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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4754・55号】ささげる「喜び」・・・

2012年8月18日

 東日本大震災救援募金(国内分)が10億円の目標のところ、4億円に達しようとしています。教団事務局の壁に、毎週初め掲示される募金累計額を見ながら、祈りをこめて献げて下さる方々への感謝の思いを新たにしています。この献金が大地震や津波や原発事故による放射能汚染で苦しんでいる被災者の支援に活用され、立ち上がる勇気や希望を与えるために役立つことを切に望んでおります。
 わたしたちは献金を「ささげる」と表現しますし、礼拝も「ささげる」といいます。両者は共に生ける神に「ささげる」のです。ローマの信徒への手紙12章1節には「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と記されています。献身こそ礼拝だというわけです。わたしたちは、自分の人生全体を生ける神に献げ、神の救いのみ業のために用いていただくことこそ信仰者の喜びだと信じているのです。
 東日本大震災救援活動は時と労力とをささげるボランティア活動も被災教会の会堂再建に用いられる献金をささげることも共に被災者たちを支え、勇気づけることになり、それは端的に言って、生ける神のみ心に添う業であるといってよいのではないでしょうか。祈りつつささげる心は主イエスが弟子たちに語られた、あのレプトン銅貨二枚をささげたやもめの心にも通うものがあると思います。救援募金にご協力下さい。
(教団総幹事 内藤留幸)

 母から受けたものを、更に新しく生きる恵み

 80歳を過ぎ、長い年月、主の恵みに支えられ生かされてきたことを心から感謝している。その間、いつも教会の交わりに生かされ、支えられてきた。
 父を早くに亡くし、幼い頃から母と二人きりの生活だった。明治生まれの女性ながら、献身し、神学科で学んだ大変信仰深い人で、婦人伝道師として日本メソヂスト教会に仕えた。母が天に召されるまで、離れることなくその後姿を見て生きてきた。母の祈りによって、私がキリスト者として生きるべき道が備えられたことを思う。
 3歳で日本メソヂスト高町教会(現在の浜松教会)で幼児洗礼を受けた。第二次大戦の時代を挟んで15年、浜松で教会生活を送った。共励会(青年会)の一員として戦後の教会を支えた。母と共に上京してからは、九段教会で信徒として過ごしてきた。もうすぐ60年になる。
 母は、九段教会で幹事(役員)として、また、東京教区東支区の委員としても奉仕していた。しかし、後進に道を譲り新しい人を育てていくべきとの思いから、一切の御用を80歳を機として退いた。今、母と同じ道を歩んでいる私自身、その教えに従う時が来たと考えている。
 教会は、共同体を形づくるための指針としての伝統を守っていくべきだと信じている。九段教会は、設立以来137年、何代にもわたりメソジストの信仰を持つ教職によって導かれ、信徒が集い、主にある聖徒の交わりを培ってきた。変わりやすい風潮、飽きやすい現代に伝統を保ち続けるのは楽ではないが、過去を否定するだけでは、新しい堅固な信仰生活を育てることは難しいと感じている。
 今の日本でメソジストであることを標榜するのはおかしいという意見もある。かつての私自身、何も知らないままに、キリスト者として何のこだわりもなく礼拝を守っていたことを想い起こし、私の考え方が古いのではないかと危惧することもあった。
 温故知新と言われるが、私が母から受けたものを新しく生きることを通して、若い世代に魅力ある信仰生活を示していきたいと、心から願っている。

 一瀬 和子さん 1930年生まれ。九段教会員。

 日本基督教団東日本大震災救援対策本部主催による北海道報告会が、7月14日(土)、札幌北光教会(後宮敬爾牧師)を会場に開催された。
 開会礼拝では、北紀吉救援対策本部委員が、マルコ福音書5章の「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」の箇所に基づいて、次のように説教した。
 35節、「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」。亡くなったから全ては終わった、後のことは無駄だ。人生は死の支配によって終わる。「先生を煩わすには及ばないでしょう」とは死の支配の前にはイエス様も無力だということだ。誰もがそう思った。しかし36節、「恐れることはない。ただ信じなさい」と、イエス様は言われた。人の望みが尽きた時にこそ、信仰が問われる。人の望みが尽きた所に、主はともにいて下さる。
 39節、「子供は死んだのではない。眠っているのだ」。死の支配で全てが終わるのではない。今、この時、十字架の死から甦られた方の出番だ。3・11の悲惨な現場を目にした。今も困難が続く、しかし、イエス様の業に手遅れはない。私たちにも、イエス様に従ってなすべきことがある。

