第35総会期第一回韓国協約委員会が、七月十二日(木)午後、日本キリスト教会館内会議室で行われた。会に先立って内藤留幸新総幹事からの挨拶を受けた。委員の自己紹介の後、委員会組織につき協議の結果、委員長に菅原力氏、書記に吉岡康子氏を選任した。
報告の最初に今総会期に新たに設置された当委員会に関して、設置への経過と扱うべき事項の説明、さらに先に開かれた当委員会の管轄委員会である世界宣教委員会の報告等を担当の上田博子幹事より受けた。
特に、一九六七年に結ばれた日本基督教団と韓国三教会との協約に基づき、過去に開催されてきた日本基督教団と韓国三教団(韓国基督教長老会・大韓イエス教長老会・基督教大韓監理会)による「日韓四教団宣教協議」が一九九七年の第五回宣教委員会開催以後開かれていない事の事情につき詳しい報告を受けた。
議事として、現在準備が進められている第四回スイス・韓国・日本三国教会協議会開催について協議した。これは、スイスのSEK(スイス・プロテスタント教会連合)・ミッション21、韓国の韓国基督教長老会・大韓イエス教長老会と日本基督教団が、過去にスイスと韓国において三回開催してきた協議会の第四回を二〇〇九年又は二〇一〇年に日本でとの開催要請を受けての事である。スイス協約委員会は二〇〇七年六月の委員会において受け入れを決定している。この件に関して、スイスの「ミッションン21」と日本基督教団との交流の経過などについての質疑や協議などを重ねた。
その結果、この協議会開催に関する基本事項などを世界宣教委員会において確認することとした。その上で当委員会としてあらためてこの件につき決定し、スイス協約委員会と合同委員会を持ち、今後の協議会開催に向けての準備を進める事等を決定した。
(吉岡康子報)
二〇〇七年八月十四~十七日、大阪府和泉市にある日本基督教団いずみ教会を会場にして『つれもって行こら~-今からここから-』というテーマで第一〇回部落解放青年ゼミナールが行われました。『つれもって行こら~』という言葉は大阪の南西部で語られる泉州弁で『一緒に行こうよ』という意味があります。今年の参加者は四六名、内容が濃いプログラムで充実した学びの時となり、また差別をなくそうと同じ志を持つ仲間との出会いの時となりました。
今年も開会礼拝から始められ、様々なプログラムがありました。「入門講座」では、聞くだけではなく主体的に関わり共に学んでいくことを考え、実行委員が講師を担い、部落差別の歴史や基礎的なことを学びました。「フィールドワーク」では、訪れる場所の説明とその時代背景の説明を事前に受け、部落差別が現実に起きたということを実感しました。また、「信太山盆踊り」への参加は、地域の人とのふれあいがあり、そこで生きる人々の熱気を肌で感じることのできたひとときでした。涙を流しながらも必死に語る姿に心打たれた「笠置隆司さんの講演会」、また、「狭山の時間」では、四四年が過ぎた今でもまだ見えない手錠をかけられ、闘っている石川一雄さん(狭山事件)について学びました。日々の食事からは、地域の食文化を学び、食文化を通して、多くの人々との出会いと、交流の時(焼肉交流会)がもてました。
多くのプログラムの中でも、忘れられない貴重な時間が「Liberation Cup」(リベレーション・カップ)です。この時間は参加者がそれぞれに考えていること、感じていることを皆の前で自由に表現する時間です。つまり、「部落解放運動するにあたり、自分自身も解放していこう」という意図でこのプログラムが生まれ、今年で二回目になります。曲のメッセージ性を伝えるためギターを弾いて熱唱した人、三線やマンドリンを弾いた人、演歌を振り付きで熱唱した人、キング牧師の似顔絵を描いた人、かねこみすずの「みんなちがってみんないい」を腹話術で語った人、「Liberation Cup」の「Liber」(リベル:ラテン語で「自由」の意味)という意味について熱く語った人、今の自分を熱く語った人、それぞれが自由に表現しました。
様々な出会いと学びを振り返りながら、『つれもって行こら~』をもう一度思い起こしつつ、閉会礼拝をもって無事に終わることができました。私は、今年の部落解放青年ゼミナールでたくさんの基礎的な知識を得ることができました。それと同時にたくさんの疑問を持ちました。私は青年ゼミに参加し、またこの文章を書くにあたり、自分が部落差別に対してどれだけ無知なのかを知ることが出来ました。しかし、この無知ということが部落差別に対するこれからの自分の学習意欲になり、様々な差別問題へ取り組んでいく出発点になると思います。
