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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4640号】社会事業奨励日メッセージ

2007年12月8日

日本基督教団は、社会活動基本方針に『教会と社会福祉事業との相互理解と協力を推進する』と謳い、十二月第一日曜日を「キリスト教社会事業を覚えて祈る日」と定めています。
今年は十二月の第三日曜日(十二月十六日)、子どもの虐待死を悼みいのちを讃える市民集会「鎮魂のつどい&パレード」が日比谷公会堂・野外音楽堂で開催されます。新聞・テレビで報じる子ども虐待の報道には胸が詰まります。
「児童虐待防止法」が二〇〇〇年に制定されましたが、これは保護者が十八歳未満の子どもに対し①身体的虐待②性的虐待③怠慢または拒否(ネグレクト)④心理的虐待の四つの行為の禁止を謳っています。昨年は四万件を超す相談が寄せられ、二〇〇七年五月に改正法が成立し、やっと児童相談所の家庭への立ち入りが認められました。しかし虐待は増加し続け、なお多くの課題が残されたままです。虐待を受けた子ども達を関連の児童福祉施設が受け入れますが、その多くを全国五五八ある児童養護施設が担っています。しかし、現場への職員配置はほとんど手が加えられない状況です。次代を担う子ども達が、安心して生活し健全な発達が保障される環境改善が急がれます。
キリスト教社会事業の現場も、厳しい条件下、主イエスに倣う者としての働きを担っていてくださいます。心からエールを送り、必要が満たされるように祈りましょう。
二〇〇七年十二月二日
日本基督教団社会委員会

日本基督教団
総会議長 山北宣久 様
2007年10月23日
常議員 佃 真人
抗 議

議案16号「北村慈郎教師に対し教師退任勧告をおこなう件」の審議はあまりにも粗略であり、また、まったく論議が尽くされない中で、「教師退任勧告」という重大な内容の採決を強行したことに抗議します。
この強行採決は、会議制に基づいて合同教会としての教団を形成しようという多くの教会の信頼と願いを著しく損なうものです。

このような形で決定されたことがらを、我々は受け入れることができません。

※この抗議文には、常議員9名を含む、計29名の方々の署名が添えられていますが、紙面の都合上、お名前は省略させて頂きます。…新報編集部

日本基督教団 総会議長 山北宣久

苦渋にみちた「勧告」に至るには

聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする。・・・準則第8条①

*苦渋の常議員会決議

第35総会期第三回の常議員会は苦渋にみちたものでした。
それは「北村慈郎教師に対し教師退任勧告を行う件」を上程し、審議し、可決したことをさします。
この議案上程と同時に、案件を撤回するよう要望書が寄せられ、議決後も抗議が届けられています。もっとも、常議員会はこの重要議案をきちんと扱い、教団としての筋を通すようにとの要望もありましたが。
ここでは、この件につき反対する意見に対してコメントするようにとの依頼に従うこととします。

*闇討ち、騙し討ち!

前回の七月常議員会にて北村慈郎教師が紅葉坂教会にて未受洗者への配餐を行っていることを報告し、聖餐の在り方に多様性があってよいと主張されました。
これは議長の要望に応じてなした懇談会での発題内容です。
ここで、あの懇談会は「自由な議論の場として設定されたものであって記録もとらない」というものであった。それなのに言質を取る仕方でいきなり勧告をするとは無謀、横暴でまさに闇討ち、騙し討ちだとの意見が抗議として渦巻いています。
あの懇談会は常議員会の中で開催されたものであり、議案ではありませんが、議事であり、非公開ではありませんでした。従ってその発言は重さと責任を伴うものです。
また記録をとらないというのも議事録として残さないということであって、公的な発言と受止められるものであることはいうまでもありません。
猪突、唐突といいますが北村教師の発題は、長きにわたる未受洗者への聖餐執行についての持論を公表したものであり、各方面で語っていたものを改めて肉声で聞いたということでした。

*なぜ、今なのか?

