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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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コリントの信徒への手紙二 3・1~18

2024年2月1日

わたしたちは、またもや自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。 もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、 霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。 人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。 そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。 なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。
 このような希望を抱いているので、わたしたちは確信に満ちあふれてふるまっており、 モーセが、消え去るべきものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、自分の顔に覆いを掛けたようなことはしません。 しかし、彼らの考えは鈍くなってしまいました。今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。それはキリストにおいて取り除かれるものだからです。 このため、今日に至るまでモーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。 しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。 ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

「詩編を祈る」

聖書個所
いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ 主に申し上げよ 「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。 あなたは主を避けどころとし いと高き神を宿るところとした。 91編1~2,9節

【ダビデの詩。】 主よ、あなたを呼び求めます。 わたしの岩よ わたしに対して沈黙しないでください。 あなたが黙しておられるなら わたしは墓に下る者とされてしまいます。 28編1節

わたしの魂は苦難を味わい尽くし 命は陰府にのぞんでいます。 穴に下る者のうちに数えられ 力を失った者とされ 汚れた者と見なされ 死人のうちに放たれて 墓に横たわる者となりました。 あなたはこのような者に心を留められません。 彼らは御手から切り離されています。 あなたは地の底の穴にわたしを置かれます 影に閉ざされた所、暗闇の地に。 88編4~7節

瞳のようにわたしを守り あなたの翼の陰に隠してください。 17編8節

神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください。 心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。 高くそびえる岩山の上に わたしを導いてください。 あなたは常にわたしの避けどころ 敵に対する力強い塔となってくださいます。 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り あなたの翼を避けどころとして隠れます。 61編2~5章


桜美林大学教員・チャプレン
ジェフリー・メンセンディーク宣教師

 こんにちは。ここは東京都町田市にあります桜美林学園です。私はここで教員として、そしてチャプレンとして働いているメンセンディークと申します。私にはもう一つの肩書がありまして、米国合同教会派遣の宣教師として長年日本で働いてきました。最近は世界で自然災害が頻発しています。愛する人を亡くし、家・道路・インフラが壊れると私たちは居場所を失って途方に暮れます。物理的な居場所が崩れると精神的な居場所もぐらつきます。今日は「居場所」というキーワードを通して昔の詩人たちが残してくれた詩編の言葉を見て行きます。
 アブラハムとその妻サラは生まれ故郷を後にして神様が示す地を求めて旅にでました。思えば聖書の登場人物は絶えず居場所探しをしています。アブラハムたちの信仰も、新たな居場所を求める処から始まりました。そう考えると居場所探しとは人間の永遠のテーマなのかも知れません。
 詩編には居場所を表す比喩がいくつもありますが、今日は二つだけ取り上げます。居場所を失った比喩としての「穴・墓穴」、そして居場所を得た比喩として「翼のかげ」です。比喩というのははっきりとしたイメージを与えますが、特定の時と場所を指しません。詩人は読み手の想像力をかき立て、自由な発想で自分の現実に置き換えて考えられるように、比喩という表現方法を用いています。では、具体例を見て行きましょう。

 まず詩編281節(p.858)をご覧ください。

「墓に下る者」とありますが、これは神様に見放された人の心境をうたっています。「墓穴」とは、命から遮断され、無効にされ、沈黙させられ、忘れ去られるところです。創世記にはヨセフと言う男が兄弟たちに嫌われて穴に投げ込まれる場面があります。穴とは、死んだも同然とされる場所です。

 もう一か所、今度は詩編884-7p.925)です。

 ここで伝わってくるのは無力感です。そして「暗闇」という言葉があります。穴に投げ込まれた人は心の闇(うつ症状)を経験します。穴に投げ込まれる経験は神様を信じたからと言って免れるものではありません。でも、そこは本来の人間の居場所ではありません。詩編30:10で詩人は抗って言います。「私が死んで墓に下ることに何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ、あなたのまことを告げ知らせるでしょうか?」私たちの命の目的は主をたたえることです。詩人は自分が「穴」にいるべきではないと知っています。
 詩編は祈りの言葉です。詩編を祈る人は穴に落ちる経験から再び居場所を得る恵みへと導かれます。居場所を得る時の比喩として登場するのが「翼のかげ」です。「翼のかげ」とは安全と安心、優しさ、養う者の存在を表します。親鳥がヒナを養うように、自分よりも大きな存在が自分をそっと大切に守ってくれます。