 石橋秀雄教団議長は、震災救援に対する北海教区諸教会の協力に感謝を述べてから、震災遭遇以来の出来事を、順を追って報告、説明した。
 あの時、東京神学大学では卒業式の最中であり、学長の説教が6分間途絶えたということから話を起こし、三鷹から早稲田の教団まで、人の流れに逆らい、しかし、神の迫りに押されるようにして、徒歩で辿り着いたこと、直ちに被災地に向かい、現地で主日礼拝を守ったことなど、生々しい体験が語られた。
 東京神学大学の学生によりいち早く行われたボランティア活動など、数多くのエピソードが明らかにされた中で、一つのことに絞って紹介する。
 出張中に津波に遭い、民家の屋根の上で一夜を過ごし、濡れなかったネクタイ一本だけが、凍えから身を守る僅かな温もりだったという壮絶な体験をし、やっとの思いで石巻まで辿り着いた青年を、会社のある仙台まで車に乗せた。道中、体験談を聞きつつ、会社に着いた時、同僚の婦人が、「何してたのよ!」と怒鳴った。勿論心配のあまりだ。携帯が使えず、連絡方法は一切なかったのだ。青年は、涙声で答えた。「みんなに助けられて生きていたんだよ」。
 実は、この青年は、単に助けられたのではなく、出合った人々の家で、緊急の事柄を手伝い、自分が被災者でありながら、誰よりも早くボランティアとして働いていた。しかし、むしろだからこそ、「みんなに助けられて生きていたんだよ」という言葉になったのだ。

 前北未央前救援対策室主事は、エマオを根拠地としたボランティア活動の全体について、一つひとつを詳細に報告した。特に「こひつじキャンプ」のことや児童の諸施設へのエアコン設置応援など、ややもすればその必要性・緊急性が理解して貰えない事業について、懇切丁寧に状況を説明し、支援理解を請うた。
 この圧倒的な出来事の前で、何かをしないではとの思いから、一人のボランティアとして仙台に身を投じた体験から始めて、諸活動については、その中に身を置いた者しか語り得ない苦悩、逆に喜びが披露され、その震災復興支援にかける情熱は心に染み入るものだった。
 幹事に見出され、請われて、教団でコーディネーターその他の働きを担うようになって一年が経った。諸般の事情から7月5日付けで職を退いたとのことだが、教団は容易に得難い人材を失ったのではないだろうか、とさえ思わされた。

 尚、15日には、日本伝道会とタイアップし、講師と新報取材担当者が札幌市内の3教会で礼拝説教の奉仕をし、伝道集会を持った。
 午後には、折しも札幌教会で行われた札幌教会関係5教会の交流会に合流し、ここでも震災対策の報告会を持った。特に、石橋議長は請われて腹話術を披露、小さい子どもたちを興奮のるつぼに陥れた。

 交流会では、北海道の文化財にも指定されている趣き深い札幌教会(米倉美佐男牧師)の礼拝堂の前庭で、羊肉のバーベキューが行われた。観光案内パンフに掲載された礼拝堂を目当てにやって来た観光客が、しばし立ち止まり、礼拝堂と共に、バーベキューの様子をもシャッターに納め、ちょっと変わった伝道となった。

作道至示氏(隠退教師)
12年6月9日逝去、84歳。東京都に生まれる。’56年東京神学大学を卒業、同年三崎町教会に赴任、姫路教会、再び三崎町教会を経て、日本医療伝道会に01年まで勤め、同年隠退した。
遺族は、妻・作道エイさん。

長橋晴子氏(日野原記念上尾栄光教会主任担任教師)
12年6月23日逝去、62歳。東京都に生まれる。11年東京聖書学校を卒業、同年日野原記念上尾栄光教会に赴任し、牧会した。
遺族は、夫・長橋和彦さん。

 6月25日、知花スガ子宣教師派遣式が、世界宣教委員会・秋山徹書記の説教、木下宣世委員長の司式により、シロアム教会において、執り行われた。
 知花氏は、南米のボリビア福音メソジスト教会ラ・グロリア教会(大熊豊子牧師)に、日本基督教団からの派遣宣教師として赴任する。
 生徒26人が集まって行われた教会学校の礼拝からスタートしたこのラ・グロリア教会は、昨年5月に逝去した山畑勝美牧師と佳惠夫人によって1959年に開拓された。当時は飲料水の確保もままならない過酷な状況であった。現在は付属幼稚園があり、4、5歳児の2年保育を行っている。
 ボリビアは日本の約3倍の広さを有するが、日本語の教会はサンタクルス県にあるこのラ・グロリア教会だけである。沖縄からの最初の入植者が1954年に開拓をした村にあり、現在「オキナワ村」として正式に認められており、日本人・日系人約800人が生活している(2011年6月現在)。
 知花氏は、今春東京神学大学大学院を修了し、中村町教会に赴任。神学校に入る前から、「南米で宣教師として務めたい」という思いを持ち続け、喜びと感謝をもってこの度派遣されることとなった。
 派遣式の説教において秋山書記は、使徒言行録17章16~31節より「境界の存在は一つの障害ともなりうるが、そういうところでこそ神を求める意欲、志が与えられ、探し求めさえすれば、神を見出すことができる。主イエス・キリストを、復活の姿において働きたもう主イエス・キリストを見出すことができるであろう」と説いた。
 教団からの、派遣準備金が木下委員長より手渡され、その後茶話会が小友聡牧師(東京神学大学、中村町教会)の司会によりもたれた。具志堅篤牧師(読谷教会)、故山畑勝美牧師の子息、山畑謙牧師(小金井緑町教会)、前ボリビア宣教師石丸泰樹牧師(小石川明星教会)、また多くの同級生、家族に励まされ、子息の知花龍磨牧師(三間伝道所)による祈祷をもって、閉会した。
(新報編集部報)

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