「未受洗者への配餐はすでに執行している教会は少なくない。なのにたった一回の発題をもとになぜ一罰百戒的に取り扱うのか」という問いも多くあるようです。
確かにこの問題性は承知していました。
しかし、当面する様々な議決すべき事柄に押されて常議員会で正面から取り扱うことができないでいたことは議長として詫びなければなりません。
しかし決して等閑していたのではありません。ここ三年連続、教区総会への議長挨拶では「正しい聖礼典の執行」を訴えつづけ、議場でも質疑をなしてきました。
特に本年度の議長挨拶では未受洗者が聖餐に与ることは「明確な教憲・教規違反です。そして教会としての生命を奪い、教職同士や教会間の信頼関係を損ねる重大な問題として放置しておくわけにはいきません。当事者の自制を促すとともに、正しい聖礼典の執行を巡り、措置をとっていく所存です。」と書きました。
また昨年の教団総会での議長総括の中で、「荒野の四〇年」と題して十二項目の神への懺悔を教団がなすべき点の一つとして「聖礼典が正しく執行されない現実があること」を挙げました。
むしろ遅すぎたくらいです。性急でも、拙速でもなくもっと早くから取り上げるべきことだったのです。
ようやく信仰職制的な重要問題を取り上げられるような教団になったというのが偽らざる現実でしょう。

*もっと議論してから

聖餐をめぐってはかねてよりいろいろな立場があり、意見、考え方が多様なのだから、それを捨象しての「勧告」はいかにも無茶だとする声も満ちています。
聖餐論はいろいろあっても良いのです。しかし、執行はいけません。あの懇談会も聖餐論をめぐって協議したのではなく、執行してしまっていることをめぐって問題を扱ったのでした。
合同教会として多様な考え方を持つ教団ですが、それら多岐にわたる意見を出し合った挙句、明確に陪餐者を規定したのです。
ですから未受洗者が洗礼へと導かれ、共に聖餐に与れる喜びを目指して伝道していくことにこそ私たちは祈りと力を結集し、合同教会としての多様性を生かして行きたいのです。
「何を言っても良い教団」は「何をしても良いという教団」ではありません。
自己抑制をしながら、信頼関係を構築していくべきでしょう。
自分の意見を通すのであれば規則変更を提案すべきです。そしてそれまでは現行規則に従うというのがルールではないでしょうか。
それをしないで信仰告白と教憲、教規という枠組みを逸脱して何とも思わぬというのは我侭と言われても仕方ありません。
ですから何としても未洗者への配餐を直ちに停止していただきたいとの願いをこめ、あるべき姿への立ち帰りを訴えているのが「勧告」決議案なのです。

*不一致、分裂の危険が

この「勧告」を強行すれば折角ここまで一致してきた教団を不一致にし、分裂への新たな一歩を招きかねないではないかと危惧があるのは確かです。
しかし不一致と分裂の危険を招致するのは誰でしょう。未受洗者への配餐を執行する人々ではないでしょうか。
多様性とは「何でもあり」とは全く違います。教団はその信仰上の組織として教憲・教規によって立つ教会です。
「聖餐に関する問題は、規則で云々すべき事柄ではない」と主張されますが、信仰共同体としての教会は教憲・教規によってその具体的姿を現しているものです。
だからこそ、信仰職制委員会も未受洗者への配餐は違法であることを答申し、仮に教会総会や教会役員会が決定したものであってもその決定は無効であると否定しているのです。
どうか違法聖餐を正当化しないでいただきたい。全体教会たる教団の一員としてルールの中で行動していって貰いたいと切望してやみません。
しかし、それは信仰の良心に基づくもので譲れないというならば残念ながら「異なる教会の在り方を主張、実践されるのであれば日本基督教団という教会においてではなく、独自の教会を建てるべきであります」という「勧告」の内容になってしまいます。

*常議員、議長は越権

そもそも常議員会は一教職の退任を勧告することなどできるのかといわれます。
戒規にかけることは教師委員会の掌握事項ですから常議員会も、総会議長もできません。しかし、勧告はできます。今迄も重要な声明や決議をなし教会の内外に公にしてきています。
また議長は教規三九条⑤で「常議員に諮問し、また発議すること」と総括行為が明記されています。
教団が教会でありつづけられるか否かの大切な問題を見て見ぬ振りをするなら議長の怠慢は責められることになります。

