、再開しているところも少しずつ出てきている。コロナ禍前には1万名(平均出席者数)あったことからすれば、著しく減少しているが、少しずつでも回復することを願うしかない。
4.受洗者数
19年度は902名、20年度は747名、そして、21年度は603名と最も深刻なのは受洗者数である。回復はまったく見られない。むしろ、下がり続けている。いろいろな意味で、教会伝道所の伝道の活動が進んでいないことが如実に表れている。昨年度同様、求道者が与えられ難い状況は続いており、受洗への積極的な働きかけも出来ない状況にあることは否めない。この辺りに、オンラインを用いた礼拝や集会の限界がみられる。
5.教会伝道所数
19年度1675、20年度1666、21年度1660と、次第に減りつつある。この2年間で廃止した伝道所や解散した教会も幾つかあったが、もう一つの傾向としては、合併する教会伝道所が多くみられるようになったことである。結果、数字的には減少として示される。今後も、この現象は、コロナ禍に関わらず続くものと思われる。
6.逝去者数
B表に記入欄を設けているが、逝去者数だけを個別に統計することは今年度もしていない。しかし、コロナ禍前から始まった傾向である「受洗者数が逝去者数に追いついていない」のは確かである。
7.献金
収入は19年度経常収入103億9941万円、20年度経常収入100億8916万円と比較すると、21年度は102億3361万7000円となり、コロナ禍前にやや戻りつつある。個別の項目でみると、19年度礼拝献金は19億1144万3000円、20年度礼拝献金は16億1527万4000円、21年度礼拝献金は16億1912万4000円とほぼ横ばいであるが、19年度月定献金は53億4126万4000円、20年度月定献金は52億1337万1000円と比較すると、21年度の月定献金は50億8861万円と50億を切る寸前であった。月定献金は教会伝道所を維持する中心の献金であるが、それが減少し始めているということは、コロナ禍も2年目、3年目に入り、教会伝道所の信徒も流石に息切れして来たのであろうか。
これに対して、21年度の特別献金は32億4747万9000円と19年度の28億4842万円、20年度の29億2880万1000円に比べても大幅に増加している。月定献金は減少し、特別献金が増額した明確な原因は明らかではないが、比較的多額な月定献金をささげていた世代が天に召されつつある中、それを補うかのように、特別献金がささげられている、という推測も成り立つ。
支出は19年度経常支出80億3176万4000円、20年度経常支出75億3238万6000円に比べると、21年度は75億5709万5000円と漸減している。但し、21年度伝道費は、3億3601万5000円と、19年度4億4138万2000円ほどではないが、20年度3億3199万円よりは微増しており、伝道活動が鈍ったとは言えない。経常支出漸減の原因は牧師謝儀の減少と思われる。19年度52億2168万1000円、20年度50億7149万7000円に較べても21年度は50億6507万4000円と減少傾向にある。教会伝道所は、牧師を支えるために、力を尽くし続けているが、コロナ禍前より表れていた「牧師を支えるだけで精一杯の状況」に、コロナ禍が拍車をかけていることは間違いない。このままコロナ禍に収束が見られないならば、より一層、深刻な事態に向かってゆくであろう。
8.今後の課題
コロナ禍の状況が続く限り、教会伝道所の厳しさは増すことはあっても収まることはないであろう。キリスト教会に限らず、宗教行為の本質である「集まる」(エクレシア)ということが制限を受けている間は、伝道活動も滞らざるを得ない。オンライン礼拝やオンラインによる集会の工夫は続けられるであろうが、それらが、これまでの教会伝道所の活動を、財政面も含めて補い得るのか。コロナ禍3年目を間もなく終えようとしている今、益々問われ始めている。共に祈って、打開策を見出したい。
日本基督教団事務局
総務部 道家紀一
平和の計画を生きる
主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
エレミヤ書29章10〜14節
高知教会牧師
黒田若雄
「災い」としか思えない「今」
神さまはエレミヤを通して、今、私たちに向かって語りかけておられます。「わたしは平和の計画を持っている」と。
私たちは、2020年以降、全く予想もしなかった「今」を生きています。感染症、そして、ウクライナでの戦争によって、この先どうなっていくのか、大きな不安の中に置かれています。ですから、神さまの平和の計画が本当にあるのだろうかと、思ってしまうように思います。
