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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4667号】御言葉の中を歩む

2009年1月31日

 大晦日の夜、午後十一時半から教会の除夜元旦礼拝が始まった。賛美があり、祈りがあり、ちょうど説教の途中で新年を迎えるのである。誰も時計を見ていないし、年が移る瞬間を気にしてもいない。ただ語られる神の言葉に聴き入っている。普段の主日礼拝では決められた時の中に御言葉が語られている感覚を持つのだが、ここ には御言葉が語られる中で時が過ぎているという感覚があった。これは幸いな経験である。
信仰生活に於いて自分の生きる時と場に御言葉を聴くことは私共にとって大きな恵みである。そして神の言葉が語られる中に自分の人生が過ぎているという事実は本当に素晴らしい恵みである。今頃そんなことを言っているのかと思われるかもしれない。しかし天に帰られた多くの先達の信仰の言葉、その病床で聞かされた信仰の 喜びが自分の中にも染み込むようで嬉しいのである。
新しい年が与えられた。この年も教会は命の御言葉を語り続けるのであるし、その中に私共は生かされて行く。主が再び来たり給う日に向かって神の確かな時が流れていることが私共の希望であり、これを証しするのが私共の歩みである。混沌と不安が叫ばれる時代の中で私共が与えられ持っているものをどれだけ差し出せるのか が問われるのであろう。伝道は信仰の喜びが用いられる出来事である。プロテスタント伝道150年を記念する年、御言葉の中を歩みたい。
(教団総会副議長 佐々木美知夫)

 

 主にまかせよ

主にまかせよ 汝が身を
主はよろこび 助けまさん

大学四年になる時、学びに意欲を失い、一年間休学し、大学のあった北海道から帰省して京都の実家で過ごした。
生きる目的が見いだせなかった『自分病』のただなかにいる時、信仰の先輩が、この讃美歌を歌い祈ってくれた。自分中心の思いと甘えを諭され、神様に心を向ける必要を教えられた。
家業を手伝う中で復学への思いを固めていったが、心の闇は消えることがなかった。
そんな中出席した無教会の聖書研究会の中で、自分の罪深い歩みを告白し、主の十字架の贖いと赦し無しに歩めないことに気付かされた。その経験を通し、信仰を持つ両親と祈りを合わせ、礼拝にも出席するようになった。
復学、卒業後も無教会の集会や教団の教会の礼拝に出席していたが、職場は日曜日も交代で日直があり、自分の趣味にも心奪われ徐々に神様から遠のいてしまった。
そのような中で、妻と出会い、結婚式を教会で挙げることとなったが、結婚の日が近づくにつれ、思いが向かったのは洗礼のことだった。罪赦され主に生かされてある自分と思うのならば、まず洗礼を受けるべきではないか。祈りと思案の末、当時無牧だった帯広教会に洗礼志願をし、結婚準備と洗礼準備を一緒に役員がしてくだ さった。
受洗後間もない頃、苦難の時に、神様は多くの方の祈りと支えとを与え、逃れの道を備えてくださった。主にまかせ、主に委ねる時、「たといそうでなくとも」、主は良き目に見える解決を与えてくださった。
洛北教会に導かれ、御言葉の養いを受け、主のものとされた者として、主を信じ、主に委ねるべきことを、礼拝と教会の群れの中で教えられた。
家族共々、神の家族の一員としての喜びを味わいつつ歩んでいる。

 

 二〇〇八年十月三一日(金)十一時三〇分から一四時三〇分まで、「隠退教師を支える運動・一〇〇円献金」の東海教区・西静分区推進座談会を遠州教会で開催しました。
開会礼拝で中遠教会・兵藤辰也牧師からテモテへの手紙一6章13?19節を通して「私たちに福音を宣べ伝え、信仰に導き、指導して下さって、隠退された先生方に感謝し、すべてのことが神様の御恵みの内に行われていることを信じます」とのメッセージを受けました。
昼食を共にしながら、各出席者の自己紹介があり推進座談会に入りました。
「隠退教師を支える運動」多田信一委員長から日頃の「一〇〇円献金」に協力下さっていることの感謝の意をこめて挨拶を、櫻井淳子年金局業務室長からも挨拶がありました。
折りしも、十一月二三日(日)が「謝恩日」であることから謝恩日献金のことも説明をいたしました。
質疑応答の中では、年金制度の具体的な事柄、例えば給付に関しての質問があり、櫻井室長と三島教会・長倉勉牧師(年金局理事)が丁寧な答弁をしました。
また隠退教師を支える運動の瀧川英子委員から、教会の中で「一〇〇円献金」を行う場合の実際的な事柄について説明がありました。
教会の用で外出していた遠州教会・小林眞牧師も途中で参加しました。
「隠退教師を支える運動」は、一九七八年秋に開催された第20回教団総会で全国的に推進することが可決されて三〇年経ちました。また東海教区としては十八年かけて、今回の西静分区を含め六分区全部で推進座談会を開催することが出来ました。この間、この献金運動に参加・協力をして下さいました各教会・信徒の皆様に改め て感謝をいたします。特に一つひとつの教会に中で献金のお世話をして下さっている奉仕者の皆様に心から御礼申し上げます。
(多田信一報)

