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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4655号】荒野の声

2008年7月26日

▼昔々、ラッシュ時に隘路に入り込み、立ち往生した。ギリギリに寄せ、対向車をやり過ごしていた。激しい激突音。猛スピードで来た車とドアミラー同士がぶつかった。大きくハンドルを切った対向車は、数十メートル先の畑地に突っ込み、畝をクッションにして止まった。▼車から降りた男が、いきなり「バカヤロー」と叫ぶ。当然、穏やかな話し合いにはならず、警察官が呼ばれた。彼は笑顔で当事者二人の話を聞き、調停する。彼の結論。「まあ事故はお互いの責任、被害も軽微ですから」。停車していた、一方的な事故だと主張すると、「誰もがそう思うんですよ」ニコニコ。そんなことはないと言い張り、「バカヤロー」だけは謝罪して欲しいと迫る。▼ご近所の人々が、様子を聞きつけて出てきた。ひそひそ話すのが聞こえる。警察官まで相手に強情をはっているとんでもないやつだという話になっている。▼何事によらず中間辺りに落とし所を見ようとする人は多いが、中庸が常に正しいとは限らない。万事を中庸に持って行くのは、過激だ。

教団の教師として宣教を共に担う

新任教師57名が豊かな学びと交わりの時

二〇〇八年度の新任教師オリエンテーションが、六月二三日(月)から二五日(水)まで静岡県伊豆市の天城山荘にて開催された。主題は例年通り「教団の教師として宣教を共に担う」。新任教師が五七名、関係者を含めると計八〇名が参加した。新任教師となって三カ月、それぞれの働きの場から離れて歩みを振り返ると共に、課題や悩みを語り合い、同労者としての新しい出会いと交わりの時となった三日間であった。

毎年恒例のこのオリエンテーションは、次の三つの課題を掲げている。
①日本基督教団の「教師」像を探ること。
②日本基督教団の「宣教」の内容を探ること。
③宣教を「共に」担う協力体制を探ること。
今回の日程の概略は次のようなものであった。
第一日目には、松井睦教師委員長による開会礼拝に続いて、「教団の歩み」として山北宣久教団議長の講演、夜は「交わりの時」。  第二日目午前は、「教団の教師像」として小林眞教団副議長、続いて「教団の働き」として内藤留幸総幹事が発題をした。
午後には、「教団の取り組み~差別と人権~」として東谷誠部落解放センター運営委員長の講演があり、「諸手続の説明」として勝山健一郎幹事、「出版局について」有澤年出版局長、「年金局について」髙橋豊年金局長の話がなされた。
続いて「カルトの問題について」岩﨑隆教師委員が講演した。夜は分団に分かれてディスカッションがなされた。三日目は、「牧会講話」として小島誠志教師の講演があった。
近年、新任教師の年齢層が高くなる傾向が見られたが、今年の参加者は比較的若い教師が多く、教団の歴史について改めて知る時となったようである。