それでは、エレミヤがこの言葉を届けた人たちは、私たちと違い「平和の計画がある」と直ぐに思うことが出来る状況にいたのでしょうか。そうではありませんでした。この時、神の民イスラエルは、大国バビロンによって国が滅ぼされ、多くの人がその国へ移されたのです。そのような深い絶望の中にいる人たちに向かって、この神さまの言葉は届けられたのです。
まず、神さまは、この計画について「災いの計画ではない」と明言されます。この言葉に、当時の人たちの思いがよく示されています。彼らにとって、直面した現実は、まずは「災い」としか思えないということです。私たちも、思いもしない現実の前に立たされた時、まずは「これは、災いでは」と思うのです。今の状況を「コロナ禍」、「禍(わざわい)」と呼んで、受け取っているようにです。そのような人々に、そして、私たちに、神さまは明確に語られるのです。「平和の計画」、「将来と希望を与えるもの」と。神さまが持っておられるのは、災いの計画ではありません。将来と希望を与えるものなのです。
新しい出会い
しかし、残念ながら、私たち人間がどんなに考えても、「今」が平和の計画の中に置かれることは分からないのです。まずは、災いの中を歩んでいるとしか思えないからです。しかし、その私たちが、今を災いと受け止めているところから一歩踏み出していくことが出来る唯一の道があります。それは、神さまご自身の「わたしは平和の計画を持っている」との御声を聞かせていただくことです。私たちは、神さまから語り示されて、災いに見えている「今」が、それでも神様の「平和の計画」の中に置かれていることを知るのです。
では、「平和の計画」とは何でしょうか。それは、「将来を与え、希望を与える」ものです。神の民イスラエルにとっては、約束の地へ帰る時が必ず来るということです。そうして、回復の時が備えられていることなのです。しかし、神さまが示しておられるのは、単に元に戻れると言うことではありません。実は希望の中身が、はっきりと示されています。それは、14節で「わたしに出会う」と言われていることです。
彼らは約束の地を離れ異国に移された時、神さまから遠く離れてしまったと思っていました。しかし、そういう彼らに、そこで「わたしに出会う」、だから「わたしを呼べ」と神さまは言われます。そうして、バビロンで捕らわれの生活をする中で、神さまとの新しい出会いが与えられるのです。バビロンでの捕らわれの生活、困難の極みに見えるような場所で、神さまとの新しい出会いが与えられることが約束されています。
この神さまとの新しい出会いの姿がよく示されるのが、バビロン捕囚が終わる頃に語られた、イザヤ書46章の言葉です。ここで、神さまは「わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう」(4節)と語られます。この言葉のように、実は彼らが気づくよりも前に、神さまが背負い続け、担い続けてくださっていたのです。極限の現実の中を、神さまに背負われ、支えられて歩んでいたのです。
そして、困難の中を支えられていくことを通して、これまで以上の深さで、神さまが共におられることを心に刻んでいくのです。そうして、この困難の中を歩む自分たちと神さまが共にいてくださる恵みを、更に深く、更に豊かに受け止めさせられていくのです。それこそが、神さまの備える「平和の計画」なのです。
神さまにある将来
昨年3月に、高知教会の教会員のある婦人の方から、「夫が受洗を希望している」との話がありました。その方は、クリスチャンホームに育たれましたが、特に教会との繋がりを持たれないまま過ごしておられました。しかし、今回、病気を患われたことを通して、受洗の願いが与えられたのです。その時は、県外の病院に入院中でしたが、近々近隣の病院に転院されるので、そこで病床洗礼式を行うことになりました。その矢先、病状が急変され、逝去されました。葬儀は教会で行い感謝でしたが、洗礼式が行えず、少し残念な思いも残りました。
葬儀から半年後、逝去された方のご子息から「クリスマスに洗礼を受けたい」との申し出がありました。教会学校に通っておられましたが、その後、教会との関わりを持たれないままでした。しかし今回のことを通し、受洗への志に導かれたのです。
その方は、洗礼準備会の最後にこんな話をされました。「今回、父の洗礼への志や母の祈りがあって自分は洗礼へと至ったと思っていたが、その全てを通して、神さまが導いてくださっていたことがよく分かりました」と。神さまが全てを用いて、この方のために立ててくださっていた計画を実現されたということを受け止めさせられました。そうして、神さまの驚くべき働きに感謝させられる洗礼式となりました。
