ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
「慰めの約束」
聖書箇所:「 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。」
マタイによる福音書5章4節
芦屋西教会
若林一義 牧師
日本基督教団のYouTubeチャンネルをご覧の皆さん、こんにちは。わたしは、兵庫県芦屋市にある芦屋西教会の牧師、若林一義です。
皆さん暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか?
7月から日本各地で10年に一度と言われるほどの猛暑が続いています。8月もこの猛暑は続きそうですね。
またこの猛暑の中、日本各地で水害が発生しています。その中に今生活をしておられる一人一人の苦しみの中に神さまが共にいてくださることを覚えます。
私たちの生きている日本、世界は様々に困難な課題をもって歩んでいます。またそれは、国だけでなく、私たち一人一人もそれぞれに困難さを覚えるものをもって歩んでいます。
自分自身のこと、家族のこと、会社のこと、友だちのことなどなど・・・先行きの不安や心配が私たちを常に揺さぶり、不安や恐れに取り囲まれそうになります。いや、いままさに恐れに取り囲まれている人もいるでしょう。しかし、いまも生きて働いておられる神さまは「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」とわたしたちに確かな言葉で力強く、愛に溢れ、慰めに満ちた祝福の言葉を語ってくださっています。
聖書をお読みします。
新約聖書マタイによる福音書5章4節「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」
イエスさまが山の上で弟子たちに、そして群衆たちに語られた幸いの言葉を一緒に聞きたいと思います。二つめの言葉であるこの4節の「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」。この言葉は3節の「心の貧しい人々は、幸いである」と並んで、非常に印象的で、そして逆説的な言葉です。時には躓きを与えかねない言葉でもあるでしょう。特に今悲しみのただ中にある人からすれば「どうして悲しむ人が幸いなんて言えるのか」と反発を覚えるでしょう。実際、わたし自身も反発を覚えたことも何度もあります。
私たちは今までの歩みの中で、どうしようもないほどの悲しみの中に身を置く経験や涙も枯れるほどの経験、生きる気力も失せてしまい、いっそ自分の存在を消してしまいたいとさえ思う、そんな悲嘆の経験してきました、いや、いまもそのただ中に立っています。イエスさまはそのような悲しみ、涙、悲嘆を経験していく、している私たちに、「あなたは幸いだ」、「あなたは祝福されている」と言われます。それはイエスさまが私たちのこのような悲しみ、涙、悲嘆と無関係ではないことを示しています。
イエスさまがくださる悲しむ者への祝福とはなんでしょうか。それは悲しむ者に慰めが与えられるという祝福です。いま泣いている人がやがて笑うこと、喜ぶことができるという祝福です。それはまさに私たちのもとにイエスさまによる救いがやって来る、という祝福なのです。
旧約聖書イザヤ書35章10節に「主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。」と語られています。
救いイエスさまが来られたということは、楽しみと喜びがやって来たということであり、もはや悲しみは逃げ去っていくのだと預言者は語ります。
「悲しみ」の代わりに「喜び」が、人間の手による一時的な喜び、形だけの慰めや励ましのようなものでなく、イエスさまが十字架で勝ち取ってくださったいのちの輝きからあふれ出す喜びが与えられると約束されているのです。
このことは他の福音書でも言葉を変えて語られていました。「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。・・・その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」と。新約聖書の最後に記されているヨハネの黙示録にも「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」と語られています。
