この夏、私の所属する法人では、日本基督教団の全教会・伝道所、関係学校並びに関連施設宛てに法人の一施設である婦人保護長期入所施設かにた婦人の村の施設建替え資金ご寄付のお願いを送らせて頂きました。
この施設建替えは、生活される利用者の方々がご高齢になられ、起伏の多い山の中での生活が困難になったこと並びにがけ地に隣接した施設の老朽化に対応し、安全で高齢者にも優しいバリアフリーの建物が必要となり、5年前から厚生労働省に要望し続けてきたものです。
施設建替えは当初の計画より規模を縮小しましたが、ウクライナ戦争や円安の影響を受け、建築コストの高騰に直面し、事業総額は11億円を超える額となっており、施設・法人の返済能力ギリギリの融資を受けなければ実施が不可能な状態です。
このように建替え事業実施には極めて条件の悪い経済的環境になってしまったのですが、ご高齢になられた利用者や新しい時代に、かにた婦人の村を利用される若い方々のために、理事会・施設職員は事業実施を決断しました。
その結果、冒頭に記載の寄付のお願い送付となりましたが、発送直後から、教会・関係団体・関係者の方々から建替え事業への祈りと心強いご寄付をお送り頂いております。
教会や教会を代表して個人でご送金くださった方へお礼状と法人70年の歩み(記念誌)をお送りしたいと考え、教団年鑑でご住所等を確認しましたが、全国各地から尊い献金をお送り頂いていることを知り、感謝の思いと同時に、事業実施への大きな励ましを頂き、神様のお働きを確信いたしました。
私の手元には、知能に重い障害のある施設利用者の方々と地域やワークキャンプに来て下さる方々との大切な交流の場であるプールの改修・バリアフリー化工事のためのご寄付の趣意書(止揚学園後援会)が届いております。また、障がい児者福祉のネットワークづくりのためのご寄付の呼びかけ(小羊学園を支える会)もあります。皆様のお手元にもそれぞれの地域でキリスト教社会事業を行う多くの法人や施設から、今最も支援が必要な方々のためのお祈りとお支えの呼び掛けが届いていると思います。
このような社会事業を進める者の思いや願いに共感し、事業の背後で祈り、聖書に記されているレプタのたとえのように、献金をお送り下さる教会やキリスト教関係者の存在は、ともすると事業実施に弱音を吐きたくなる私たち関係者に大きな力を与えて下さるのです。
今年も12月第一主日の「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」を迎えます。福祉・医療・教育など様々な分野においてキリストの愛を届けるお仕事に日夜邁進している社会事業関係者への思いを深くして頂くことや、最も弱い人に寄り添い、生活を共にする施設職員の方々の祈りと思いに共感し、励ましのメッセージを“祈りと共に事業を支える献金”として教会から届けて下さることは、社会事業関係者にとって最も大きな喜びです。
日本全国の教会並びに教会に連なる方々とそれぞれの地域の社会事業関係者・すべての働き人が共に祈りを合わせ、神様のご栄光を表わす事業に参列していく喜びを分かち合いたいと思います。
2022年12月4日
第41期総会期日本基督教団
社会委員 大沼昭彦
共に働くために
東北教区
髙橋真人
「共働」、この言葉は一般的な変換候補では出てこない。しかし、東北教区ではさまざまな働きや名称の中で用いられている言葉であり、東北教区のキーワードの一つと言ってもよいだろう。
端緒は1973年の第28回東北教区総会まで遡る。この時に策定した宣教基本方針の主題「共に働く教会」は、この後、2003年度まで実に30年間にわたって用い続けられることになる。ある人は「共に働くことがなかなか実現できないから、ずっと言い続けなければならなかったんじゃないの」と冗談交じりに皮肉る。それも一つの事実なのかもしれない。でも、その実質化をめざし、実現を求め続けて重ねてきた歩みが、いまの東北教区を形づくっているのも事実である。
2004年度からの10年は「共に福音を宣べ伝えよう」の主題のもと、「共有・共助・共働」の三本柱を軸に教区活動を展開してきた。しかし、東日本大震災の発生によりそれまでの基本方針を終結し、震災のただ中で新たな長期宣教基本方針を策定した。ここでも「共生・共働・派遣」という大切な柱のひとつとして継承されてきた。
2004年度の教区機構改革により、教区互助の会計は「宣教共働会計」と名づけられ、それを執行する「宣教共働委員会」は各地区総会議長が構成員となり、7つの地区の現状を共有しながら支えあい、歩んでいる。その営みは、東日本大震災や近年立て続けに起こる大きな地震に揺さぶられても変わることはない。
教団の基本となるものの言葉を借りて、それを変換して東北教区を言い表すとすれば、「共苦」のために「共献」「共喜」を大切に歩んでいる。小さな群れの多い東北教区だからこそ、一つひとつの存在を大事にして共働していきたいのである。