 二つの詩編を見てゆきます。まず、詩編178p.846)をご覧ください。また、続けて詩編61:2-5(p.894)をご覧ください。 

 詩人の目には自分を養ってくださる神様の姿があります。宗教に属していない人はここで批判するかも知れません。「結局宗教を信じる人は神様に依存している。宗教は弱い人のためにあるのだ」と。しかし、見方を変えればこれはキリスト教やユダヤ教の現実主義です。しょせん人間は自分が思っているほど強くも賢くもない。人間は神様に守られ支えられる存在である。この考え方の方がより現実的ではないかと思いませんか?

  最後にお読みしたいのは詩編91:1-2,9(p.930)の言葉です。

 詩編を祈る人は今穴の中にいるのかも知れません。無力感と戦い、居場所を失い、方向感覚を失っているのかも知れません。これは恥ずかしいことでも、悪いことでもありません。私たちが人生の中で必ず経験する試練の時です。詩編を祈る人は、91編にもあるように、「いと高き神のもとに身を寄せてかくれ、全能の神のかげに宿る人」です。これは未来の希望を言っているのではなく、その祈りは今のこととして言っているのです。祈る人は、祈ることを通して、「穴」から「翼のかげ」に移るのです。それこそ、無力な場所から安全な場所に、死から命へと移るのです。祈ることは希望の証です。新しい命に向かう信仰の証です。私たちはこのように詩編を祈ることで神様が私たちの内に生きて働いて、私たちを新たにしてくださる、「穴」から「翼のかげ」に贖いとって下さることを祈っているのです。

 皆さんは今までの人生でどのような「穴」を経験されてきたでしょうか?20242月です。能登地方の方々、ガザの方々。深い穴の中から祈り求めるすべての方に神様のみ守りと祝福をお祈りいたしましょう。

2024年1月31日

 悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。 その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。 むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。 わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。 あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。 わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。

 わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、 兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。
 神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。 わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。

2024年1月30日

 このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。 そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。 わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。
 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。

 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。

2024年1月29日

駆け込み寺・飯盛り女とからゆきさんの帰国
素描・歴史の中に生きた女性たち

 太田市は、関東水平社・群馬水平社の創立の町ということだけでなく、古くは、満徳寺 ( 旧尾島町 ) という、日 本で二つの縁切寺があり、復元された寺と資料館があります。また、日光東照宮へ代参する例幣使が使う例幣使 街道の木崎宿には県内で最後まで飯盛り女がいました。その墓も現存します。ふるさと恋しさに歌った歌は木崎 節からやがて八木節になっていったといわれています。地方の一隅からすこしの歴史をたどるだけでもその時代 に生きた女性たちの息遣いが聞こえます。この地に生きた女性たちの姿に思いを馳せたいと思います。

日 時 : 2024 年 3 月 23 日(土)12 時〜 16 時 30 分
場 所 : 太田市学習文化センター第 2 研修室(群馬県太田市飯塚町 1549 ー 2 )
最寄駅:東武伊勢崎線「太田駅」(1.3km・徒歩 15 分)
参加費:2000 円(バス代含む)
定 員:
20 人(先着順)
* 昼食は 12 時講座開始までに各自お取りください。お弁当を会場で食べることも可能です。 縁切寺満徳寺資料館の入館料 200 円は各自お支払いください。

申し込み:NCC 部落差別問題委員会へ名前、所属、住所、電話、メールを明記してメールで nccbdic☆gmail.com へお申し込みください。
※☆を@マークにかえてください

12:00 講演「素描・歴史の中に生きた女性たち」
安田 耕一 ( 日本基督教団 ) *太田市足尾鉱毒展示資料室見学〈丸木位里・俊作 足尾鉱毒の図〉

14:00 フィールドワーク 案内・安田耕一
 1 飯盛り女が信仰した木崎宿色地蔵、飯盛り女の墓
 2
縁切寺満徳寺資料館

16:30
終了 / 太田駅前で解散

主催 日本キリスト教協議会(NCC) 部落差別問題委員会

案内チラシPDF

 

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