教団の今を理解する

初日の山北議長の講演「教団の歩み」は、大阪万博をめぐって始まった「紛争」について触れられ、その問題点が指摘された。それと共に伝道が停滞し、教勢が低迷している現状分析がなされ、その上で、未来に向けて大胆な伝道の実践をしていくことが必要であるとして、青年伝道や児童・高齢者伝道、献身運動、隠退教師・無任所教師による伝道協力、憲法九条の堅持による平和国家形成のための努力など、具体的な構想が前向きに語られた。
一日目の夜は、ゲームを交えてお互いを知り合う交わりの時がもたれ、場の雰囲気は一挙になごんだ。日本地図を参加した新任教師によって描いたことは大変興味あるものであった。
小林副議長による「教団の教師像」の発題では、紛争によって自らが受験した教師検定が混乱した経験から、教団の教師とは何かについて考えてきたことが述べられた。教師を立てるのは教団という教会であること、教師検定の意味、そして教団信仰告白、教憲および教規という枠組みについて、また、教え・福音・奉仕という教師としてのバランスを念頭に教会に仕えるべきことが語られた。
内藤総幹事の「教団の働き」の発題では、単に事務的に概要を語るのではなく、まず教会形成の基本・土台について神学的に考察するところから語り始められた。そして全体教会と各個教会の担うべき役割について、続いて教団の組織と働きについて、教師の役割について述べられ、すべては神の栄光のためになされると結ばれた。
東谷部落解放センター運営委員長は、そもそも人間にはそれぞれ他人よりも優位に立ちたいという意識があることを分かりやすく解説しながら、現在も部落差別があることを「差別ハガキ事件」などを例に挙げながら語った。
また、被差別部落の起源について具体的に語った。そして教会にも差別が起こること、そして部落差別がなくなるために取り組んでいくことの大切さが訴えられた。
岩﨑教師は、「幻想と新々宗教」と題して講演した。「いわゆるカルト宗教・議論ある団体」とは何かということから始まり、なぜ人がそういう団体に入り込んでしまうのかということ、そしてカルト宗教などの団体の実際の種類等について丁寧に語った。またそのような宗教や団体に入った人の悲惨な現実についても述べられた。予防として、カルトの名前だけでも知っておくことや、相談窓口に連絡することが語られた。

互いを知り理解しあう

二日目午後の自由時間では、温泉に行くコース、近くの滝に散策に行くコース、軽スポーツに汗を流すコースが用意され、リラックスした交流の時を過ごした。
また二日目夜の分団は、出身神学校とCコース出身者がそれぞれ偏らないように配慮して分けられ、お互いに知り合い、また理解するきっかけとなることを願ってなされた。新任教師と言っても、その年齢や人生の背景は様々である。それが自己紹介の中でそれぞれから語られることによって、主の恵みを分かち合う良き交わりとなったようだ。各分団とも実際の働きの場に出ての説教や牧会上のとまどいや悩み、また希望なども語られ、豊かな時間となったようである。
今や恒例となった三日目の「牧会講話」は、今年も小島誠志教師(松山番町教会)に依頼した。自身の豊かな経験の中から、参加者の関心の高い説教や牧会上の苦労などが失敗談を交えて語られ、十分ではない者でも主の恵みによって用いられていくことが証しされた。多くの新任教師の慰めとなり、希望が与えられたようだ。
プログラムの終わりに「全体のまとめ」として参加者全員からひと言ずつ感想や思いが語られた。出身神学校の違いという壁が、この三日間で徐々に崩され、互いに理解するきっかけとなったという意見が多く聞かれた。この会の同窓会をしたいという意見もあった。
最後に鈴木伸治教団書記の説教による閉会礼拝がなされ、参加者は緑に囲まれた会場をあとにし、帰路に着いた。
(小宮山剛報)

2008年7月12日

「心に残る葬儀をしていただき、ありがとうございました」と言われ、務めを果たしたとの思いをもって帰った。火曜日のことである。帰って間も無く連絡があり、この週の土曜日に葬儀を行うことになった。今週も葬儀が続くが、一ヶ月前には連続の葬儀があった。前夜式・告別式と続き、その翌日も前夜式があり、告別式へと続いた。
葬儀が多いのは、教会はもちろんであるが、二つの社会福祉法人の施設、幼稚園関係者もキリスト教の葬儀を希望されるからである。
前任の宮城県の教会では、七年間在任したが、一度も葬儀をしていない。在任中、二人の教会員が召天されたが、葬儀は仏式で行われた。家族は本人の信仰を尊重してキリスト教を希望するものの、親族・縁者の意思が重要となる。そこで、家族は仏式の葬儀が終わった後で、教会で記念会を開いたのであった。もう一人のケースは、召天されてからすぐに教会へ連絡をしてきた。本人が教会に出席していたことを知っているので、仏式で葬儀を行うものの、和尚さんが来る前に牧師さんにお祈りをしてもらいたいということであった。
現在の教会で牧会すること三〇年である。この間、教会員の葬儀は二〇名であり、施設や幼稚園関係は五〇名である。こんなに多くの皆さんの葬儀を行う。そろそろ自分の葬儀を用意しておかないと。
葬儀式文には、「お骨上げ」が無い。葬儀の最後であり、頌栄を高らかに歌い、終祷をささげている。(教団総会書記 鈴木伸治)

