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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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サムエル記上6・1~16

2023年2月11日
 主の箱は、七か月の間ペリシテの地にあった。ペリシテ人は、祭司たちと占い師たちを呼んで尋ねた。「主の箱をどうしたものでしょう。どのようにしてあれを元の所に送り返したらよいのか、教えてください。」彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すにあたっては、何も添えずに送ってはならない。必ず賠償の献げ物と共に返さなければならない。そうすれば、あなたたちはいやされ、神の手があなたたちを離れなかった理由も理解できよう。」ペリシテ人は言った。「それでは、返すにあたって、賠償の献げ物は何がよいのでしょうか。」彼らは答えた。「同一の災厄があなたたち全員とあなたたちの領主にくだったのだから、ペリシテの領主の数に合わせて、五つの金のはれ物と五つの金のねずみにしなさい。はれ物の模型と大地を荒らすねずみの模型を造って、イスラエルの神に栄光を帰すならば、恐らくイスラエルの神は、あなたたち、あなたたちの神々、そしてあなたたちの土地の上にのしかかっているその手を軽くされるだろう。なぜ、あなたたちは、エジプト人とファラオがその心を固くしたように、心を固くするのか。神が彼らを悩ませたので、彼らはイスラエル人を行かせざるをえなくなり、イスラエル人は去って行ったではないか。今、新しい車一両と、まだ軛をつけたことのない、乳を飲ませている雌牛二頭を用意しなさい。雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して小屋に戻しなさい。主の箱を車に載せ、賠償の献げ物として主に返す金の品物を箱に入れ、傍らに置きなさい。それを送り出し、行くがままにしなさい。そして見ていて、それが自分の国に向かう道を、ベト・シェメシュへ上って行くならば、我々に対してこの大きな災難を起こしたのは彼らの神だ。もし、その方向に上って行かなければ、彼らの神の手が我々を打ったのではなく、偶然の災難だったのだということが分かる。」
 人々はそのとおりに行った。乳を飲ませている二頭の雌牛を連れて来て車につなぎ、子牛を小屋に閉じ込めた。主の箱を車に載せ、金で造ったねずみとはれ物の模型を入れた箱も載せた。雌牛は、ベト・シェメシュに通じる一筋の広い道をまっすぐに進んで行った。歩きながら鳴いたが、右にも左にもそれなかった。ペリシテの領主たちは、ベト・シェメシュの国境まで後をつけて行った。ベト・シェメシュの人々は谷あいの平野で小麦を刈り入れていたが、目を上げると主の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベト・シェメシュの人ヨシュアの畑に着くと、そこに止まった。そこには大きな石があったので、人々は車に使われた木材を割り、雌牛を焼き尽くす献げ物として主にささげた。
 レビ人たちは主の箱と、その脇に置いてあった金の品物の入った箱とを下ろし、大きな石の上に置いた。その日ベト・シェメシュの人々は、焼き尽くす献げ物や、他のいけにえを主にささげた。ペリシテの五人の領主はこれを見届けると、その日のうちにエクロンへ戻った。

