力は弱さの中で
置戸教会員
佐久間光昭さん
北海道、置戸町で生まれ、実家は写真屋を営んでいた佐久間さんが教会と出会ったのは、教会の保育園に通ったことによってだった。小学校2年生の時に父が召され、父と同様に町の社会教育に携わっていた牧師の姿が父と重なり、「こういう人になりたい」との思いを与えられた。また、小学1年の時、心臓の病のため18歳までしか生きられないと診断され、中学2年の時に手術をした際には、真剣に祈る体験をした。そのような中、高校1年の時に受洗した。
若い頃は音楽大学に進みたいという夢もあったが、母から、地元に残り、家業を継ぐ兄を助けて欲しいと言われ、役場に就職した。教会では、30代の頃、役員に選ばれ、間もなく書記役員となり、現在までその奉仕を担っている。
2008年頃、町の人口減少による幼保一元化の流れの中で、教会は、キリスト教保育を続けられなくなり、牧師を招聘することが難しくなる。現在の荒谷陽子牧師は、北見望ヶ丘教会の信徒であったが、教会の願いに応えるべく仕事を辞めて信徒伝道者となった。教会は「宣教主事体制」を作り、教区の支援を受け、荒谷牧師は、Cコースで教師となり現在に至る。
この経験を通して、教会員が主体的に教会を形成しなくてはならないとの思いが強くされた。この思いが、老朽化の激しかった会堂を新たに建築する思いにつながって行く。多くの人に支えられ、地域の風景ともなっている置戸教会を守って行こうという思いで取り組み、昨年の秋に完成した。
当初は、「公務員の性」からか、佐久間さんが最も計画に対して懐疑的だったそうだ。しかし、新会堂が建てられた今、「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリント二12・9)との御言葉を受け止めているという。
2022年3月14日に呼びかけた「ウクライナ献金」は、6月23日現在64,355,491円に達しており、ACTに46,545,077円、日本YMCA同盟に3,000,000円送金しましたが、募金期間を今年の12月末まで延長いたします。尚、2月14日に呼びかけた「シリア・トルコ地震被災者救援募金」は31,772,278円(6月23日現在)に達し、ACTに14,673,781円送金しました。こちらの募金期間は8月末までです。
2023年7月4日
日本基督教団社会委員長 柳谷知之
◎送金先
加入者名 日本基督教団社会委員会
郵便振替 00150−2−593699
(通信欄に「ウクライナ救援募金」とお書きください)
*銀行振込、クレジット献金も可。詳細はホームページ参照
4つの声明、2つの議事録を採択
6月21〜27日まで、スイス・ジュネーブで開催されたWCC中央委員会に出席。日本からの委員は私1人となりますが、昨年開催されたWCC総会で出会った方や教団の関係教会からの出席者たち等、既に顔見知りの方々も少なくなく、日本基督教団が合同教会であることの豊かさを改めて覚えました。
この中央委員会には昨年の総会で選出された8名の議長団と150名の中央委員のほか、アドバイザー(ユースも含む)、総会運営等に奉仕するスチュワード(ユース)が出席。毎朝8時半の祈りの集いに始まり、午後7時頃まで会議、それからホテルに戻り、8時から夕食という日々でした。
開会礼拝では今年の5月31日に天に召されたアグネス・アブーン前WCC総会議長を追悼する時も設けられました。彼女はWCC初の女性議長、かつアフリカ系初の議長で、昨年の総会で議場を取り仕切られた姿を感謝と共に思い起こします。
中央委員会会期中、地域別、教派別、全体の約4割を占める女性の集い等も持たれました。また全委員が振り分けられた各委員会も行われ、最後に全体協議で各委員会報告を受け、議事録や声明文が承認されます。
世界各地の様々な事が取り上げられましたが、新たに、「朝鮮戦争休戦協定70周年」、「世界人権宣言75周年記念」、「AI(人工知能)の無秩序な発展」、「フィリピンにおける人権状況」に関する計4つの声明、更に「ミャンマー情勢」、「東地中海における領土危機」、「様々な緊急課題」に関する計2つの議事録が採択されました。
日曜日は、カルヴァンが宗教改革を行ったサン・ピエール大聖堂でエキュメニカルな礼拝を捧げ、午後はエキュメニカル・センターに戻り、WCC75周年記念祝会が持たれました。教団はWCC創立時からの加盟教会です。次回は2年後の2025年に開催されます。
(西之園路子報)
幼稚園は教会の使命
八幡浜幼稚園園長・八幡浜教会牧師
森分 信基
八幡浜幼稚園は、愛媛県八幡浜市の最初の幼稚園として1925年に設立されました。信徒伝道者であった森分小稲伝道師の「八幡浜の幼子に教育を」との強い思いから始まりましたが、当時の幼子の大人から放っておかれた状況をどうにかしなければと考えられたのかもしれません。以来、主に与えられたかけがえのないこどもたちを愛しつつ歩んできました。