備えられた道を回って、
母校の教諭に

「冷めた優等生」。東洋英和女学院中学に入学して初めてキリスト教に触れたが、世の中を小馬鹿にし、教師から見たら嫌な生徒だったかもしれない。「やらない子、できない子の気持ちが分からず、教師になどなるとは思ってもいなかった」。ただ、当時は英和の生徒は教会に行くのが当たり前で、高等部の頃に聖ヶ丘教会で先輩たちや友人らと共に過ごした経験が、後の求道への備えとなっていたのではないか、と振り返る。
英語教育の手法について考えたり、教育学にも関心を持った。シュタイナー教育への関心から、東京外国語大学ではドイツ語を専攻。しかし、英語教育学者の若林俊輔と出会い、英語教育学で卒論を書く。それでも、教職課程の単位は取らなかった。「選択肢の中には入っていませんでした」。
卒業後、メルセデス・ベンツに就職。一〇年後、トヨタのレクサスの立ち上げに誘われ、そちらに移る。車によって人生を豊かにするカルチャーに気づき、それを知ってもらいたかった。しかし、男社会で認められることの難しさにも直面する。「もっとできることがあるのではないか」。もう一度教育学に取り組み、大学時代は避けた教職課程を通信教育で取り、教員免許を取得した。
母校での教育実習中、「あなた教会に行っているの」と恩師から尋ねられ、キリスト教とも再会。実習を終えた頃、ガンと闘っていた母を亡くし、いっぺんに信仰が問われ、銀座教会での求道生活が始まった。その後間もなく受洗、ちょうど母校への就職も決まった。信仰の転機が母校での奉職の機ともなった。自分の選択肢の中にはなかった道を、あえて自ら選び取る姿は、人からは「大変な決断をしたね」と見られる。しかし、これも主の選択の中にはあったことなのだと思う。「一つ一つの小さなきっかけが積み重なって、ここまで来ました。備えられた道でした」。

JOCSは、今年度新ワーカー二人を加え計八人の保健医療従事者をアジア・アフリカへ派遣しています。
新ワーカーの内一人は岩本直美さんです。バングラデシュのテゼ共同体による知的ハンディを持ったメンバーの家「プシュポ・ニール(華の家)」での活動のためです。九歳~二八歳(推定)の子供や大人達-身体的な障がいや重い精神疾患を持つ人も-八人が暮らしています。テゼ共同体は他に二つの家も運営しており、岩本ワーカーはすべてに関わっていく予定です。
「今あるニール(家)の子供達の中には、ダッカの孤児院にいたストリートチルドレン五人も含まれている。路上で生活していた彼らは、親にごみのように捨てられ、『Nothing(無に等しい)』、そして『死んだ(も同然)』存在だった」
「子供達は、幼い頃から愛情に飢え渇き、『自分が大切な存在である』という感覚が持てない。家では『人として生きること』を取り戻すようにしている」-これは、テゼ共同体のブラザーが語った言葉です。
岩本ワーカーは、長く障がいのある人々と共に歩んできたことの延長線上で、今に至っています。「ニールは、問題解決のためにあるのではなく、ただ彼らに寄り添う場所です。子供達の『闇』ではなく、『光』について語りたい」と語り、再び出発しました。
JOCSの掲げる基本聖句は、「平和をつくり出す人々は幸いである」です。現地の子供達との出会いから、「平和をつくり出すのは、私たちではなく、その子供達一人ひとりの存在なのだ」と教えられました。ダッカに死んだに等しい形で捨てられていた孤児は、「イエス・キリスト」でした。共に生きることの意味について深く考えさせられます。私の好きな言葉に、”Happiness is homemade.”という言葉があります。愛と慈しみの関係、心が通う温かな居場所(家)から、「平和」が生み出されていきます。それは祈りと業により育まれていくのでしょう。 (大江 浩報・JOCS総主事)

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