その慰めの中に生きる者とされていることこそが、悲しむ者にイエスさまがくださる祝福の中身そのものです。今、悲しみの中にあり、涙し、悲嘆に暮れている私たちに、イエスさまは来てくださり、ご自身の死と復活をもって私たちに本当の慰め、本当の励まし、本当の力を与えてくださいます。私たちが味わうどんな苦しみ、痛みも、イエスさまは決して知らないということはありません。
悲しむ者を慰めてくださるイエスさまの慰めは、ただ私たちの傷を上からなでるだけの、一時的にその痛みや涙を忘れさせるだけのものや、その痛みから目を逸らせるためだけのものでは決してありません。そうではなく、イエスさまの慰めは私たちを癒し、悲しみ苦しみからの解放へと導き、イエスさまと一緒に生きる者・歩む者へと変えてくださるのです。そこに悲しむ者への約束と祝福があります。この悲しみ、涙、悲嘆に暮れる経験を通して私たちはイエスさまに結び合わされていきます。そのような私たちに向かってイエスさまは今も約束してくださるのです。
「悲しむ人、泣いている人、あなたは祝福されていますよ」と。この慰め・祝福をいただいた者として、やがて笑うとき喜ぶときが来るという約束をいますでに現実のものとさせていただいて、悲しみのただ中にあってもなお神さまの祝福を諦めずに信じる、疑わずに信じる、そこにもたらされる本当の慰めの中に歩んでいきましょう。
お祈りします。
いま私たちと共に生きて歩んでくださる神さま
あなたの大きな恵みに感謝します。わたしたちはそれぞれに言葉にできない悲しみを持って苦しみながら歩んでいます。そのわたしたちに慰めを与えてくださる約束をわたしたちが受け止めることができますように。下を向いて歩みを止めてしまう時にもあなたがわたしと一緒に歩んでくださることを思い起こさせてください。あなたの愛と慰めと共に新しくあなたと歩むことができますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名を通してお献げいたします。
アーメン
2024年8月1日
2024 平和メッセージ
幸いなるかな。平和を実現するものたちは。
日本基督教団社会委員会
委員長 柳谷知之
現在、日本政府は防衛費倍増、敵地攻撃能力保有という「軍拡」の道を推し進めています。2022年12月、岸田政権は安保関連3文書(「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」)の改訂を閣議決定し、2023年6月には「防衛力強化2法」(「防衛財源確保法」、「防衛生産基盤強化法」)を成立させました。加えて、今年の3月26日、次期戦闘機の第三国への輸出解禁を国家安全保障会議において決定しました。また、今年の1月には自衛隊の神社参拝常態化が明らかになりました。現在の私たちの国の問題は以下のようにまとめられます。
1.敵地攻撃能力について 敵基地攻撃能力の保有は、対中国ミサイル包囲網を構築しようとする米軍の計画に呼応しています。これにより、宮古島、奄美大島、石垣島、沖縄本島(うるま市)にミサイル部隊が配置され、南西諸島の地対艦ミサイル体制を強化しています。敵による武力攻撃開始の判断は難しく、標的もミサイル基地だけに限りません。このミサイル基地は台湾有事にも用いられることになりそうです。先制攻撃がいつでもできる状況で、東アジアの軍事的緊張は増大しています。
2.ミサイル防衛について 日本は食料の約6割、エネルギー資源のほとんどを他国に頼っています。ウクライナ-ロシア戦争においても、食料やガソリン等の物価は高騰しました。どんな最新鋭の武器を擁したとしても、日本が戦争状態に入れば、食料やエネルギーの確保はできず、国民の生活は困窮を極めます。
3.防衛力強化について 岸田首相は、バイデン大統領に約束した(2022年5月)とおり、「5年間で総額43兆円」の防衛費増額を目指しています。このため暮らしに必要な財源の不足を招き、国民の生活はますます脅かされます。
4.日米安保について 米国の対中国戦略は台湾有事などに備えてますます厳しくなっています。日米安保によって日本の軍事的役割の強化も求められています。軍拡は米中衝突の際には、アメリカと一体となって中国を攻撃するためであると考えられ、米中間、日中間の緊張は一層高まります。
