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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4717号】みんなで生きる~JOCS創立50周年、新しい50年へ~

2011年2月19日

日本キリスト教海外医療協力会    大江  浩

 

①.JOCSの源流、そして今日までの歩み

JOCS(1960年創立)は、2010年に創立50周年を迎えました。母団体は1949年に設立された日本キリスト者医科連盟(JCMA)です。その源流は72年前の日中戦争の時代、京都大学YMCAのキリスト者医学生を中心とした中国での難民医療活動に遡ります。

中国難民救済施療団の第1陣(1938年)は学生キリスト者の情熱の証しとして始まり、第2陣(1939年)では全国各地の医科系YMCA関係者を巻き込む活動に広がって行きました。私たちの歴史を貫くものは、戦争に対する贖罪の意識、キリスト者による償いとしてのアジアにおける保健医療協力、保健医療を通じた「みんなで生きる」平和な世界の実現、という理念です。JOCSは教会と共に歩むキリスト者による「祈りと働き」の器です。

JCMAは、設立当初、戦後日本の無医村地区での医療奉仕や福井大地震・伊勢湾台風などの災害被災者への支援を行いました。そして東アジア・キリスト者医療従事者会議(58年、香港)でのアジアの同胞からの要請、即ち「アジアの”呼び声”に応えて」が、JOCS設立の契機となりました。以来JOCSは、半世紀にわたり、アジア・アフリカへ、召命感に燃えるキリスト者の保健医療従事者(ワーカー)を派遣し続けています。

②.「みんなで生きる」JOCSの使命と働き

JOCSは、「基本方針」に、その理念と使命を謳っています。「本会は、聖書の『私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』というイエス・キリストの教えに従うことを基本姿勢とし、世界の保健医療事情の向上を目指す…」。

1の働きは、クリスチャンのワーカー派遣です。50年間で延べ11カ国、70名を超えるワーカーを主としてアジアの国々へ送ってきました。JOCSは、創立50周年に向けた5ヵ年計画で、4つの焦点/女性と子ども、障がい者、少数民族、HIV陽性者への働きを重視し、それらの人々と共に生きるワーカーを派遣する、という方針を掲げました。4つの焦点は、「最も貧しく弱く小さくされた人々」だからです。女性や子どもであるが故に、ある階層に生まれたが故に、ある信仰をもつが故に、障がいの故に、少数者であるが故に、HIV/AIDSの感染・患者であるが故に、差別・偏見の対象となり、抑圧され、搾取されている人々は、世界各地に存在します。私たちは、そうした顧みられることのない人々の痛みを分かち合う必要があります。それらの人々の「声なき声」を聴かねばなりません。

2の働きは、現地の保健医療スタッフへの奨学金支援です。ニーズは拡大する一途で、現在は7カ国で延べ80100名(年間)へ奨学金を支給しています。

私は、200910月にウガンダの奨学生のモニタリングに赴きました。奨学金の受給者である現地の医療スタッフたちは、少なからず貧しさにあえぎ、家族などが病を患うものの医療に乏しい地域で生まれ育ったことが理由で医療者を目指しました。ウガンダは長い内戦の影響で荒廃し、後遺症として貧困とHIV/AIDSの問題にも苦しんでいます。保健医療の最前線で、様々な困難を乗り越えながら、身を粉にして懸命に働いている彼らの姿に深い感銘を受けました。

また、20104月にはインドネシアの奨学生モニタリングを実施しました。同国へは、JOCSのワーカー第1号である梅山猛氏(小児科医)の派遣以来、5名のワーカーを各地へ送りました。スタッフの奨学生モニタリングレポートから、元ワーカーが、その献身的な医療活動によって現地スタッフのロールモデルとして信頼を得ていたこと、そして今もそのことが語り継がれていることを改めて知りました。奨学生のOBOGは、指導的な立場で後輩の育成にあたっています。現地で蒔かれた種が豊かに実を結び、地元の人々の命を守り支える重要な働きの担い手となっている彼らに、こちらが大変励まされた次第です。その様子は、JOCS50周年記念DVD(※)に描かれています。

※JOCSのHPからもご覧になれます。

3の働きは、協働プロジェクト/Project LITTLE“(※)です。

※”LITTLELiving Together with the People“の略称

JOCSは、2010年度から現地主体の協働事業として、新たに5ヵ年計画のバングラデシュでの学校保健教育プロジェクトを開始しました。現地協力先のBDP(Basic
Develop-ment Partners
)は、ACEF(アジアキリスト教教育基金)のパートナー団体です