(東北教区議長)
社会での奉仕者の声に聞く
社会委員会が支援した活動の中から
苦難の時にこそ、優しさに気づく場所を
カフェ里やま 《岩手県》
「これらのいと小さき者の一人になしたるは、即ち我に為したるなり」。
誰もが集まれる場所作りを目指し、奥中山高原駅前通りの空家を借りて始めた甘味処と雑貨の店「気まぐれ工房め〜め亭」。店に来る一人ひとりの話しやつぶやき、悩みにお茶を飲みながら耳を傾ける。人は苦しく淋しい時に誰かが傍にいてくれることで安心し、慰めと勇気をもらえることがある。小さな店の小さな活動。来る方は少なくても、その一人ひとりに寄り添うことを大事にしてきた。
戦後奥中山に開拓団が入植した頃に、団長夫人の祖母が偶然にも同じ場所で開拓婦人会を設立し地域交流に走っていた。開拓団3役が偶然クリスチャンであり、地域の子どもたちの多くが教会に足を運んでいた。そんな歴史を背景に、店には当時子供だったお年寄りもよく集まって来た。店に同伴していた車椅子の母との昔話にも花が咲く。
社協と連携して多世代交流会を企画し自分たちの困っていること等を甘味処メニューを食べながら話し合い、ワークショップを企画し地域交流を行った。しかし、運営はかなり厳しかった。
2020年、「め〜め亭」の意志を受け継ぎ、同じ町内でも限界集落と言われる地で産直併設の店舗に「カフェ里やま」をオープンした。しかし、その直後からコロナの波がすさまじい勢いで増していき、激減する客数のため始めた外販に奔走しても売れ残ることも。結局併設の産直もコロナ禍の影響を受け閉店し、建物が売却されることを機に1年半で退去し、22年3月奥中山の店を夫婦で模様替えし「カフェ里やま」を再出発させた。
障がい者グループホームの方々がふらっと訪れて来る。母子室でくつろぐ幼児とお母さんたち。学校帰りにカフェで宿題をする子供たち。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を」。コロナ禍という苦難の時にこそ、本来、人が持っている優しさに気づく場所作りが必要かもしれない。
(戸田睦子報)
多岐にわたる相談に対応
NGO神戸外国人救援ネット 《兵庫県》
救援ネットは、阪神淡路大震災を契機に生まれました。それまでこの地域にいわゆるニューカマー外国人を支援する民間の総合的な窓口はありませんでした。震災当時、外国人ゆえの困難な問題を様々な団体がネットワークを組んで取り組みました。医療費、死亡弔慰金、義援金(日赤)などの問題でした。
2年もすると、相談内容は震災と関係しない諸問題に移りました。在留資格、家族関係、社会保障、住居、医療、労働、DV、教育、国籍、刑事事件などです。本当に多岐にわたる相談が寄せられます。在留資格の中では難民申請の問題も増加しています。
電話と事務室での相談から病院、入管、弁護士事務所への同行も増えています。言語は、日本語、 タガログ語、英語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、ベトナム語に対応しています。
幸い救援ネットでは、他の支援団体がうらやむ20名の強力弁護士が対応しています。
昨年度の国籍別相談者は、多い順にフィリピン、中国、ウガンダ、チュニジア、イラン、タイ、ブラジル、ベトナム、ガーナ、モロッコ、ラトビア、韓国、日本、シリア、ナイジェリア、ロシア、セネガル、ペルー、モルドバ、コロンビア、その他となります。神戸的な事情もあるのかもしれませんが、本当に多様です。
コロナ下でも従来どおりの相談に加えて、生活の問題が大きくなっています。他の団体と協力して食料配布にもとりくんでいます。またコロナ下、DVの問題も深刻さが増しているように思います。
救援ネットは発足以来、任意団体として活動を続けてきました。行政との関係も阪神淡路大震災時の共同作業を通して信頼関係が生まれてきました。兵庫県の外国人相談窓口の夜間部分の相談業務を受託したりしています。今年8月、特定非営利活動法人を取得しました。新たな一歩を踏み出すことになりますが、初心を忘れず困難な状況にある外国人によりそう活動を継続していきたいと考えています。引き続きのご支援をよろしくお願いします。
(飛田雄一報)
NGO神戸外国人救援ネット
(〒650-0004兵庫県神戸市中央区中山手通1−28−7カトリック神戸中央教会内、郵便振替01100-2-60701、代表=飛田雄一hida@ksyc.jp)
「あなたは高価で尊い」のみ言葉を聞き
しののめケアハウス 《沖縄県》
私たちの生きている世界は、不条理な世界です。戦争では命を奪われ、傷つけられ、家族と引き離され、恐怖に震える方々がいます。争いは他の地域、家庭でも続き心身に痛みをもって生きる方々がいます。こうした方々と出会う時、私たちは黙し、見過ごしてよいのでしょうか。