5.防衛生産基盤強化法について 「防衛生産基盤強化法」は、軍需・武器輸出産業への財政支援、貸付促進、事業継続が困難な企業の国有化等が定められ、これにより武器輸出の促進と、軍需産業の実質的「国営化」が進められます。「装備品等機密」という曖昧な指定により、軍需産業従業員に対する「守秘義務」と刑事罰を定め、民主主義と平和主義を破壊します。
6.軍事技術、装備の共同開発、輸出について 「グローバル戦闘航空プログラムに係る完成品の我が国からパートナー国以外の国に対する移転について」の国家安全保障会議決定及び閣議決定、並びに「防衛装備移転三原則の運用指針」の改正により、政府はイギリス・イタリアと次期戦闘機を共同開発し、それを第三国へ輸出できるようにしました。攻撃能力を持つ戦闘機を他国と開発し、さらにその採算をとるために輸出することは、専守防衛を掲げる日本国憲法の原則を壊しています。
7.自衛隊による靖国神社や各神社の参拝について 日本国憲法は、かつての戦争を反省し、国家神道的なある種の神権国家体制と決別し政教分離の原則を持っています。にもかかわらず軍事力を握る人々や国の指導者が靖国神社参拝を当たり前のようにし神権国家体制を推進しようとしています。「偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる。」(詩編115:8、135:18)と言われるように、このことは、自由にものを言えない社会を造り出します。
以上のような戦争に備えた体制は、聖書が語る平和とは対極にあるところです。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(ミカ書4章3節)とあるように、神が約束される来るべき世界は、すべての武器が平和の道具に変えられることです。また、聖書は「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26章52節)、「暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。」(詩編62編11節)と、武器をとることや暴力を警戒しています。
私たちはこのような体制に抗議するとともに、関連する決議や法律の撤回を強く求めます。日本国憲法の「平和主義」に基づく外交努力を第一とし、武力によらない対話による平和構築の推進を求め、平和を実現するために共に働きましょう。
以上。
2024社会委員会平和メッセージ(PDF)
2024 年 8月 1日
内閣総理大臣 岸田文雄 様
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
日本基督教団社会委員会
委員長 柳谷知之
日本国の軍拡に反対し、武力によらない平和構築を求める声明
現在、日本政府は防衛費倍増、敵地攻撃能力保有という「軍拡」の道を推し進めています。2022年12月、岸田政権は外交・防衛政策の長期指針「国家安全保障戦略」に関わる安保関連3文書(「国家安全保 障戦略(NSS)」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」)の改訂を閣議決定し、2023年6月には防衛力強化2法(「防衛財源確保法、防衛生産基盤強化法)を成立させました。加えて本年3月26日には次期戦闘機の第三国への輸出解禁を国家安全保障会議において決定しました。また、本年1月には自衛隊の神社参拝常態化が明らかになりました。
聖書は「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26章52節)、「暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。」(詩編62編11節)と語り、武力によらない平和の大切さを訴えています。これは日本国憲法の「平和主義」と重なるものです。現在の国際情勢、また、私たちの国の状況において「軍拡」は大きな問題点を孕んでいます。日本国憲法の「平和主義」は決して絵空事ではなく、むしろ大いに活用すべきであると、わたしたちは確信しています。
わたしたち日本基督教団社会委員会は、キリスト教信仰に基づき、政府の「軍拡」への動きに反対を表明し、武力によらない平和構築を求めます。
1.敵地攻撃能力は、軍事的緊張を増大させる