対象となるのは、BDPの運営する学校のうちミルプール地区の4小学校とガジプール県プーバイル地区の10小学校、計14校(合計生徒数は、約3000人)です。子どもたちの健康への意識向上と保健行動の改善を目的としていますが、衛生教育での新しい試みが団体間協力によって始まりました。

③.50周年感謝礼拝(2010923日)でのブラザー・フランクの講話

ここでブラザー・フランクの講話の一部(和訳:植松功氏)をご紹介したいと思います。ブラザー・フランクは、バングラデシュ・マイメンシンのテゼ共同体(フランスにある超教派の男子修道会)の修道士で、岩本直美ワーカー(看護師)と山内章子ワーカー(理学療法士)が従事する、障がいのある人々と共に生きる働きを支えてくださっています。

「直美さんと章子さんは、JOCSワーカーとして、バングラデシュのマイメンシンに派遣されました。それは、貧しい人々、中でも障がいをもった貧しい人々の中で働くためです。この二人が、スラムに暮らす障がい者たちを訪問する時、それは、彼らに何かを与えるためではありません。それは、障がい者に、自分に与えられている賜物(おくりもの)に気づくようにと促すためなのです。

二人はこう語りかけます。『今までみんなが、貴方は役に立たない存在だと言い続けてきましたね。でも今、貴方は気づかねばなりません。貴方の中にこそ、人類に与えられた賜物が豊かにあり、貴方には多くの可能性があるということを。それに気づいたとき、貴方は新しい人になるのです。内側に宝を持ち、それを人と分かち合う新しい人です。多くの人の目には見えない貴方の宝に気づいてください、そして貴方が気づいたその宝に、”はい”と言ってください』。

…直美さん、章子さんは、そして最近私たちの近くにJOCSから派遣されてきた乾真理子医師は、非常に貧しい人々の間で一生懸命働き、彼らと一緒に生活しています。彼女たちはその能力を分かち合い、それによって沢山の小さな奇跡が起きています。彼女たちから輝き出る喜びの秘密はなんでしょうか。知的な障がいをもった貧しい少年少女たちが体験する癒しの秘密とはなんでしょうか。身体的な障がいをもった人たちや医療的ケアが受けられない村の貧しい人々の間で生きる彼女たちの秘密は何でしょうか。

彼女たちは祈るのです。いのちの源である復活されたキリストに全てを委ねる信頼の祈りです。」

バングラデシュでの地域に根ざした障がい者支援、知的ハンディのある人々と共に生きるラルシュ共同体の活動は、先述の50周年記念DVDの映像(HP)からご覧になれます。

④.最後に

JOCSがスタディツアーで訪れている南インドのタミルナドゥ州にあるクリスチャン・フェローシップ病院には、”We Treat, God Heals“という言葉が掲げられています。「私たちは治療を為し、神様が真に癒しの業を行われる」という意味です。

この”Treat“を、”Serve“あるいは

Care“に置き換えてみると、医療者ではない私たちにもできることを見出します。”Serve“とは即ち、「奉仕をする/ボランティアをする」こと、

Care“とは「大切にする/愛する」こと。聖書の御言葉にあるように「自分を愛するように、こよなく隣人を愛する」一人ひとりから平和がつくられていきます。

「平和を実現する人々は幸いである」(マタイ59)、JOCSは平和の道具として誕生しました。そして、「祈りと働き」のために存在します。本来であれば、JOCSの活動の必要性が無くなる日が来ることを待ち望みます。しかし、現実はそれとは程遠いですが。

私たちは、貧しく弱くされた人々を「世の光」として、内なるキリストの愛を見出します。そして私たちは、「地の塩」として、「みんなで生きる」平和な世界の実現のため、キリストにつながる全ての人々と共に、新しい50年を歩んでいきたいと思います。

(JOCS総主事)

▼野球賭博騒動も冷めないのに、八百長疑惑で大相撲界に激震が走っている。今度ばかりは確定的な証拠が上げられており、いい加減にほっかむりは出来ない状況らしい。▼過去の疑惑報道を通じて、何故八百長が生まれるのか、その手口は、という点については、様々に解説もされている。何しろ八百長業界用語が駆使されている。▼動機や手口が分かっても、根本的な疑問は晴れない。何故、そんなことをするのか。相撲を愛してやまない人たちの筈なのに、何故、それを汚すことが出来るのか、何故、力士としての我が存在を否定することが出来るのか。▼『欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、こう言います。…ペトロ二3章3~4節』金銭的な欲望だけで相撲への愛はない、誇りもないと言うしかないだろう。▼今後、防止と処罰が課題になってくるが、法律的にどうのという話ではないだろう。相撲協会への愛、力士の矜恃を捨てた者は去るしかない。▼教会も同じことだ。法律論さえ無用だ。教会への愛、キリスト者の矜恃、信仰を捨てた者は、去るしかない。