*教会が立てた牧師なのに

教会担任教師を立てるのは各個教会の決定事項であり、教師と教会、信徒は相互の信頼と契約に結ばれたものである、なのに教団が介入し「退任」を求めることは各個教会の自主性を著しく侵害するものであり、招聘制を破壊するものだとの声も湧き上がっています。
教会の自主性とは何でしょうか。まさか悪しき各個教会主義のことではないでしょう。自主性はアナーキー、無制度、放縦とは同義ではないはずです。
そもそも「教師」を立てるのは、各個教会ではありません。教団が立てた教師を各個教会が招聘するのです。
ですから自主性の侵害などというものではなく、教団が立てた教師が枠を超えてしまうなら、究極の任命者であるキリストに対して責任を果たしていく仕方で各個教会に向き合うべくその教師に自制を求め悔改めを促していくのです。
洗礼を無意味化し、福音をヒューマニズムに流し込み、差別と区別を曖昧にしてしまうことから免れるためにも、この未受洗者への配餐問題をはっきりさせましょう。
日本基督教団は何よりも先ず教会であるのですから。
主よ我らを憐れみ導き給え! 神よ我らに勇気を与え給え!

第四六三九号第一面常議員会報告記事中、『会議冒頭、議事日程承認では、この「教師退任勧告」議案を取り下げるよう強く訴えられた。本常議員会前には、同等の取り下げ要望・抗議が奥羽、神奈川、京都、兵庫、東中国、西中国、九州の各教区から、また紅葉坂教会からは質問書が常議員会宛てに送られていた。』とありますが、文中から、『奥羽』を削除致します。
奥羽教区が、教区常置委員会の決定に基づき『取り下げ要望・抗議』をした事実はなく、常議員会に寄せられた抗議文書は、『江刺教会牧師 邑原宗男』名によるものである旨、岡村宣奥羽教区書記より、指摘を受けました。誤解を与える記述であったことを関係各位にお詫びし、訂正(削除)させて頂きます。
また、前述のものを含め殆どの『取り下げ要望・抗議』は、未受洗者の倍餐を認めるものではないのに新報の記述は誤解を与えるとの指摘も、同書記よりありました。新報にはもとよりそのような意図はなく、そのような表現をしたつもりもありませんが、誤解を生んだとすれば、尚、分かり易い表現に留意致します。

祈ることの大切さを改めて教えられ

一○月八日の祝日に行われた「『北支区五十三次』第一回新宿区編」に参加させて頂きました。東京教区北支区青年部では、支区内諸教会の青年相互の交流をより豊かなものとするため、諸教会の声に聞きつつ、青年部の委員を中心に積極的な活動を展開しています。そして、今年度諸計画の中でも特に柱となるものの一つとして実施されたのが、「北支区五十三次」です。

*諸教会と出会うための一歩

東京教区北支区には、現在、五三の教会があります。その数だけに注目すれば、決して大所帯とは言えない規模と言えるかもしれません。しかし規模が小さければ、諸教会間の交わりが容易に深められるかと言えば、そうとも言えないのが実情です。諸教会の青年たちが自由に出会い交わりを深めるには、規模の大小にはよらない諸教会共通の課題があると思うからです。特に青年たちの出会いの場としても機能してほしい教会が、青年たちにとってどれほど身近な存在となり得ているかが問われているのではないでしょうか。自分が所属する教会以外のこととなると、「名前は知っていても、一体どこにあるのかさえ知らない」といった青年は決して少なくはないものです。
そこで北支区青年部では、互いに顔の見える関係を築くための第一歩として、各地域特有の課題を担っておられる諸教会を自転車に乗って訪問することにしました。これが「北支区五十三次」です。そこでは諸教会の青年たちと出会い、話を通じて実情に触れ、各地域における宣教の働き、特に青年伝道をはじめとする諸活動の実態を知った上で共に祈りがささげられます。
今回は、第一回目ということもあり、無理をしないということ、特に五三教会を一日で訪問することは時間的にも体力的にも不可能であるため、新宿区内の十六教会を対象として訪問することにしました。そこで、北支区五十三次の副題を「第一回新宿区編」としたのです。この第一回は、二日間の予定で実施されましたが、初日は早稲田奉仕園を会場として、室内での交流となりました。開会礼拝に続いて鍋を囲んでの夕食、楽しいゲームを通じて交わりを深めました。