この文章を読んで興味を持った方、来年の部落解放青年ゼミナールに参加して、新たな学びと出会いの時としてみませんか。そして、一緒に差別をなくそうとする運動を起こしていきませんか。それが『今からここから つれもって行こら~』なのです。来年の部落解放青年ゼミナールへの参加をお待ちしています。
(片岡自由報)
▼学生時代、殆ど睡眠を取ることの出来ない夜警のバイトを終え、日曜の朝、決まった時間のバスを使う。小学校低学年くらいの子どもが男女四人乗って来る。間もなく、四人による合唱が始まる。大抵は音楽の教科書にもあるような名曲を、美しいハーモニーで聞かせてくれる。今も耳に残る「ボルガの舟歌」。音楽教室に通うものらしい。▼バスに乗り合わせるのが楽しみになった。子どもたちが乗る時間は大体決まっている。選択肢は二本。子どもたちの顔が見えないと今日は外れ、がっかりする。▼ある日、彼らはいつものバス停では下りずに、そのまま乗り続け歌い続けた。その時、運転手の声、「うるさい、他人の迷惑も考えろ」。かなり乱暴な物言いだ。▼「そんなひどい」と思い、他の乗客を見渡す。ところが、大方運転手に同調している。下り際、「いつも楽しく聞いてるよ」と大声で言った。▼その日以来、何故か、二度と子どもたちを見なかった。▼バスは混み、余裕がない。人の心にはもっと余裕がない。
・伝道の中心的課題
-教師謝儀 一九五三年九月の「全国宣教協議会」に参加した四国教区の信徒が、日本伝道の中心的課題は「教師謝儀問題」だとの趣旨の発言に、強い印象を受けて戻って参りました。その信徒を中心として、一九五八年四月。第16回教区総会で「教師謝儀の最低基準確保に関する件」の発議がなされました。これが契機となり、教区の様々の場で「教師謝儀問題」が議論される事となったのです。実際当時の牧師家族の生活は厳しいもので、こんな話が残っています。信徒の方が牧師館を訪問した時、牧師夫人が寝ておられます。「どこかお悪いのですか?」と尋ねると、「動きますとお腹がすくものですから」と答えられたとか。涙無しには聞く事の出来ない話であります。
一九六〇年。第11回教団総会での事。その閉会まぎわ、大阪の信徒議員から、「宣教のために大きな事をしよう!」と、「十億献金」の提案がなされ、議場に大きな拍手がわき起こりました。一九六二年の第12回教団総会(大村勇議長の時)において、具体的な計画が承認され、集められた献金は伝道のため・教師の謝儀・謝恩のために用いられることが決まりました。
・日々聖書を読み祈って捧げる
その総会の帰路の事。四国教区からの議員たちは、列車・船を乗り継ぎ戻って参りましたが、四国の列車は満員。座席はありません。やむをえず通路に新聞紙を敷いて寝ようとします。しかしなかなか寝付けません。眠れぬまま大村議長の訴えを考え続けたのです。そして「毎日聖書を読んで、祈って五円を捧げる。それが月一五〇円となる。四国教区内の信徒がみんなでこのことに励めば、四国の責任を果たす事が出来る」との思いが与えられました。当時の五円は、今日の五〇円に当たります。
・信徒の方々の献身的な働き
このようにして、四国教区の「十億献金運動」が始まりました。運動はもっぱら信徒の手で進められました。信徒の方々が各教会を回り、趣意書を配り献金の重要性を訴え、「描かれている線を切り取ると献金箱が作れます」と書かれた厚紙を配りました。さらに関連事務を受け持って下さった方は、送られて来た振替用紙を感謝の祈りをもって開封し、感謝の返事を書き続けました。最初この運動に対し批判的であった教職・信徒の方々も、次第に心揺すられて運動の火は教区内の諸教会に飛び火しました。一九六三年度の「十億献金」の結果は、目標額を遥かに超え、三六二パーセントの成績を上げる事が出来ました。一九六六年には二四四万円が十億献金として捧げられ、その中から一〇〇万円を教団に捧げます。その残額に経常会計からの補助を加え一八〇万円として、二〇の教会の謝儀の互助として用いられました。これが四国教区の「互助」の始まりであります。この献金が一九七八年度には一〇〇〇万円を越え、二〇〇〇年度には二五〇〇万円となり、教区負担金を上回って捧げられるようになりました。
・四〇数年の運動の実り