 

ガラテヤの信徒への手紙4820

雲然俊美

 

途方に暮れている

パウロはガラテヤの教会の兄弟姉妹に対して、「あなたがたのことで途方に暮れている」(20節)と語りかけました。教会の人たちのことで途方に暮れていると。この手紙を受け取ったガラテヤの教会の人たちはどのような思いでこの言葉を聞いたことでしょうか。

ここでパウロが途方に暮れているのは、かつてはまことの神を知らず、他の神々に奴隷として仕えていたガラテヤの人たちが、せっかくまことの神の御救いにあずかりながら、また逆戻りして、無力で頼りにならない諸霊の奴隷として仕えようとしている(8節以下)ということが原因でありました。

せっかく一人ひとりの内に福音が根付き、その成長が期待されていたのに、またもや逆戻りしてしまった。そこでパウロは言うのです。「わたしの子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(19節)。これがパウロの祈りでありました。

これはまた、教会形成に携わる者にとって共通の祈りでもあります。今日教会は様々な課題を負っています。伝道の不振、会員の高齢化、教会に通う子どもたちの減少、教会会計の問題等々、多くの課題、問題を抱えております。

しかし、パウロの祈りをきちんと受けとめるなら、教会形成に共に携わる者にとって、会員が皆高齢になっているからとか、子どもが減っているからとか、教会会計が伸び悩んでいるからといったことで途方に暮れるということではない。そうではなくて、キリストが一人ひとりの内に形づくられていないということにおいて途方に暮れるのだ、とのことをはっきりと心に刻む必要があります。

パウロは、ガラテヤの教会の兄弟姉妹に対して、「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示された」(ガラテヤ31節)はずなのに、その十字架のキリストがぼやけてしまっていること、あいまいな姿となってしまっていることこそが信仰の危機であると述べているのです。

主の御言葉を聞く

どうやらガラテヤの教会では、パウロが「あの者たち」(17節)と表現をするグループがあったようです。いわゆる問題グループです。教会活動においてでしょうか、あるいは他の教会員に対するお世話のことでしょうか、非常に熱心に関わっている。しかし、それは善意からではなくて、その熱心さによって、その人たちはガラテヤの人たちを自分に対して熱心にさせようとしていると言うのです。けれどもパウロは、その人たちを批判すれば、あるいは排除すれば問題が解決すると言っているのではありません。そうではなくて、「キリストがあなたがたの内に形づくられる」ことのために自らが苦しみを担っているというのです。

教会は、牧師であれ、役員であれ、信徒であれ、「あの人がどうにかならないだろうか…」とか、「あの牧師がこうだから…」ということを言い合っていて福音伝道が前進するものではありません。誰かを批判してその人の影響を取り除くことよりも、一人ひとりの内にキリストがしっかりと形づくられているか否かをパウロは問うているのです。

旧約の預言者アモスは「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き」(アモス811節)との神の言葉を取り継ぎました。牧師も信徒も、共にこの飢えと渇きを共有しつつ、全身全霊を傾けて主の御言葉を聴く姿勢が問われています。

パウロが途方に暮れていると語った根底にあることは、まさにこのことではないでしょうか。

神から愛されている

ガラテヤの教会の兄弟姉妹は確かにキリストの福音にあずかりました。「今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに」(9節)とあるように、このわたしが神を知っている、いや、神から知られている。そのことをこそわたしは知っている、との信仰に立ったのです。神から知られているということは、神から愛されているということと同じです。そして、神から愛されていることを知ることが信仰です。

しかも、神の愛が、み子イエス・キリストの十字架の死において示されていることを知ることです。

パウロは、自らがキリストの十字架の愛によって救われていることを深く知っているがゆえに、自ら進んでそのキリストに喜びをもって仕えたのです。

途方に暮れても行き詰まらず

パウロが語った「途方に暮れている」という言葉の元々の意味は、通路が無い、あるいは道路が無い、また川などの渡し場が無いという意味です。人と人との間に、心通い合う通路が無い、言葉は交わすが心が通い合わないという状況です。パウロはガラテヤの教会の兄弟姉妹との信仰の通路が無くなってしまっているという思いでいるのです。