「しののめケアハウス」はDV被害者を無視することのできない出会いの中で始められました。避難所として「宿を差し出そう」と首里教会と沖縄キリスト教センターの共同の働きとして、「住まいの提供」と「自立支援」を一緒に目指し、今年で13年目を迎えました。来訪された方々は2021年度までに208名の女性と同伴家族255名です。DV被害、性被害、障がいのための差別や貧困などの課題を抱えた方たちです。今の社会ではこれらの方たちへの福祉施策は整備されているかに見えますが現実には法律の隙間や運用基準、予算などを理由にはじかれ、周辺に押しやられ、福祉サービスの対象外となっています。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い」のみ言葉を聴いた者として、来訪された方々にもこのみ言葉を伝えたいと押し出されています。働き人も日本基督教団の信徒のみでなく教派を超えた信徒たちの信仰の業として共に歩んでいます。シェルター(住まい)維持の費用や事業費は、教会・伝道所、信徒からの献金、ノンクリスチャンの団体や個人からの寄付、物品提供で行われ、行政の補助金、委託費に縛られることなく運営を継続することができています。また、精神的なケアとして「祈りと讃美のつどい」を運営委員の牧師が奉仕も大きな恵みです。
「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」のみ言葉に導かれ、主に従う歩みを続けたいと思います。皆で弱くされた人々を無視せず、主の祝福を信じて歩みましょう。
(仲宗根幸子報)
「互いに愛し合いなさい」のみ言葉に導かれて
香取の地域福祉を考える会 《千葉県》
千葉県内にある24時間365日対応型相談支援事業「中核地域生活支援センター」13カ所の一つを運営すべく「NPO法人香取の地域福祉を考える会」は、香取圏域1市3町の福祉の向上を願い、2009年に設立されました。以来、年間4000件を超す暮らしに係る様々な相談に対応してまいりました。また、その傍ら児童・障がい・高齢にまたがる「分野別福祉講演会」、地域づくり事業「香取圏域ふれあいまつり」を毎年開催してまいりました。
現在、法人では二つの地域貢献活動に取り組んでいます。
一つは、障害のある方々が自立した社会生活を営むことが出来るよう、就労や生産活動の機会を提供する「就労継続支援事業B型ワークおみがわ」。二つ目は、「香取市生活困窮者自立相談支援事業香取サポートセンター」です。
生活保護法に準拠した二つ目の事業を通しては、折りしもコロナウイルス感染拡大により、様々な困難を負った方々の語られる言葉に耳を傾ける時、見ることも叶わないウイルスに日常が脅かされ、当り前の生活が奪われてしまうことに思いを深くさせられています。
最後に、公的支援を受けない活動として「NPO法人ひきこもりコア・クライシス」の活動を共催し、月一度の相談会、個別支援を行っています。10代から50代のひきこもりの中にある方々、そのご家族に寄り添うことの大切さを教えられています。
マザー・テレサは「いちばんの貧困は孤独です。誰にも必要とされていないという思いです」と説かれています。
私が籍を置く佐原教会には、3年前から法人の活動を何かと支えて頂いています。また、一昨年には教団社会委員会より多額の支援を受けました。私共の働きが祈られ、支えられていることを感謝しています。
(中塚博勝報)
今こそ、声あげ
詩編113編4〜6節、ルカによる福音書2章10〜14節
目黒原町教会牧師
大塚 啓子
神が人となられた
クリスマスは、神が人となられた出来事です。神は天におられる方であり、地にいるわたしたちとはまったく次元の異なる存在です。天と地の間には超えることのできない大きな隔たりがあり、わたしたちの方から神に至る道はありません。しかし神は、天からこの世に下って来られました。ここに、わたしたちの信じる神の本質があります。
「主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き、なお、低く下って天と地を御覧になる」(詩編113・4〜6)。わたしたちの神は、すべての国を超えて高くいます方であり、その栄光は天を超えて輝くほどです。しかし、この高きにおられ、栄光に輝く神が地に下って来られました。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネによる福音書1・14)。言であるイエス・キリストは、肉となってわたしたちの間に宿られました。天におられる神の独り子が、地上に下りて来て人間となられ、わたしたちの間に宿ってくださいました。これがクリスマスの出来事です。
わたしたちのために