自立連帯献金運動の四〇数年の歩みを振り返るとき、感謝の思いに満たされます。この運動によって、教師の謝儀の問題が、教会の宣教の課題として受け止められ、教区の諸教会の中に宣教の課題を共有する信頼関係が育てられて来たからです。それぞれの教会が立てられた地の伝道の責任を自覚し(自立)、その教会が必要な協力を進めて行く(連帯)。
この「自立」と「連帯」の精神と、「四国の宣教は、四国のみんなで」の合言葉によって運動は進められ、諸教会の伝道の意欲は高められました。また厳しい伝道の最先端に立たされている小さな群れも、その一つひとつが神にとってかけがえの無い教会であることが確認されました。さらに、この自立連帯献金の運動は、諸教会の伝道を具体的に支える色々の制度を生み出しました。「長期集中伝道応援制度」「互助融資制度」「土地、会堂、牧師館融資援助制度」さらには「建築援護費」などがそれであります。さらには、中高生・青年の集会を継続して開催し、縦横の繋がりを育てる事が出来ました。また、婦人たちの群れは、諸教会の会堂建築のために、物品販売などを地道に続け、数多くの会堂建築の事業に貢献しました。
・もう一度 最初から
しかし、今日、四国教区も他教区同様、その教会の経済状態は厳しく、信徒の高齢化、伝道の不振などで、互助を希望する教会が増え、それらを支える献金が思うようには集まらないのが現状です。
そこで、互助全般につき、根本的検討が求められています。しかし、考えてみますと問題の無かった時代はなく、四〇数年の間にも、同様な危機は何度も体験して来ており、その度に悩み、激しく議論し、また祈り、そのところを乗り越えさせていただいて来ました。
そして今、改めて知らされていますことは、もう一度、御言葉を読み、諸教会のために祈り、捧げて行くという出発点に戻る事が大切だということです。
そこで、教区では二〇〇六年に「祈ろう四国教区」という小冊子を発行し、毎週一教会の祈りの課題を覚えて祈ることにしています。
・運動の若い人たちへの継承
そして今、若い人々が動き出しました。教区の二人の青年が(青年を育てて来た方も含みますが)、この自立連帯献金の推進の歌を作詞、作曲して下さったのです。
そして二〇〇七年度の総会の夕食時、各地から自費で駆けつけてくれた青年たちが壇上に昇り、元気にその歌を歌って下さいました(食事代は教区で負担しましたが)。歌は、
「御国仰いで」。
「伝えよう、主の御言葉を。祈り合おう、主の業のため。捧げ合おう、わたしのすべて」。
四国の地に伝道をしたい。その為に共に祈りたい。そして捧げたいと。
もう一曲は、都会に住む人たちに、神が創られた美しの四国で、共に教会生活をしませんかという歌。「帰ろう主のもとに」というものです。二曲とも美しく、歌い易い曲です。この青年たちの自発的な働きは、あの先輩たちの精神を受け継ぐものであります。歌う青年たちの姿に、明るい希望を感じました。 このCDの売り上げは、自立連帯献金として用いられます。
(四国教区総会議長/
野村忠則報)
教区総会や常議員会はじめ教団のいろいろな会合で耳にする言葉の一つに「多様性」がある。
合同教会たる教団としてキーワードの「多様性」があるのは当然といえば当然だろう。
しかし、よく考えてみよう。この言葉は「なんでもあり」の同義語ではない。多様性とは信仰的一致の中から生ずる恵みの果実なのだ。
「信仰は一つ、証しは多様」という言葉こそ教団の合言葉だ。信仰告白においては一致している。そして証しはまさに多様で「いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです」(フィリピ3章16節)となるのであろう。
しかし、ややもすれば「信仰は多様、証しは一つ」になりかねない。復活を信じなくてもいい、でも「キリスト者ならこの政治社会的課題に反対すべきだ」ときめつける。かくして画一化がおこる。
一致と画一化と区別せねばならぬように、多様性と分裂の相違にも注意せねばならぬのではないか。
多様性といっているが、実は信仰の不一致ゆえに殆んど分裂状態を来たらせていることに無感覚であってはならない。
多様性という言葉もかくして丁寧に用いなくてはならない。教団の信仰告白という垂直の線、タテ軸に貫かれてこそ、水平の線、ヨコ軸としての多様性の豊かさを享受していく。これは偏狭な教条主義者が口にするタワゴトだと言えるのだろうか。
(教団総会議長 山北宣久)
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