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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4668号】みんなで生きる キリスト教医療ミッションの現場から②

2009年2月14日

日本キリスト教海外医療協力会  大江 浩(JOCS総主事)

 

 

パキスタン サラーム(平安を)
『守れるはずの命』を守る

二〇〇八年のクリスマスはパキスタン・ファイザラバードで過ごしました。二〇〇七年一〇月に現地赴任をした青木盛ワーカー(新生児・小児科医)の活動現場を訪れるためです。
派遣先である聖ラファエル病院(一九四八年設立)は、パキスタン独立時の難民救済を契機にできたカトリック系の産科を中心とした病院で、助産婦学校(一九五七年設立)も運営しています。
設立当初から、長年にわたり無私の働きをされたSr./Dr.Elizabeth(ベルギー人)というクリスチャンドクターは「パキスタンのマザーテレサ」と称され、イスラム教徒からも尊敬を集めました(二年前に召天されました)。
同病院では年間約一八〇〇件の出産がありますが、常勤の小児科医がいない状態でした。またパキスタンは97%がイスラム教徒の国のためクリスチャンは青木ワーカーのみで他は全員ムスリムの医師という状況です。
青木ワーカーはNICU(新生児室)と小児科外来、そして週一~二回のキリスト教貧困居住区での出前診療を担当しています。訪問させて頂いたNICUには二〇人の赤ちゃんが手作りの保育器に入っていました。溢れるほどの愛情に包まれていました。主イエスのご降誕の物語が重なります。幼い命に青木ワーカーと看護師の 真剣なまなざしが注がれます。
ただし、途上国の医療施設では医療器材が乏しく、仮にあったとしても充分に使いこなせる人材と技術の不足という深刻な問題があります。生後二四時間以内、名も与えられぬうちに天国へ召される赤ちゃんもいます。青木ワーカーは新生児に使用できる人工呼吸器が一つしかないため、治療の甲斐なく「守れるはずの命」が救え ないことにも直面します。ケースによっては他の病院へ紹介しても受け止めてくれないという、現実も立ちはだかります。本当に悔しいことでしょう。
「今月は残念ながら死亡した児が多かった(七名)。これらの児の治療には人工呼吸管理のみならず、循環作動薬の投与が必要なケースが多かった(聖ラファエル病院には微量輸血ポンプがないため不可)(青木ワーカー・一〇月月例報告より)」。
青木ワーカーから送られてくる「治療を要した新生児」の月例報告から、その厳しい状況がひしひしと伝わり、心痛みます。
同病院はシスターたちの献身的な祈りと働きによって支えられています。このたびは毎朝夕の祈りの集いとクリスマスのミサにも参加する恵みが与えられました。病院の敷地内は聖霊で満たされていました。一歩外へ出れば、パキスタンの喧騒とゴミや埃、そして貧しいクリスチャンたちの受難の世界に遭遇します。劣悪な環境に ありながら日々「生きるため」に生きている人々です。
世界子供白書二〇〇八のタイトルは、「子どもの生存(Child survival)」です。「二〇〇六年、近年の歴史では初めて五歳の子どもの年間総死亡数が一〇〇〇万を切り、九七〇万人となった。……しかしこの成果に満足している余裕はない。毎年九七〇万もの幼い命が失われているという現実は到底受け入れられるものではなく、死亡の多くが予防可能であることを考えればなおさらである 」(同白書)
「これらの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25章40節)
世界では一分に一人の女性が出産時に亡くなります。子だけでなく母も。「守れるはずの命を守りたい」、切なる願いです。様々な困難を抱えるパキスタン、小さな大切な命を現場で支える青木ワーカーとシスターと看護師たちを祈ります。サラーム(平安を)。