*励まし合うことの喜び

総勢十七名で目白駅前に集合した参加者は、自転車のペダルを力一杯漕ぎ出し、意気揚々と出発しました。最初の訪問教会は、目白教会、続いて下落合教会です。参加者の自己紹介に始まり、教会の様々な取り組みに関する青年たちの質問への応答、更には施設を案内したり、最後に青年に祈って頂いたりと短い時間ではありましたが、教会の取り組みの一端に触れて頂くことを通して豊かな交わりの時とされました。
筆者は下落合教会で青年たちを出迎える立場にあったのですが、ここからは十八番目の参加者となりました。それは、出発後間もなくして雨が降り出した上、既に中年域に達した私の体力では、せいぜい一、二教会訪問するのが限界ではないかと密かに不安を感じながらの出発でした。しかし、青年たちと雨の町を自転車で走ると、そういった不安はすぐに払拭されました。互いに配慮して道を譲り合ったり、疲れたと見れば気の利いた励ましの一言が飛んで元気付けられるといったように常に協力し合いながらの走行には、不安という心の曇天を晴れやかな気分に変えてくれる不思議な力があったように思います。

*訪問教会での出会い

「北支区五十三次」を月曜日に実施したということもあって、牧師が留守の教会も少なからずありました。その場合は、教会前で青年が代表して訪問教会を覚えて祈るのですが、諸教会の働きを覚えて祈ることの大切さを改めて教えられました。
新宿西教会到着時には雨が本降りになっていましたが、出迎えて下さった牧師の笑顔に接した時、参加者全員が雨に負けないほどの励ましを得たことと思います。新宿コミュニティー伝道所では、牧師から記念のカードをいただいた上で、繁華街に存在する教会が果たすべき宣教の具体的使命についての話をお聞きすることが出来ました。信濃町教会では、教会学校の教師たちが出迎えて下さり、毎主日の教会学校礼拝や分級の様子について理解を深めることが出来ました。千代田教会では、牧師前任地で交わりを深めていた青年が偶然今回の参加者の一人であることが判明し、大変な驚きと共に再会の喜びを参加者全員で分かち合いました。牛込払方町教会では、牧師夫妻が可愛い猫たちと共に出迎えて下さり、全員が疲れを忘れて談笑しました。戸山教会では、牧師から教会の歴史を伺った後、教会バザー準備の様子を拝見させて頂きました。この時点で途中参加者が幾人もおられましたが、最後の訪問教会である早稲田教会到着時の参加者総数は三四名、全行程五時間以上の旅となりました。

*顔の見える関係を目指して

「北支区五十三次」を通して青年たちと共有出来たことは、同じ区内とは言っても地域性の違いが豊かであること、そして神から委託されている宣教の使命を具体的・実際的に果たしている各個教会の現実の姿に触れられたことです。
恥ずかしながら筆者は、残り数教会という段になってパンクによりリタイアしました。この時、参加者の皆さんにはご心配をおかけしました。途中退場は残念でしたが、早稲田教会がご用意下さった美味しいカレーを食べ損なったことも悔やまれます。
しかし、ゴールに先回りしたお陰で、訪問を終えた参加者の満足気な笑顔を出迎えることは出来ました。
「第二回」は、翌年四月二九日を予定しています。北支区のみならず他地域でも、青年会活動を通じて互いに顔の見える関係の輪が少しでも広げられますことを祈り願っています。なお当日の様子は、下記の北支区青年部ホームページをご覧下さい。
(神保望報)

北支区青年部ホームページ

http://www.geocities.jp/kitasei07/index.html

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