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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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マタイによる福音書15・29〜39

2024年8月27日
 イエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして、山に登って座っておられた。 大勢の群衆が、足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえたので、イエスはこれらの人々をいやされた。 群衆は、口の利けない人が話すようになり、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を賛美した。
 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」 イエスが「パンは幾つあるか」と言われると、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えた。 そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、 七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。 人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。 食べた人は、女と子供を別にして、男が四千人であった。 イエスは群衆を解散させ、舟に乗ってマガダン地方に行かれた。
2024年8月26日

 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」 そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

2024年8月25日
 実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。 しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。
死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
2024年8月24日
 そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。 「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」 そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。 神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。 それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、 父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。 偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。
『この民は口先ではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
人間の戒めを教えとして教え、
むなしくわたしをあがめている。』」
 それから、イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。 口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」 そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存じですか」と言った。 イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。 そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」 するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。 イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。 すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。 しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」

 今は亡き旧約学の教授が、神学生に向けて、「土の器」という言葉を用いて証をすることに苦言を呈していたのを思い起こす。当時、「土の器」を好んで用いていた神学生の一人として、その言葉を聞いた時、意図を理解できず、怪訝に思ったのを覚えている。▼神学生にしてみれば、訓練中の身として、未熟である自らを謙遜して語りたくなる言葉だが、それが多用される中で、謙遜の美徳を身に着けていることを表す言葉のようになっていたのを座視できなかったのかもしれない。▼パウロが、「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(二コリ4・7)と語る時、そこには、自らの未熟さに対する卑下も、謙遜に振る舞える自分に対する自惚れもない。ただ自身が、脆く、壊れやすく、朽ちて行くものであるからこそ、その中に納められた、キリストによって与えられる罪と死を超える命、神から来る偉大な力が明確になることを伝えている。▼神学校を卒業して年月を経、お世話になった伝道者の訃報に接することが多くなった。主を讃えつつ召されて行く先達の姿に接する度に、「土の器」として主を証する姿勢を教えられている。

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