主の食卓に集まろう
コリントの信徒への手紙一11章17〜26節

富士見町教会牧師
藤盛 勇紀

「集まる」ことによって

 今年の元日は日曜日となったため、礼拝に集い、「主の晩餐」聖餐に与って新年をスタートした教会も多かったと思います。この手紙の11章に入ってから、礼拝や集会での混乱の問題、秩序をどう回復するかという話になっているのですが、冒頭でコリントの信徒たちを褒めていたパウロは、この箇所では、「次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません」(17)と言います。「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているから」(17)だというのです。ここでパウロが触れる問題は、教会の生命線に触れる深刻な問題です。 教会とは何か。私たちは信仰告白で明快に言い表します。「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集いなり」。教会とは、神の恵みによって召された者たちの「集まり」です。キリストに結ばれて一つとされた恵みは、私たちが「集まる」ことによって、具体的に現わされ、造り上げられて行きます。ところが、当時のコリント教会では、集まることが「むしろ悪い結果を招いている」という事態に陥っていました。教会破壊的なことが起こっている。なぜそんなことになっているのか。それは、「まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがある」(18)のだと。「仲間割れ」や「仲間争い」が教会にあるのは非常に気になることですが、この手紙の初めから、分裂や分派が生じていたことは分かります。それが、「一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」(20)という事態にまで至っていました。「主の晩餐」が「主の晩餐」になっていないという問題です。 「主の晩餐」は、イエスご自身が「わたしの記念としてこのように行いなさい」と命じられた特別な食事です。その食事は、主ご自身がいてくださる食事、主がおられる食卓です。 ところが、「一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならない」。混乱というより破壊です。それは「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だ」(21)というのです。そんな状態を知ったパウロは、厳しい言葉で叱責します。「あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう」(22)。「教会を見くびる」というのは、軽んじて侮ることです。「どうせ、ただ人が集まっているだけだろ」「主の晩餐と言っても、ただの食事だろう」と。そのように、集まることを、軽んじることです。 この先の、33〜34節の指示から分かりますが、コリントの信徒たちは、集まって食事をするのに「互いに待ち合わせる」ことさえできませんでした。ある人たちが先に食事を始めてしまったり、集まって食事をするにも、分け合うことさえしない。裕福な人たちは、自分の家ですでにリッチな食事を済ませ、当然ワインもたっぷり飲んでいる。教会に集まる時には、すでに酔っ払って、良い気分。かと思えば、奴隷のような貧しい人たちは、その日の仕事をすっかり終えてからでないと、集まりに参加することができません。ようやく教会に集まってみると、すでに食事も聖餐も終わっている。そのように、貧しい人々が辱められている。 今ではちょっと考えられないような有り様ですが、こんなことで「主の晩餐」、「イエスの食卓」が成り立つはずがありません。「主の晩餐」は、ただの食事ではなく、「主の」食事です。その食卓には主ご自身が臨席しておられます。だから教会では、この文字通りの「食卓」が、礼拝堂の真ん中に置かれるのです(時代によって、前方の壁に祭壇として置かれたり、説教卓と会衆席の間に置かれたり、文字通り中心に置かれたりします)。

主の恵みを味わい知る

 コリント教会の混乱ぶりですが、聖餐の破壊にまで及んでいたとは、少々衝撃的で、「これでも教会か」と思わされます。しかし、教会という集まりは、決して聖人君子や聖く正しい人の集まりではありません。「義人なし、一人だになし」(ローマ3・10)。教会は常にあらゆる人を招いています。当然、常に問題や悩みを抱えています。パウロも第二の手紙で、自分が経験した想像を絶する患難について告白した後で、言うのです。「このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります」(11・28)。パウロを悩ましたのは、命が脅かされるような患難より、むしろ「日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事」でした。さらには、パウロ自身の肉体的・精神的苦痛が追い打ちをかけていました。そんな日々で、彼は何を味わい、知ったのかというと、主ご自身が自分に語ってくださるお言葉なのです。主はパウロに親しく語りました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12・9)。だからパウロは言ったのです。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(12・9〜10)。
 私たちが知る主の恵みは、具体的です。主の恵みは、何か新しい考え方だとか、気の持ちようのようなことではなく、自らの体をもって味わい知るものです。自分の肉体や心の弱さにもかかわらず、時には「行き詰まりの状態にあっても」、満ち足りて生きられる恵みです。「わたしは弱いときにこそ強い」と言い切れる強さです。主の恵みは、力を発揮するからです。
 そこで、単純、率直にお勧めしたいのです。主は語っておられるのですから、日々主の御言葉に聞きましょう。そして、集まりましょう。この私たちの体をもって、主の恵みを味わいましょう。もちろん、感染症の危険がありますから、集まることは相変わらず難しいのです。しかし、ただ引き籠もって健康を保つとして、そこでいったい何を守るのか、考えたいと思うのです。
 パンデミックが始まった頃、「礼拝に来てください」とは言えないので、教職と一部の長老に限定して礼拝を献げました。礼拝は中止すべきだという意見もありました。人命の方が大切ではないかと。それはそのとおりです。しかし、なぜ限定しても礼拝を続け、リスクを冒して集まったのか。それは、最も大切なことは何か、私たちに最も必要なことは何かを、示すためでもありました。
 実際に主の食卓の周りに集まる礼拝は、教会共同体にとって何より大切なことです。ここで主の御声を共に聞いて、共に主の恵みを体で味わい、遣わされる。それ以上に大切で価値あることが他にあるでしょうか。
 コロナ禍に対応する生活は、4年目に入りました。また、人それぞれ様々な事情も抱えています。それでも、基本的には集まりましょう。「主のもとに、主の食卓に集まろう」と、呼びかけ続けます。私たちは、ここに臨んでくださる主の民、主のものだからです。