なぜ、神は人となられたのでしょうか。ルカによる福音書はこう告げます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」(ルカ2・11)。わたしたちのために、イエスさまはお生まれになった。イエスさまこそが、わたしたちの救い主であると告げます。そしてこの告知に続き、突然天の大軍が加わり、神を賛美します。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)。救い主の到来は賛美を生み出しました。神がわたしたちに救い主を与えてくださった。この恵みの出来事が、賛美を引き起こします。
天使の言葉を聞いた羊飼いは、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないかと言って、ベツレヘムに急ぎ、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、天使の話したことを人々に知らせました。そして、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って」(ルカ2・20)行きました。救い主のお生まれを見た羊飼いは、神を賛美する者となりました。
神を賛美できない存在
本来、わたしたちは神を賛美することなどできない存在です。罪のために神を信じることができず、むしろ拒みます。「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1・11)。主イエスは「ご自分の民」のところへ来られたのに、民は主イエスを拒みました。わたしたちは「神の民」とされ、この一年も神から多くの恵みをいただきました。しかし、どれだけその恵みを受け入れ、感謝をささげてきたでしょうか。さまざまな困難に目を奪われていたのではないかと御言葉から問われます。ここに、わたしたちのところに来てくださった神を拒み、排斥してしまう姿を見ます。農夫たちが、ぶどう園の主人の息子を「外にほうり出して、殺してしまった」ように(ルカ20・14)、神の独り子を拒み、殺してしまったのが、他ならないわたしたちです。神を賛美することなどまったく不可能な存在であることに目を留めさせられます。
罪からの救い−神を賛美する者として
しかし、この罪からわたしたちは救われました。この罪から救い出すために、神の独り子は人間となり、十字架におかかりになりました。まさに主イエスは、「わたしたちのために」、天から下って来てくださったのです。罪から救い出されたわたしたちは、神を賛美する者に変えられました。
「主を賛美するために民は創造された」(詩編102・19)。神はわたしたち人間を、「主を賛美するために」造られました。この創造された姿に回復されたのが、主イエスの救いの出来事でした。罪のために神を賛美することなどできなかったわたしたちは、罪を赦されて、神を賛美する者として回復されたのです。
詩編113は、「ハレルヤ」と神を賛美しています。天から下り、「弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げ」てくださった神に、「ハレルヤ」(9)と賛美をささげています。救い主の誕生を告げた天使の言葉に続いて、天の大軍は賛美をささげました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。
賛美の回復
新型コロナウイルス感染症のため、賛美を自粛せざるを得ない状況が長く続きました。目黒原町教会では、賛美を歌うことを止めたことはありませんが、曲数を減らし、飛沫感染を意識するところから、賛美の心が委縮してしまったのではないかと感じます。喜びの出来事であるはずの主イエスの救いを、溢れる喜びと共に語り伝えるのではなく、抑えてきたのではないか。わたしたちのささげている礼拝は、心の底から神を賛美するものとなっていただろうかと問われました。
クリスマスは、わたしたちが神を賛美する者に変えられた出来事です。わたしたちの罪を一方的に赦し、神を賛美する姿を回復してくださった日であるから、今こそ、わたしたちは賛美を回復したいと願います。
呼びかけに応えて
詩編は呼びかけます。「ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ。主の御名を賛美せよ」(詩編113・1)。天の大軍も賛美に連なるように招きます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。
救い主の誕生を見た羊飼いが、神をあがめ、賛美したように、わたしたちも今、救い主の誕生を見て、賛美の声をあげたいと思います。
「今こそ声あげ よろこんで歌え。みどりごイェスは 貧しいまぶねに 朝日のように 明るくかがやく。アルファ、オメガ、永遠の主」(讃美歌21・247番1節)。
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
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