敵基地攻撃能力の保有は、九州・沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ「第1列島線」に沿って対中国ミサイル包囲網を構築しようとする米軍の計画に呼応するものです。これにより、宮古島、奄美大島、石垣島、沖縄本島(うるま市)にミサイル部隊が配置され、南西諸島の地対艦ミサイル体制が強化されます。これらは台湾有事を想定しているとのことですが、敵による武力攻撃開始の判断は難しく、標的もミサイル基地だけに限りません。先制攻撃がいつでもできるこの状況は、東アジアの軍事的緊張を増大させます。
2.ミサイル防衛では国は守れない
日本は食料の約6割を他国に頼り、石油などのエネルギー資源のほとんどを自国で調達することはできません。ウクライナ―ロシア戦争の影響で、わが国の物価上昇は避けることはできず、ガソリンも高騰しています。まして日本国が戦争状態になれば、食料やエネルギーの確保はできず、国民の生活は困窮を究めます。従って、どんなに最新鋭の武器を擁していても、国を守ることはできません。
3.日米安保による米国への同調は、際限のない軍拡を招く
この軍拡は我が国の防衛のためでなく、アメリカの対中国戦略の変容による日本の役割分担として要求されています。米中の衝突が起きた場合、アメリカと一体となって中国を攻撃するための軍拡である以上、それは際限のない軍拡へと突き進まざるを得ず、米中間、日中間の緊張関係の一層の増大を招きます。
4.軍事費増加は、国民の生活を脅かす
岸田首相は、「防衛費の相当な増額」をバイデン大統領に誓約し(2022年5月日米首脳会談)、GDP比2%を宣言しました。このために昨年「防衛財源確保法」が成立しました。「5年間で総額43兆円」と支出の規模ばかりが先行し、根拠が示されていません。税外収入を当てにしているとのことですが、「税外収入をほかの予算項目から回す形で賄うならば、その分国債の発行が増える」と指摘する専門家もいます。決算剰余金についても近年は経済対策の財源に使われ、剰余金の半分は借金返済に充てられるため、防衛費に回れば回るほど、暮らしに必要な政策の財源が不足し、やがては増税もやむなしとされるでしょう。軍事費増加は国民の生活を脅かします。
5.軍拡は、国民に戦争協力を迫る。
昨年成立した「防衛生産基盤強化法」は、①軍需産業に「生産基盤強化」のための資金を提供、②武器輸出を行う企業に財政支援、③日本政策金融公庫による貸付促進、④事業継続が困難な企業の国有化、を柱としています。これにより事実上軍需産業の「国営化」が可能になり、結果、武器輸出をも促進させることになります。さらに、「装備品等機密」という曖昧な指定を行い、軍需産業の従業員に対し「守秘義務」を課し、違反の場合は刑事罰も定められています。このように「軍拡」のための法整備は、国民に戦争協力を迫り、民主主義と平和主義を破壊します。
- 軍事技術、装備の共同開発、輸出は、平和憲法の原則を壊す
「グローバル戦闘航空プログラムに係る完成品の我が国からパートナー国以外の国に対する移転について」の国家安全保障会議決定及び閣議決定、並びに「防衛装備移転三原則の運用指針」の改正により、政府はイギリス・イタリアと次期戦闘機を共同開発し、それを第三国へ輸出できるようにしました。攻撃能力を持つ戦闘機を他国と開発し、さらにその採算をとるために輸出することは、専守防衛を掲げる日本国憲法の原則を壊しています。
7.自衛隊員による靖国神社参拝は、神権国家体制を復活させ、無謀な戦争に突き進ませる
日本国憲法は、かつての戦争を反省し、国家神道的な神権国家体制と決別する政教分離の原則を持っています。にもかかわらず軍事的力を握る人々が靖国神社参拝を当たり前のように行っていることが明らかになりました。明治以降、日本国は天皇を中心とした国家形成において、天皇を不可侵な存在と位置づけてきました。太平洋戦争末期、敗戦色濃い戦況で、特攻という無謀で命を粗末にする作戦が生まれたのもこの国家体制があったからではないでしょうか。悲惨な戦争、無謀な戦争を繰り返さないためにも、国家の要職につく人々や自衛隊による靖国神社参拝には異を唱えざるを得ません。
私たちは日本国憲法の「平和主義」に基づく外交努力を第一にすべきであると考え、現在、政府が進めつつある大軍拡に反対し、関連する決議や法律の撤回を強く求めます。
以上。
日本国の軍拡に反対し、武力によらない平和構築を求める声明(PDF)

復讐の連鎖を断ち切る
――詩編の詩人から広島・長崎へ――
22なぜなら、わたしは貧しく、乏しく、