そしてパウロは、「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい」(20節)と語りました。例えば、今日、様々な問題で悩む若者と出合う時に、言葉が通じないもどかしさを覚えることがあります。こちらの語調は、説教くさく、若者たちにしてみれば”うざったい”。
露骨にそのような表情をしたり、プイッと去って行く。しかしそれでも、その場に居合わせて、その言葉を聞き分け、語調を変えて話す。同じように教会では、様々な牧会の場面で、祈りをもって、一本調子ではなく、相手の思いを受けとめつつまっすぐに福音を語る。その繰り返しでありましょう。

「途方に暮れている」と語ったパウロ自身、その途方に暮れる中にこそ、伝道者として、説教者として、あるいは牧会者として自らが選ばれ、立てられていることの務めの重さと共に恵みをも覚えておりました。

この「途方に暮れる」という言葉を、パウロはコリントの信徒への手紙の中でも用いております。
「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。…わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」(コリント二47節以下)。

「途方に暮れても失望せず」という表現は文語訳聖書では「為(せ)ん方(かた)つくれども希望(のぞみ)を失わず」とあります。人間の「為ん方」(なすべきこと、方策)が尽きても希望を失わない、神がこのわたしの身を用いて御業をなしてくださる。その希望を抱きつつ、「キリストの形成るまで」共に労苦を担いたいと願います。日本の各地に建てられているキリストの体なる教会において、主の召しに応えてまいりましょう。

   (秋田桜教会牧師/教団総会書記)

2011年2月5日

 

37総会期第1回常議員会(122021日)において『救援対策基金』の設置に関する件が可決されました。この基金は諸教区内に大規模な自然災害が起こった時に備えて設置したもので、災害発生時の初動の救援金に充てられます。

この救援基金の運用規定も定められました。いま、その主たる内容を記すと次のとおりです。

・このたび設置された『救援対策基金』の資金は教団の『救援対策引当預金』に置くこと。

・災害発生後、直ちに総幹事が総責任者となり、対策委員会を立ち上げる。なお、委員の選任は総幹事が当たること。

・大規模自然災害が起こった際、直ちに総幹事は当該教区との窓口となって被災状況を把握し、救援対策委員会に諮って救援金の額を早急に決めて執行すること。

・この基金には阪神淡路大震災救援金(「第2次募金」といわれてきた)の内の役割を終えたものの中からの6000万円と、新潟県中越沖地震救援募金の残金を繰り入れて、スタートすること。

・この基金が用いられる初動とは災害発生時から被災地の状況把握と情報収集、救援金の決定と執行までとすること。

・この運用規程は20101221日より実施されること。

この救援対策基金が有効に用いられるよう皆様どうぞお祈り下さい。

(教団総幹事 内藤留幸)

 

 

イエスさまと共になかまと共に歩む

 

「『人生を人にわけ与えてください』19911222日、受洗を祝って–福井達雨–と記された聖書は、私の大切な宝物です」。松岡洋子さんはさらに語る。「私は小学生の時、両親が離婚し、母子家庭になったことで、様々な理不尽な経験をしました。その頃に読んだ『氷点』(三浦綾子著)の主人公陽子の心情に重ね合わせることで、どんなに苦しくても自分なりに歪まない生き方をしようとずっと、一人で力をいれ、心を硬くしながら生きていました」。

保母になりたいと進学したキリスト教保育専門学校に在学中、止揚学園の福井達雨先生の著書『非合理に不器用にありのままに』を読み、本の中の世界を知りたいという思いから、一年生の冬に初めて止揚学園を訪ねたことが、人生の転機となった。

その日、止揚学園でみんなと食べた食事の温かさ、そして何よりも、皆が手を取り、助け合って歩んでいる姿に深い感動を覚えた。ちょうどその頃、母親が再婚し、父親となる男性にも子どもがいて、血のつながらない者同士が仲良く生活していけるのかという悩みを持っていた松岡さんは、止揚学園で皆が楽しく生活する姿に接し、他人同士でも愛があればあたたかい家族となれることを実際に見て、心の底から驚かされたのである。

「ある日、重い知的障がいをもつ仲間の隆くんが、手作りの曲でフォークダンスを踊ろうと私に手を差し伸べてくれました。言葉で話すことの難しい隆くんと手をつないだ時、その手の温もりを通して、『頑張らなくていいよ。ありのままでいいんだよ。悲しみも苦しみも喜びも分けあって共に歩もうね』という心の声が聞こえてきたように思いました。私の心が開放された瞬間、それはまた、イエスさまが私の心に触れてくださっていたことを確信した瞬間でもありました」。松岡さんは今、止揚学園の大切な保母さんである。

 

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