2009年4月、宗教法人であった法人を学校法人としました。経営的に限界を迎えていました。当時、教会の役員会では閉園する方向で考えられていましたが、苦しい話し合いを繰り返す中で「教会の使命を最後まで果たす」ことを知らされ、大きな方向転換をしました。この教会の決断が、「幼稚園は教会の使命」との現在の在り方を決定づけました。
2019年、耐震工事及び津波対策として園舎の建て替えを行いました。その設計の段階で共に暮らす地域の方々も避難できる園舎を建てることになりました。東日本大震災において、被災された宮古教会から設計士を紹介して頂くなど、大きな支援と影響を受けた事業でした。
2020年、認定こども園となり、保育事業も開始し、より幅の広いこどもたちを受け入れています。
同年、八幡浜教会との共同の働きとしてこども食堂を始めています。新園舎の屋上には津波の避難所として塔を設けています。そこに十字架をあえて設置しました。
教会の使命として、その恵みに基づいて、年齢的に、または社会的に小さい方々に仕える形で、幼稚園の働きをなしていきたいと願っています。
末留英夫(無任所教師)
23年6月25日逝去、72歳。宮崎県生まれ。99年日本聖書神学校卒業。00年より浪江伝道所、江古田、千葉南教会を牧会。遺族は妻・末留素子さん。
堀 光男(隠退教師)
23年6月29日逝去、91歳。山口県生まれ。56年東京神学大学大学院修了。同年より高知教会を牧会し、日本クリスチャンアカデミーに務め、新宿伝道所を経て19年隠退。遺族は妻・堀町子さん。
佃 克巳(隠退教師)
23年7月9日逝去、92歳。兵庫県生まれ。59年受允、64年受按。60年より志筑、淡路三原、広石教会を牧会し、21年隠退。遺族は息・佃真人さん。
宇野 進(隠退教師)
23年7月9日逝去、88歳。愛媛県生まれ。59年同志社大学大学院修了。同年より土佐、日向福島、敦賀、伊丹、松山教会を牧会し、99年隠退。遺族は妻・宇野潔子さん。
正教師登録
赤松真希(2023・5・22受按)
金 清洛(2023・5・23受按)
髙根祐子、湯本赦頼、飯泉有一(2023・5・31受按)
補教師登録
劉 加貝(2023・5・9受允)
後宮 嗣、川崎直己(2023・5・20受允)
眞鍋ヨセフ、吉川祥平(2023・5・22受允)
上内 恵(2023・5・23受允)
太田好則、小田哲郎、柳沼大輝(2023・5・28受允)
横内 純、平澤巴恵(2023・5・30受允)
守屋靖代(2023・5・31受允)
和泉景太、小倉裕子、加太典子、坂口由起(2023・6・24受允)
教師異動
横須賀学院中学・高校 辞(教)梅田玲奈
広島女学院中学・高校 就(教)梅田玲奈
世光 就(担)後宮 嗣
ゴスペルハウス 就(担)川崎直己
高田 就(主)横内 純
新井 就(代)横内 純
春日部 就(担)平澤巴恵
神戸栄光 就(担)眞鍋ヨセフ
塚口 就(担)吉川祥平
松井田就(代)朝日研一朗
野辺地 就(主)湊 理恵
本荘 就(主)森 豪司
喜連自由辞(主)永口裕子
〃 就(主)劉 加貝
北海教区辞(教)小西陽祐
〃 就(教)韓 守賢
芦別 辞(代)日向恭司
〃 就(代)韓 守賢
飫肥 辞(主)葛井義顕
倉吉上井辞(主)奥田 望
〃 就(主)葛井義顕
熊本白川辞(主)富山 信
〃 就(代)日下部遣志
飯田吾妻町 就(担)守屋靖代
蒲原 辞(代)新里正英
〃 就(代)飯田啓子
遠州栄光 辞(担)倉持おりぶ
気賀 就(代)西堀俊和
聖隷クリストファー中学・高校辞(教)仲 義之
東京神学大学 辞(神)芳賀 力
塚口 辞(担)赤松真希
兵庫教区就(教)赤松真希
広島女学院大学 辞(教)澤村雅史
名古屋学院大学 就(教)澤村雅史
兵庫教区辞(教)加藤俊英
下関西辞(代)世良田静江
〃 就(主)加藤俊英
広島観音町 就(担)上内 恵
阿佐ヶ谷就(担)太田好則
南三鷹 就(担)小田哲郎
戸山 就(担)柳沼大輝
横須賀学院中学・高校 就(教)和泉景太
本牧めぐみ 就(担)小倉裕子
港南希望辞(代)鈴木淳一
〃 就(主)坂口由起
野比 就(主)加太典子
小野 辞(主)寺崎 真
〃 就(代)木原貢基
兵庫松本通 辞(主)東島勇人
〃 就(主)寺崎 真
東梅田 就(主)東島勇人
教会所在地名変更
飯田入舟 〒395−0051 飯田市高羽町3−2−2
教会通信先変更
相良 〒421−0422 牧之原市静波753 榛原教会気付
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
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