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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4754・55号】荒野の声 

2012年8月18日

▼猛暑に備えて、緑のカーテンを植えている人は少なくない。最近は定番の朝顔よりゴーヤの方が人気が高いと聞く。育てやすい健康野菜だから、一挙両得だ。▼我が家は何故かカボチャ。初めから狙ったものではなく、思わぬ方向に蔓が伸びて来て、結果そうなった。葉が大きいから遮熱効果は高いと思うが、風通しは悪いかも知れない。実がぶら下がっているのが、窓から見えるだけで4個ある。毎日大きくなっていくのは楽しみだ。▼しかしちょっと不気味だ。太い蔓がまるで鎌首をもたげ、窓から侵入しようとしている怪物のようにも見える。果実は頭のようだ。毎日少しずつ近づいている。ウェストールの『かかし』にも思える。いっそ目鼻を付けてハロウィンのカボチャにしたら、涼しいかも知れない。▼カボチャはアメリカが原産地と聞いて意外だった。カンボジヤだと思い込んでいた。カンボジヤの、電気も電話もなければインターネットも通じない寒村に、青汁の素のケイル畑が拡がっている。この村に学校を作る働きをしている人が、試みに蒔いたら、日本の倍にも大きくなり、常時収穫できる。生野菜不足の現地の人に大いに喜ばれているそうだ。実は、この種は元々我が家の庭から収穫したもの…これは自慢話。▼福音の種も、蒔かなければ芽生えることはない。

 既に新報紙上において何度か報告がなされており、大きな関心が寄せられていた「伝道推進室の設置」が決議された。「伝道する教団」の具体的な実務を担う場が、教団の中に位置づけられた。
 議案「伝道推進室設置に関する件」の提案者が石橋秀雄教団議長となっている点が注目される。今総会期に設置された伝道方策検討委員会からの、伝道推進室設置を含む提言を、三役が受け止め、三役と伝道方策検討委員会が議案として整え、議長名で議案を提案したものであり、執行部の伝道に対する覚悟が表れていると言える。
 議案では、伝道推進室の組織について、室長1名、推進委員3名、担当幹事がそれに加わる形が示されており、予算について、会議費として百万円、実行費用として3百から5百万円が想定され、その費用は献金で賄うことが示された。
 実務内容について、伝道キャラバンの企画・実施、伝道トラクトの作成、伝道礼拝・集会等の講師派遣、諸教会の伝道相談への対応、教師・信徒の研修等が謳われており、そこに提案理由が加えられる形で議案は構成され、それぞれについて議論がされた。
 まず、この伝道推進室が、伝道委員会の下に設置されているということの是非について、次のような質疑が交わされた。現在の伝道委員会でこの働きを担うことができないのか、伝道委員会との関係は今後どのような形になるのかという質問に対しては、現在の伝道委員会で担える事柄には限界があり、その部分を補うような働きができればと考えており、その働きは恒常的、つまり、委員会として年に数回集まるようなものではなくなるとの答えがあった。また、自ずと人選も恒常的に教団事務所に集まりやすい人選、東京近辺からの人選となるだろうこと、またその人選は、伝道委員長並びに教団三役で行うことを考えているという補足説明がされた。
 次に、この伝道推進室の具体的な働きが、各教区や各個教会への行き過ぎた介入にならないか、伝道がトップダウン方式で進むのではないかという危惧が、複数から述べられた。
 これらの意見に対し、今回の伝道推進室は、上から下へという流れを全く意図しておらず、むしろ、各個教会から自発的に上げられた伝道に関する諸活動に仕えるために、人、物、プログラムを提供する、しかもそれを恒常的に行っていくという姿勢で働きをなすことを考えていると岡本知之副議長が答えた。
 その他、予算の決済等についての問いに対して、基本的には室長判断で現場の決済はされるが、最終的には伝道委員会で処理される、と回答した。議論の後、賛成多数で議案は可決された。
 尚、翌日、次のように、教団総会までの任期の伝道推進室委員選考結果が発表された。
 石橋秀雄(室長)、岩田昌路、北紀吉、菅原力。  
(小林信人報)