私たちが歩んでいる「今」は、大きな不安が覆っているように思えます。しかし、そのような思いの中にいる私たちに、神さまは示されます。「わたしは、災いの計画ではなく、平和の計画を持っている」と。この困難な現実の中を歩むことを通して、私たちを支える神さまの御手はいかに力強いものであるのか、改めて受け取っていくのです。そして、この現実を歩んでいく先には、私たちが想像もできない神さまにある将来が備えられているのです。神さまの支えを受け取りつつ、私たちは、神さまの平和の計画の中を、前に向かって進んでいくのです。
サウルが死んだ後のことである。ダビデはアマレク人を討ってツィクラグに帰り、二日過ごした。 三日目に、サウルの陣営から一人の男がたどりついた。衣服は裂け、頭に土をかぶっていた。男はダビデの前に出ると、地にひれ伏して礼をした。 ダビデは尋ねた。「どこから来たのだ。」「イスラエルの陣営から逃れて参りました」と彼は答えた。 「状況はどうか。話してくれ」とダビデは彼に言った。彼は言った。「兵士は戦場から逃げ去り、多くの兵士が倒れて死にました。サウル王と王子のヨナタンも亡くなられました。」
ダビデは知らせをもたらしたこの若者に尋ねた。「二人の死をどうして知ったのか。」 この若者は答えた。「わたしはたまたまギルボア山におりました。そのとき、サウル王は槍にもたれかかっておられましたが、戦車と騎兵が王に迫っていました。 王は振り返ってわたしを御覧になり、お呼びになりました。『はい』とお答えすると、 『お前は何者だ』とお尋ねになり、『アマレクの者です』とお答えすると、 『そばに来て、とどめを刺してくれ。痙攣が起こったが死にきれない』と言われました。 そこでおそばに行って、とどめを刺しました。倒れてしまわれ、もはや生き延びることはできまいと思ったからです。頭にかぶっておられた王冠と腕につけておられた腕輪を取って、御主人様に持って参りました。これでございます。」
ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。共にいた者は皆それに倣った。 彼らは、剣に倒れたサウルとその子ヨナタン、そして主の民とイスラエルの家を悼んで泣き、夕暮れまで断食した。
ダビデは、知らせをもたらした若者に尋ねた。「お前はどこの出身か。」「わたしは寄留のアマレク人の子です」と彼は答えた。 ダビデは彼に言った。「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。」
ダビデは従者の一人を呼び、「近寄って、この者を討て」と命じた。従者は彼を打ち殺した。 ダビデは言った。「お前の流した血はお前の頭に返る。お前自身の口が、『わたしは主が油を注がれた方を殺した』と証言したのだから。」
ダビデはサウルとその子ヨナタンを悼む歌を詠み、 「弓」と題して、ユダの人々に教えるように命じた。この詩は『ヤシャルの書』に収められている。
イスラエルよ、「麗しき者」は
お前の高い丘の上で刺し殺された。
ああ、勇士らは倒れた。
ガトに告げるな
アシュケロンの街々にこれを知らせるな
ペリシテの娘らが喜び祝い
割礼なき者の娘らが喜び勇むことのないように。
ギルボアの山々よ、いけにえを求めた野よ
お前たちの上には露も結ぶな、雨も降るな。
勇士らの盾がそこに見捨てられ
サウルの盾が油も塗られずに見捨てられている。
刺し殺した者たちの血
勇士らの脂をなめずには
ヨナタンの弓は決して退かず
サウルの剣がむなしく納められることもなかった。
サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人
鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。
命ある時も死に臨んでも
二人が離れることはなかった。
泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。
紅の衣をお前たちに着せ
お前たちの衣の上に
金の飾りをおいたサウルのために。
ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。
ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。
あなたを思ってわたしは悲しむ
兄弟ヨナタンよ、まことの喜び
女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。
ああ、勇士らは倒れた。
戦いの器は失われた。
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