ネパール サンガイ・ジウナコ・ラギ
(みんなで生きる)-そして今

二〇〇八年はNCC教育部キリスト教教育週間「笑顔はどこから?」でJOCSネパールの活動が題材になったり、絵本「サンガイ・ジウナコ・ラギ(みんなで生きるために)」(文・岩村史子、篠浦千史 絵・金斗鉉)が日本基督教団出版局から発売されたり、何かとネパールづいた年となりました。
JOCSは、二〇〇八年八月にネパールへ、楢戸健次郎ワーカー(家庭医)に加えもう一人細井さおりワーカー(看護師)を派遣しました。 私は同九月にネパールを訪れる機会がありましたので、細井ワーカーの活動のこと、そしてネパールの状況について、少しご報告をさせて頂きたいと思います。
ネパールでは二四〇年続いた王政が廃止され、かつて反政府ゲリラ活動を繰り広げ、政府と内戦状態にあったマオイストの政権が樹立されました。
激動のネパール、まだ目が離せません。
ネパールはヒンズー教(約八割)の国です。近年までキリスト教徒は異端者として受難の時代を過ごし、キリスト教会は信仰によって囚われの身になった人々を支援するため、キリスト教NGOであるPrison Fellowship Nepal(P.F.N)を設立しました。
P.F.N(現地での呼称:Victim Support
& Rehabilitation Program)は、全ネパールの約半数の刑務所に図書館の設置や文書伝道を行い、同時に受刑者の社会復帰のための施設(職業訓練も実施)や受刑者の子どもたちのための家(Boys HomeとGirls Home)を建てました。
子どもホームはPeace
Loving Children Homeと呼ばれています。細井ワーカーはそのうちのGirls Home(ポカラ)で活動を行う予定になっています。
受刑者の子どもたちはかつて、刑務所で育てられていました。ある受刑者は無実の罪で、またある人は政治的な理由で投獄されたというケースもあったと聞きます。受刑者への差別偏見もさることながら、その子どもたちが置かれていた苦難の状況に胸が痛みます。
P.F.Nのニュースレター(08年七~八月号)は、「三三人の受刑者の子どもたちが里親支援プログラムのサポートを受けて、教育を受ける機会が与えられている。計九人の子どもたちが大変優秀な成績を収めている」など、それぞれの物語を紹介しています。
ですが、いずれの子どもたちも親が薬物中毒の関係で刑務所に入っていたり、既に亡くなっていたり、という状況です。
背景にはやはり「貧困」の問題が根強くあり、「私たちの小さな支えが、多くの子どもたちの人生を犯罪から救っている」とも記載されています。
P.F.Nの代表曰く、「設立当初は暗闇の時代」でした。かつてキリスト者は Christianではなく
Believerとしか言えませんでした。ある宣教師からは、「迫害が激しかったのは八〇年代で、洗礼を受けたものは三年間、授けた聖職者は五年間服役」が科せられたとのこと。想像を絶します。
滞在中に、ネパール日本語聖書集会に参加する機会が与えらました。JOCSのワーカーはその温かい交わりに支えられて暮らしかつ活動しています。JOCSの働きも「祈りの課題」として加えられ、遠く離れた異国の地にあってクリスチャンの篤い祈りに支えられてきたのだ、ワーカーはその群れの中にいるのだと、感謝の気持ちで満たされました。
受刑者とその家族との共生-ネパールで新しいユニークな「みんなで生きる」ための働きが始まろうとしています。貧しく小さくされた人々と向き合って。

▼突然の腰痛で、三日程は身動ぎもならなかった。十数年前の肝臓、五年前の心臓に続いて今度は腰、「これで肝心要、全部そろった」と冗談を言ったら、ビリビリと激痛が走った。▼立ち上がるにも座るにも、支えが要(!)る。障子の桟でも良い。親指と人差し指で桟をつまむだけで、全然違う。桟を支えに立ち上がって も、桟は壊れたりしない。支えは僅かであっても十分に役立つのだ。▼「さん」の漢字が書けなくて、広辞苑を引いたら、一番最初に「かけはし」と、その意味が記されていた。小さな支えでも、決定的なかけはしの役割を果たすことが出来るかも知れない。病そして痛みが、教えてくれた。▼『聖書の絵師…新潮社』に登場する「 ノリッジのマザー・ジュリアン…幻視体験を綴った『神の愛の啓示』で知られる一四世紀イギリスの修道女」は、主の十字架の苦しみを体現するために、「病を与え給え」と祈る。▼聖ジュリアンに倣うことなどはできない。「病を癒し給え」と祈りながら、己の貧しさを思い知らされる。