わたしの心はわたしの内奥で刺し貫かれている。
23影が傾くように、わたしは過ぎ去り、
バッタのように、わたしは振り払われる。
24わたしの両膝は断食のゆえによろめき、
わたしの肉体は脂肪を失くして痩せ衰える。
25わたしは彼らの嘲笑の的になり、
彼らはわたしを見て、その頭を振る。
26わたしを助けてください、ヤハウェ、わたしの神よ、
わたしを救ってください、あなたの慈しみにふさわしく。
(詩編109編22−26節[私訳])
詩編109編は6−19節に呪詛の言葉が連ねられていることから、長らく「呪いの詩編」と呼ばれてきました。そこでは腐敗した権力者たちによって法廷に引き摺り出された詩人が呪詛の咆哮を浴びせられています。
冒頭に引用した22−26節は呪詛の言葉の直後に置かれており、自分を陥れた権力者たちによって葬り去られようとしている詩人の祈りが綴られています。この詩人は社会的・経済的な立場を奪われただけではなく、精神的にも追い詰められ(22節)、影が夜の闇のなかに消え去るように、あるいは邪魔なバッタが振り払われるように、葬り去られる運命にあるというのです(23節)。詩人は不当な訴えに抗して食を断ち、立ち上がる力もないほどに衰弱し(24節)、嘲笑の標として敵対する者たちから頭を振られて愚弄されます(25節)。しかし、詩人は迫り来る死の影に飲み込まれそうになりながらも、神に救いを祈っています(26節)。
このように詩編109編において詩人は敵対者たちの呪詛に呪詛を返すことはせず、引用した22−26節のすぐ後では、敵対者たちが呪いを与えるのに対して、神は祝福を与えると述べることで(28節a)、復讐の連鎖を何とか断ち切ろうとしているのです。
しかしながら、キリスト教は詩編109編を自らに敵対する者たちに対する呪詛を正当化するために用いてきた歴史があります。その典型は使徒言行録1章20節に引用されている詩編109編8節に関する拡大解釈です。使徒言行録1章20節では、ペトロの口からイスカリオテのユダの死地が「アケルダマ」(血の土地)という呪われたものになったことが語られているのですが、ペトロの発言を拡大解釈して、古代の教父たちは詩編109編をイスカリオテのユダと関連づけて読むようになり、詩編109編は「イスカリオテの詩編」(Psalmus Ischarioticus)と名づけられるようになったのです。しかも、キリスト教は「イスカリオテのユダ」を「ユダヤ人」の原型と見なし、それがそのままキリスト教のユダヤ人に対する呪詛とユダヤ人迫害を正当化する聖書的根拠とされるようになったのです(エーリヒ・ツェンガー)。
この復讐の連鎖は今も続いています。キリスト教がユダヤ人を理不尽に迫害したように、キリスト教は「イスラム嫌悪」(Islamophobia)によってイスラム世界を呪ってきました。そして、その復讐の連鎖はさらに形を変え、イスラエルによるパレスティナ侵略として、1947−1948年から現在のガザ侵略に至るまで続いています。
このような歴史を振り返ると、呪いや復讐の連鎖を断ち切ることよりも、呪いや復讐に身を委ねることの方がたやすいだけではなく、それを正しいと感じてしまっているのが人間という存在だと言わざるを得ないのです。
終戦から79年目の8月を迎えます。侵略戦争の過ちを認めて反省することが自虐史観と言われることすらなくなるほどに、かの戦争が正当化され、アジア周辺諸国に対する呪いが復讐の連鎖のように日常に侵食しています。呪いと復讐の連鎖が観念ではなく、現実になるとき、それはガザやウクライナで起こっている現実のように、人の生命は血と肉塊になり、跡形もなく消し飛ぶ阿鼻叫喚が目の前に広がるのです。その最も非道な現実を経験した被爆地の広島と長崎が、呪いと復讐に身を委ね、死と戦争の影に飲み込まれてしまっていたとしても、おかしなことだったとは言えません。しかし、広島と長崎は二度と核兵器が使用されることのないように求め、二度とあの過ちを繰り返さないように願い続けています。その姿は復讐の連鎖を断ち切ろうとする詩編の詩人と重なり、死と戦争の影に飲み込まれてしまいそうな自分に呪いと復讐の連鎖を断ち切るよう迫っているように思えるのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)
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