思いがけないところで…
片岡 輝美
(若松栄町教会員)
私の両親が牧会する若松栄町教会に夫が牧師として赴任してから二四年。四人の息子たちが成長し、昨年三月に四男が私の母校K小学校を卒業。私の六年間+子どもたちの十七年間=二三年間と人生のほぼ半分を通いました。PTAとしての関わりもあったため、母校との別れに寂しさを覚えた昨年の春でしたが、秋には喜びにあ ふれた経験をしました。
会津若松市企画調整課男女共同参画推進事業の一環「子ども人生講座」の講師としての依頼を受け、市立六小学校十九クラスの授業を担当したのです。テーマは「男女平等を考える」。
会津若松は県内でも早い時期に女性の権利のための運動が立ち上がり、今でも活躍する女性たちは多いのですが、現在、会津若松市による男女共同参画推進は「自分らしく生きる」を謳っています。
授業ではクイズやグラフを多用し、事前アンケートの発表や質問など、子どもたちとのやりとりが続きました。
例えば、こんな質問をしました。「お母さんは妹の私にはごはんの手伝いをしろと言うけど、お兄ちゃんには言わない。これをおかしいと思うか、思わないか」。意外な反応が女子からありました。「それは仕方がない、だって女なんだから」。また、次のような質問も。「赤ちゃんを産んだ女性が仕事をやめて育児に専念する。 これをおかしいと思うか、思わないか」。これに対しては「子育てはお母さんの責任だからおかしくない」「お父さんなら、突然怒り出して赤ちゃんを放りだしてしまうかもしれないから、育児は我慢強いお母さんがするべき」。家庭の事情や親の価値観が見えてきます。人の考え方や生き方が変えられるには何世代もかかることを 痛感しました。
しかし、前述のような考え方もあれば、心豊かに育てられたと思われる発言にホッとしたり、また、奇抜な発想に教室中が大笑いになってしまうこともありました。
そして、授業のまとめです。私のまとめは「平等の始まりは、自分を愛するように隣人を愛すること。自分を愛するとは自分の命やからだ、考え方生き方を大切にすること。それが、自分らしく生きていくっていうこと。そうなれば、自分以外のどの人の命もからだも生き方も、自分のと同じように、大切に思えてくるよね」。キ リストの「キ」も神の「か」も口にはしませんが、伝えたいことは、もちろん聖書のメッセージそのもの。
さらに「あなたは何を大切に、どのように生きていきたい?」との問いかけにどの子も深い深い思考の中へ。その表情はあまりにも真剣で美しく、私が圧倒されたほどでした。「こんなこと聞かれたことも考えたこともなかった」と、感想を書いた子どもたち。同行してくださった市役所職員からは「最後のまとめは教会で話され ていることですか?」との問いかけ。
故郷に帰り、地域との関わりのなかから与えられた経験でした。聖書のメッセージは思いもかけない時に予想もしない場所で伝えられていくようです。嬉しいことに、最後の授業は私と息子たちの母校K小学校でした。

丸尾俊介氏(隠退教師)

九月二六日、逝去。八一歳。兵庫県に生まれる。一九五五年関西学院大学大学院修了後、伏見教会に赴任。その後、五九年から二〇〇〇年まで下落合教会牧師を務め、隠退した。遺族は妻の美津穂さん。

土居通昭氏(武蔵野緑教会牧師)

十一月十二日、逝去。六七歳。愛媛県に生まれる。一九六六年関西学院大学大学院修了後、神戸栄光教会に赴任。その後、萩、福岡女学院、芦屋山手各教会牧師を務め、二〇〇六年から武蔵野緑教会を牧会した。遺族は妻の比呂美さん。

藤代泰三氏(無任所教師)

十二月五日、逝去。九一歳。東京都に生まれる。一九四〇年青山学院神学部卒業後、同志社大学文学部神学科で学び、五二年から八七年まで同志社大学神学部神学教師として奉職した。遺族は妻の幸さん。

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