496人の参加で初の信徒大会
東京・西南支区「教会フェスティバル」

東京教区西南支区の信徒大会「教会フェスティバル」が一月十二日、青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂で開催された。支区としては初の信徒大会に、支区四四教会中四一教会から四九六人が出席した。
開会礼拝で説教に立った岸俊彦支区長(経堂北)は、「結ばれている私たち」と題する説教で、「この礼拝堂での大学礼拝で説教した時、礼拝後、一人の見知らぬ女子大生が話しかけてくれた。ある中学で聖書を教えた生徒の一人だった」というエピソードから切り出し、「福音の種はいつ、いかなる形で実を結ぶかわからない」 。
「日本のキリスト教人口は1%だから、キリスト教世界は狭い、といわれるが、主の御名によって結ばれている私たちが、出会い、スタートする時、思いがけない広さを持つ」と励まし、「私たちは、『主にある兄弟姉妹のネットワーク』によって結ばれている。『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたし もその中にいる』とキリストは約束してくださっている」と力強く結んだ。
「伝道アピール」をしたキリスト教放送局日本FEBC代表の吉崎恵子さんは、うつ病に悩む四九歳の男性からの便りについて話した。「生きていることに疲れた」との第一便の一カ月後、「信ずる振りをしてみようと毎日祈っているうちに、何とか生きて行こうと不思議な体験をしている」。さらに一カ月後、「就職が内定した 。近くの教会に行って、初めて聖書を手にした。信ずる機会を与えられ、神を確信した」との便りがあったことを紹介した。
「FEBCには毎月五〇〇通の便り、メールが来る。それを読んでいると『主が生きておられる』ことを日々経験している」と結んだ。
講談師神田ナザレの芸名をもつ北川正弥牧師(駒沢)は、軽妙な語り口で支区四四教会をスライドショーで紹介。近隣の教会をいかに知らないかを改めて実感させられた。
挨拶に立った島田順好・青山学院宗教部長は、「キリスト教学校は、それだけでは完結しない。学生が教会に繋がり、信仰を持ってくれることで初めて完結する。教会とキリスト教学校が支え合うことが必要だ。大学では毎朝一〇時二〇分から礼拝を行っている。大学の礼拝だからなどと言わず、ぜひ通りすがりに礼拝に出席して 欲しい」と訴えた。
第二部は、支区ゴスペルクワイアで幕開けし、続いて、80年代後半から数々のヒット曲を発表したシンガーソングライター、陣内大蔵氏のライブ。「アメージング・グレイス」から始まり、「僕は風 君は空」、「空よ」、「鳩のように」などのヒット曲を披露する合間に、「教会で生まれ、大学神学部を夜逃げし、業界に走った 僕が、三〇代半ばから神学校に入って勉強し直し、業界と教会を転々とするようになった」とこれまでの歩みを語った。
07年に東美教会の伝道師となり、エッセー集「僕んちは教会だった」(教団出版局)を出した。全員が声を合わせた「深呼吸」まで、会場を埋めた出席者が最後まで一体となった。
(永井清陽報)