 第37総会期第6回常議員会は、7月9~10日、教団会議室で、開会時30人中27人が出席し開催された。
 古屋治雄常議員の説教による開会礼拝の後、議事に入り、総幹事報告で内藤留幸総幹事は、北村裁判に触れ、「北村慈郎氏が教団(代表役員 石橋秀雄)を被告とした裁判は、4月26日第1回法廷が開かれた、口頭弁論のための準備段階から始まった。6月25日に引き続き、8月にも行われ、秋から口頭弁論に入る。昨年、地位確認等仮処分命令申立書が東京地裁で扱われたが、北村氏側が取り下げた」との経過説明を行った。
 また、総幹事は、「無任所教師名簿の整理に取り組み始めた。物故者も多いと思われ、長い間住所不明で連絡の取れない無任所教師は、教規128条により、別帳、除籍の手続きを取る」と報告した。小宮山剛・教師委員長も、「無任所教師名簿は40年間手をつけていないので、物故者、住所不明者だけでなく、教団に関係のない人が教団の名で活動していることもありうる」と補足した。
 引き続き、欠席した沖縄教区を除く16教区議長・議長代理が教区総会報告を行ったが、今常議員会では、初めて問安使側も感想を披瀝した。
 「問安は、責務だと考えている。京都教区では別室での傍聴だったが、どのような扱いをされても問安する。沖縄教区には、心を痛めている。両教区とも、傍聴という欄に署名することに戸惑いを覚えた」
(石橋秀雄議長)
 「大阪では、日の丸・君が代強制で、キリスト教主義学校への締め付けが強まっていることを感じた。卒業礼拝ということで切り抜けているが、今後大きな関心をもって見守って行きたい」   (岡本知之副議長)
 「地方教区では、支える側も、支えられる側も大変だと痛感した。東京教区が長時間掛けて東日本大震災募金のアピールを行っていたのが心に残った」
(雲然俊美書記)
 「西東京教区の立川伝道推進と、聖餐式がとても印象的だった。建議の扱いにやや疑問があり、建議がいつの間にか議案になってしまった教区もあった」
(内藤留幸総幹事)
 各教区議長の報告に対し、岡田義信常議員が、問安使を拒否した京都教区の説明を求めたのに対し、井上勇一京都教区議長は、「京都教区の特徴は、各個教会の自主性と自立性を尊重して来たことにあり、教団離脱論から執行部支持まで幅広く、時に教規を超えて考えねばならないことも派生する。この問題は、常置委の中に小委員会を設けて論議して来た。三役は、受け入れを提案したが、常置委はもう少し論議を尽くしてからとの結論に至った」と答えた。
 また、大杉弘常議員が、「教団新報の教区総会報告に、何故京都教区が掲載されないのか」と質問したのに対し、総幹事から指名された竹澤知代志教団新報編集主筆は、「7月中旬発行の4752号に掲載する。但し、昨年に引き続き、教団新報の取材も拒否されたため、公表された教団総会議員の名簿のみの掲載となる」と答えた。
(永井清陽報)

14:15 七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。「夫をうまく言いくるめて、あのなぞの意味を我々に明かすようにしてほしい。さもないと、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺してやる。まさか、我々からはぎ取るために招待したわけではないだろう。」
14:16 サムソンの妻は、夫に泣きすがって言った。「あなたはただわたしを嫌うだけで、少しも愛してくださらず、わたしの同族の者にかけたなぞの意味を、このわたしにも明かそうとなさいません。」彼は答えた。「父にも母にも明かしていないのに、お前に明かすわけがないだろう。」
14:17 宴会が行われた七日間、彼女は夫に泣きすがった。彼女がしつこくせがんだので、七日目に彼は彼女に明かしてしまった。彼女は同族の者にそのなぞを明かした。
14:18 七日目のこと、日が沈む前に町の人々は彼に言った。「蜂蜜より甘いものは何か/獅子より強いものは何か。」するとサムソンは言った。「わたしの雌牛で耕さなかったなら/わたしのなぞは解けなかっただろう。」
14:19 そのとき主の霊が激しく彼に降り、彼はアシュケロンに下って、そこで三十人を打ち殺し、彼らの衣をはぎ取って、着替えの衣としてなぞを解いた者たちに与えた。彼は怒りに燃えて自分の父の家に帰った。
14:20 サムソンの妻は、彼に付き添っていた友のものとなった。

2012年8月17日

14:1 サムソンはティムナに下って行ったが、そのティムナで一人の女、ペリシテ人の娘に目をひかれた。
14:2 彼は父母のところに上って行って、「ティムナで、一人の女、ペリシテ人の娘に目をひかれました。どうか彼女をわたしの妻に迎えてください」と言った。
14:3 父母は言った。「お前の兄弟の娘や同族の中に、女がいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人の中から妻を迎えようとは。」だがサムソンは父に、「彼女をわたしの妻として迎えてください。わたしは彼女が好きです」と願った。
14:4 父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。当時、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。
14:5 サムソンは父母と共に、ティムナに向けて下って行った。ティムナのぶどう畑まで来たところ、一頭の若い獅子がほえながら向かって来た。
14:6 そのとき主の霊が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。しかし、彼は自分の行ったことを父母には言わなかった。
14:7 彼は、女のところに下って行って言葉をかけた。サムソンは彼女が好きであった。
14:8 しばらくして彼は彼女を迎えに戻って行ったが、あの獅子の屍を見ようと脇道にそれたところ、獅子の死骸には蜜蜂の群れがいて、蜜があった。
14:9 彼は手で蜜をかき集め、歩きながら食べた。また父母のところに行ってそれを差し出したので、彼らも食べた。しかし、その蜜が獅子の死骸からかき集めたものだとは言わなかった。
14:10 父がその女のところに下って来たとき、サムソンは若者たちの習慣に従い、宴会を催した。
14:11 サムソンを見て、人々は三十人の客を連れて来てサムソンと同席させた。
14:12 サムソンは彼らに言った。「あなたたちになぞをかけたい。宴会の続く七日の間にその意味を解き明かし、言い当てるなら、わたしは麻の衣三十着、着替えの衣三十着を差し上げる。
14:13 もし解き明かせなかったなら、あなたたちが麻の衣三十着と、着替えの衣三十着を差し出すことにしよう。」彼らは、「なぞをかけてもらおう。聞こうではないか」と応じた。
14:14 サムソンは言った。「食べる者から食べ物が出た。強いものから甘いものが出た。」彼らは三日たっても、このなぞが解けなかった。

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