2023年2月10日

 ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた。人々はダゴンを持ち上げ、元の場所に据えた。その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつ伏せに倒れていた。しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていた。そのため、今日に至るまで、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者はだれも、アシュドドのダゴンの敷居を踏まない。
 主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせられた。アシュドドの人々はこれを見て、言い合った。「イスラエルの神の箱を我々のうちにとどめて置いてはならない。この神の手は我々と我々の神ダゴンの上に災難をもたらす。」彼らは人をやってペリシテの領主を全員集め、「イスラエルの神の箱をどうしたものか」と尋ねた。彼らは答えた。「イスラエルの神の箱をガトへ移そう。」イスラエルの神の箱はそこに移された。
 箱が移されて来ると、主の御手がその町に甚だしい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった。
 彼らは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンに着くと、住民は大声で叫んだ。「イスラエルの神の箱をここに移して、わたしとわたしの民を殺すつもりか。」彼らは人をやってペリシテの領主を全員集め、そして言った。「イスラエルの神の箱を送り返そう。元の所に戻ってもらおう。そうすれば、わたしとわたしの民は殺されはしないだろう。」実際、町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていた。死を免れた人々もはれ物で打たれ、町の叫び声は天にまで達した。

 

2023年2月9日

 イスラエルはペリシテに向かって出撃し、エベン・エゼルに陣を敷いた。一方、ペリシテ軍はアフェクに陣を敷き、イスラエル軍に向かって戦列を整えた。戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした。兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」
 兵士たちはシロに人をやって、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから担いで来させた。エリの二人の息子ホフニとピネハスも神の契約の箱に従って来た。主の契約の箱が陣営に到着すると、イスラエルの全軍が大歓声をあげたので、地がどよめいた。ペリシテ軍は歓声を聞いて言った。「ヘブライ人の陣営にどよめくあの大歓声は何だろう。」そして、主の箱がイスラエル軍の陣営に到着したと知ると、ペリシテ軍は、神がイスラエル軍の陣営に来たと言い合い、恐れて言った。「大変だ。このようなことはついぞなかったことだ。大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ。ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え。」
 こうしてペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ。
ベニヤミン族の男が一人、戦場を出て走り、その日のうちにシロに着いた。彼の衣は裂け、頭には塵をかぶっていた。到着したとき、エリは道の傍らに設けた席に座り、神の箱を気遣って目を凝らしていた。その男が町に知らせをもたらすと、町全体から叫び声があがった。
 エリは叫び声を耳にして、尋ねた。「この騒々しい声は何だ。」男は急いでエリに近寄り報告した。エリは九十八歳で目は動かず、何も見ることができなかった。男はエリに言った。「わたしは戦場から戻って来た者です。今日戦場から落ちのびて来ました。」エリは尋ねた。「わが子よ、状況はどうなのか。」知らせをもたらした者は答えた。「イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ去り、兵士の多くが戦死しました。あなたの二人の息子ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」
 その男の報告が神の箱のことに及ぶと、エリは城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ。年老い、太っていたからである。彼は四十年間、イスラエルのために裁きを行った。

 

2023年2月8日
 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。<サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。わたしはエリの家について誓った。エリの家の罪は、いけにえによっても献げ物によってもとこしえに贖われることはない。」
 サムエルは朝まで眠って、それから主の家の扉を開いた。サムエルはエリにこのお告げを伝えるのを恐れた。エリはサムエルを呼んで言った。「わが子、サムエルよ。」サムエルは答えた。「ここにいます。」エリは言った。「お前に何が語られたのか。わたしに隠してはいけない。お前に語られた言葉を一つでも隠すなら、神が幾重にもお前を罰してくださるように。」サムエルは一部始終を話し、隠し立てをしなかった。エリは言った。「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように。」サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた。主は引き続きシロで御自身を現された。主は御言葉をもって、シロでサムエルに御自身を示された。
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