新しい試みのもと、第17回千葉県信徒大会

一月十二日、西千葉教会において、東京教区千葉支区主催による第十七回千葉県信徒大会が開催された。大会が「千葉県」と銘打つのは、信徒大会の目的が謳うように、「千葉支区内諸教会の信徒が一堂に会し」て伝道地である千葉県全体を覚えるためである。
今回は、「それ行け! 伝道」との主題を掲げて、プロテスタント教会日本伝道150周年を記念する大会として開催された。山北宣久教団議長を説教者として迎えて礼拝が献げられ、その後、それぞれのプログラムが進められた。
「それ行け! 伝道」は著書名であるだけでなく、山北議長が一貫して訴えてきた伝道する教会論を象徴する合言葉でもある。説教者紹介の中で岸憲秀副支区長(千葉本町)は、「プロテスタント教会日本伝道150年について教団内に様々な理解があるのは承知しているが、大会実行委員会は150年記念の年をしっかりと受け止めた うえで、二〇〇九年、千葉支区として最初の集いを開催することとした。予てより伝道する教会・教団であることを訴え続けて、150年記念についてもいち早く発言された山北議長を説教者として迎えた」と述べた。
山北議長は、一時間にわたる説教において、集った二八一名の会衆を前に、「日本伝道がこのように目に見える仕方で現わされていることに励まされる思いである」と語りはじめて、150年記念について「問題がないことを日本聖公会にも確認した」として、この年を記念することの意義をあらためて訴えた。「伝道に支えられた 宣教の豊かさを求めることこそ必要である」とした。また「’53年には、年間、十名の信徒で一名の受洗者を産み出していたが、07年度には、イースターが二回あったが、五四名で一名の誕生。」受洗者を産み出す体力の低下が明らかであり、「羊が羊を産む」ことをも指摘しながら信徒伝道の大切さを語った。
従来、信徒大会は、講演、分団等のプログラムを主としてきたが、ここ数年、年頭、最初の支区集会として、まず礼拝を皆で献げるようにしてきた。更に、今年は次のような新しい第二部、第三部のプログラムを取り入れての大会となった。
まず第二部では、千葉支区に奉職した宣教師が紹介され、健在の元宣教師について、それぞれの想い出、近況が写真、ビデオレター等によって伝えられた。
続いて、信仰生活五〇年以上の信徒を覚えて感謝祈祷のときがはじめて設けられた。初年度ゆえ「以上」となって、大会に出席した、五〇年以上の信徒六一名が紹介され、中村征一郎支区長(東金)が感謝と祝福の祈りを献げた。
支区で奉職した宣教師、信仰五〇年以上の信徒の紹介が、これまでの150年の教会史の一コマの証しであるなら、次の二つの新しいプログラムは、150年の記念を経て、これからの教会の歴史の展望となる。
ひとつは、千葉支区では青年部が若手教職による導きを得ながら着実に活動してきた。この様子が会場に映し出された映像で丁寧に紹介された。今後の課題として、教育部との協力によって教会学校生徒との関わりを充実させてゆく希望等が述べられた。
「一堂に会し」ての昼食の後、第三部では、さらに若い世代、幼稚園児によるクリスマスページェントが献げられた。東金教会付属幼稚園の園児による七場、四〇分にわたるページェントは圧巻であった。ハンドベル、木琴演奏を交えたプロローグ、旧約聖書から新約聖書への物語に始まり、クリスマス物語を幼子たちがしっかり と伝えた。午後のプログラムはこれまで参加が少なかったが、今回は午前に引き続き、六、七割の会衆がこれに参加した。年を改めて、なお降誕節にある中で、今一度、クリスマスの贈りものをいただいた素晴らしいときであった。
西千葉教会は、JR西千葉駅のすぐ目の前にあるが、散会後、駅までの道を大会参加者と共に歩きながら、これまでの先達の伝道への感謝と、これからの伝道への展望と励まし、そして志が、参加者それぞれに新たにされていることが実感された。
(新報編集部報)

2009年2月1日

Among the many guests from around the world who attended the 36th Kyodan
General Assembly in October 2008 were several guests from Northeast
Asia. I especially appreciated the presence of two of them. One is the
Reverend Dr. Lee Won-Jae, general secretary of the Korean Methodist
Church. I first met him last June when I visited Korea. The major
purpose of my June visit was to reinstate the considerably long-halted
relationship of the Kyodan and the KMC. When I had an interview with the
chairman of the KMC’s Council of Bishops, General Secretary Lee was
present. During our friendly conversation, I asked him to attend the
upcoming Kyodan General Assembly. He graciously accepted my invitation
and kept his promise. I am sincerely grateful to him.
The other person whose presence I greatly appreciated is the Reverend
Asing Aman, moderator of the Presbyterian Church in Taiwan. I met him
for the first time two years ago when the joint conference of the PCT
and the Kyodan was held in Takao-City, Taiwan. I took the occasion to
request Moderator Asing Aman to attend the 36th Kyodan General Assembly.
He also responded favorably to my invitation and attended the meeting.

I have long been advocating the importance of fellowship with churches
in Northeastern Asian countries that have the same cultural legacy as
Japan, which is based on the Chinese writing system. Mission cooperation
among Christians who share these common historical roots is as important
as coworking with churches in North America and European countries.

Renewed friendship with these two guests is indeed my great joy. (Tr. FK)

─Naito Tomeyuki
Kyodan General Secretary

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